Archive for October 2008

野菜にはあまり旅をさせたくはない

偽らざる本音である。が、哀しいかな、そうも言っていられないのが現実である。築地に出荷していると、大阪や北海道の業者さんが買ってくださり、転送するというはなしを市場の担当氏からよく聞く。もちろん、こちらとしては買ってくださるのはじつにありがたい。ただ、群馬から出荷された野菜が東京を経由して、たとえば北海道まで行くというのは、あんまりピンとこないのだ。

生産者は市場の視察というか見学に行く機会はけっこうあるのだが、その市場から先となると、流通というのは複雑すぎてなかなかわからない。まきもの屋がそうだ、というだけじゃなくて、一般的にいえることじゃないだろうか。正直なところ、築地に出荷して、そこからさらに大阪や北海道まで運ばれるときくと、かなり微妙な気分になる。

野菜というのは、収穫後の管理、予冷、輸送時の状態、その後の保存のしかたなどで、日持ちがおおきく変わってくる。おなじ野菜でも季節によってちがう。だから、いちがいに「品質保持期限」とか「賞味期限」を設定することができない。あくまでも「常識」の範囲内で、「通常」の保存状態であれば、これくらいは大丈夫だろう、ということしかいえない。これが厄介である。いまどきは「常識」がなかなか通用しないし、そもそもほかに比較するもののすくない、流通量のあまりない西洋野菜だと、「通常」というのがはっきりしない。結局のところ、生産者としてはベストの状態のものを出荷して、「なるべく早く使ってくださいね」としか言えないのである。

野菜が届いてみたら、傷んでいたというのはよくあるはなしだ。が、確実に言えることは、まともな生産者であれば、傷んだ野菜を出荷することはあり得ない。じゃあ何が問題なのか。輸送環境が原因のこともある。使い手に届くまでの時間が問題の場合もある。いわゆる「荷傷み」、つまり振動や衝撃による物理的な破損というのをべつにすれば、野菜の傷みというのは、たいていはカビと腐敗である。原因菌はいたるところに偏在しているわけだが、畑で野菜に菌がとりついている場合もあって、そういうのは「病気」とよばれている。有名なのは球レタスの内部のトロケ。生産者のあいだでは「タール」と通称している「腐敗病」という病気である。Pseudomonas chicoriiという細菌が原因である。これがレタスの葉表面にとりついて増殖し、なんらかの傷や葉の気孔などから内部に侵入して発病する。発病するというのは、トロケがはじまるということである。むずかしいのは、菌じたいはどこにでもあるもので、その数(菌密度という)が発病にかかわることである。この発病メカニズムについては、論文がネットで見られたと思うので、興味があるむきは確認されたい。そんな細菌なんて、肉眼でわかるものじゃない。それに、出荷時には問題とならない程度の菌密度であっても、出荷後の温度、湿度、時間の経過によって、菌が増殖して発病することだってある。そういうのもぜんぶ含めて、「トロケ」といって生産者にクレームがくるのだから、たまったものじゃない。

こういうのを完全に防ぐには、商品を無菌状態にすればよい。が、それはすなわちポストハーベスト農薬をつかうということである。完全な無菌状態にするためには、相当に強い殺菌剤をつかわなければならない。それはイヤでしょう。そもそも現実的ではない。そうなると、野菜の傷みについては、ある程度「寛容」になってもらわなくてはどうようもないのである。じっさいには、ひとつ傷んでいたら、ケース全体が腐っていたかのようなクレームがくる。生産者に非がないと思われるようなケースもしばしばだという。ようするにクレームする側が無知なのか、品がないのだが、市場に出荷しているかぎりはお客さんをこちらが選ぶことはできないから、我慢するしかないのである。

もっとも、まきもの屋じしんは、こういうことで不快な思いをしたり、返品や赤伝票をもらって損をした経験は数えるほどしかない。ただ、あんまりこちらの想像をこえた流通プロセスというのは、リスクが増えるだけなので、うれしくないのである。フードマイレージなんてことを言う以前に、じぶんの作った野菜が、できるだけよい条件で、できるだけはやく使い手のもとに届いてほしいと思う。まきもの屋の野菜を築地で群馬のスーパーが仕入れて、高崎市内で販売されたという、笑えないようなケースもあったらしい。群馬→築地→群馬と旅をしたことになる。「おかえりなさい」と言ってやるべきだったかな。市場の担当氏が笑い話的に伝えてくれたことである。

たいていの野菜にとっていちばんいいのは、収穫してその日のうちに調理して食べることである。だが、これはなかなかむずかしい。せめてもというか、産直の「おまかせ西洋野菜セット」はお届け先を、翌日配達可能な地域に限定させていただいている。

むかしは「四里四方」のものを食べるべし、なんていったらしいが、いまでも、数百kmくらいがせいぜいじゃないか。西洋野菜にかぎっていうと「地産地消」を実現しようもない田舎に住んでいると、立場上なかなか声を大にしていえないのだが。

トレヴィス

農協の視察研修で伊豆にいったときに(「視察研修」というのはもちろんタテマエというか名目で、じっさいはいわゆる「農協さん」の旅行なのだが)、旅館の朝食のサラダにトレヴィスがはいっていて、この野菜もずいぶんと一般的になったものだと妙に関心した記憶がある。しばらくまえまでは、苦くて敬遠される野菜の代表格だったはずなのだが、いまやどこに行っても、サラダにこの野菜がはいっていることはめずらしくないようだ。

ただ、どうしてもUS産が多いようで、近年は国内生産もけっこう増えているのだが、いまひとつ一般化していないのは残念である。よくできた新鮮なトレヴィスはツヤがあって、内部までみずみずしく、適度に苦くてしかも葉柄(白いところ)には甘みがあって、それだけでおいしい。そういうのをなるべくはやく使いきってほしいものだ。が、じっさいには紙みたいな味気ないものが多い印象もある。

そんなトレヴィスであるが、ビエトラ/ブレットと同様に、これもまた名前の厄介な野菜である。日本では「トレビッツ」という表記もある。これは、"Treviso"(トレヴィーゾ)のフランス語"Trévise"(トレヴィズ)がなまったもののようである。英語だと、"radicchio"ということも多いようだ。ここで注意したいのは、いずれも球形の赤チコリアを指しているということ。フランスではおもに2タイプ知られている。"Chicorée Chioggia"と"Chicorée sauvage rouge de Vérone"である。前者のほうがまん丸な結球である。ご本家イタリアだと、ヴァリエーションが多くてさらに厄介である。いわゆる「トレヴィス」とおなじタイプのものだと、フランス同様、"Chioggia"と"Verona"ということになるが、前者には白に赤の斑入りで結球タイプのものもあるし、後者には結球しないタイプもある。だいたい、キオッジャもヴェローナも産地名であって、厳密には野菜の品種名ではない。

ところで、「トレヴィス」というよび名のもととなった"Treviso"(トレヴィーゾ)はどうかというと、トレヴィーゾ産といえば有名な"radicchio rosso di Treviso"がある。これには"precoce"(早生種)と"tardivo"(晩生種)があって、かなり見ためも味も違う。ただ、どちらも球形にはならない。前者は「ラディッキオ・プレコーチェ」とか、「トレヴィーゾ・プレコーチェ」の名でUS産がたくさん輸入されている。後者はイタリア産。市場などではたんに「タルディーボ」と呼ばれることが一般的なようだ。

はなしを「トレヴィス」にもどすと、赤で球形のものについては、"cicoria palla rossa"(チコリア・パッラ・ロッサ)という呼称もある。"palla "は「球」、"rossa"は「赤」の意だから、見たままのいいかたである。で、まきもの屋では「トレヴィス」のイタリア語表記には"cicoria palla rossa"(チコリア・パッラ・ロッサ)を採用している。

だいたい、野菜のなまえの原語表記なんて、まきもの屋本人以外は、料理人さんのなかでも、イタリア語で料理名を書くひとくらいしか気にもしないだろうから、どうでもいいことかも知れない。でもやっぱり正確を期したほうがいいと思うし、そもそもそういう性格なのである。

チーメ・ディ・ラーパ

以前このサイトでも"cime di rapa" チーメ・ディ・ラーパの話は書いたと思うのだが、さがすのも面倒なので、あらためて。イタリア野菜で、「カブの芽」の意である。芽といっても「花芽」のこと、つまり花蕾である。カブとは言っているが、べつに根元が肥大するわけじゃない。

イタリア料理の本などでは、「菜の花」や「スティックブロッコリ」で代用すべし、なんて書いてあることが多いようである。たしかに、それでいいと思うひとも多いかもしれない。でも、やっぱり「代用」は「代用」でしかない。"Cime di rapa"をつかった料理をやるなら、ホンモノのほうがいいのである。食べるひとによっては違いがわからないなんてこともあるかもしれないが、それは食べるひとの味覚がその程度ということだ。「うま調」たっぷりのスパゲッティやピザをおいしいと思うようなら、わざわざ"cime di rapa"をつかう必要もないのである。じっさいのところ、コトバでちがいを説明するのはちょっと厄介だが、スティックブロッコリなんてものは、ブロッコリと「カイラン」という中国野菜の交配種だから、やっぱり中国野菜の味がする。アンチョヴィやオリーヴオイルとの相性は絶対に"cime di rapa"のほうがいい。

見ためが「菜の花」だから、どうも春野菜と誤解されやすいが、誰が何と言おうと、秋冬が旬である。いちおう春もできるが、秋のほうがいいものができる。花蕾=春というイメージが先行するのもわからなくはないが、野菜のばあいはかならずしも春が旬とはかぎらない。プンタレッレにしても、ブロッコリやカリフラワにしても、本来は秋冬の野菜なのである。気温が下がっていく秋のほうが、充実した=立派な花蕾をつけさせやすいのである。

情けないハナシ

まことにお恥ずかしいことだが、定植用穴あけの修繕をしていて、指をケガしてしまった。 大したことはないと思ったのだが、病院へ行って診てもらったら、斯の如き有様となってしまった。破傷風の予防接種もうけさせられた。思いかえすに、2年前のちょうど今時分にも、左手の人差し指を収穫包丁でザックリやってしまって、病院に駆けこんだことがある。百姓仕事というのは、けっこう危険をともなう作業もあって、一瞬の気のゆるみがとんでもない結果をもたらすから、ゆめゆめ油断してはならないのである。そう自分に言いきかせているところである。

屋号

レタスとキャベツの栽培をメインとしていたときにつけた「まきもの屋」というヘンな屋号であるが、なんとなく気にいっていて、 そのまま使っているわけである。が、経営路線を変更してからは、家人の冗談なのか本気なのかわからない抗議にさらされている。

曰く、料理の「つけあわせ」の野菜ばっかりなんだから、「つまもの屋」とか、「ガルニ屋」、いっそのこと"Garnier"(ガルニエ)にすれば いいじゃないか、というのである。冗談を解説するのは野暮というものだが、別方面から抗議がくるのもイヤなので解説すると、 フランス語で「つけあわせ」は名詞だと"garniture"(ガルニチュール)、形容詞で"garni(e)"(ガルニ)という。たとえば、"escalope garnie de petits pois"(旺文社『ロワイヤル仏和中辞典』の用例)、「グリンピースをつけあわせにしたエスカロップ」というぐあいに使う。 いまどきは料理名に"garni de ..."という表現はあまり流行らない。ちょっと古風ないいかたである。

それとはべつに、フランス語で「〜する人」を意味する語には"-er"「エ」というのでおわるものが多い。"Sommelier", (ソムリエ)"cuisinier"(キュイジニエ=料理人), "pâtissier"(パティシエ),"boulanger"(ブランジェ=パン屋)などなど。で、家人によると「ガルニチュールをつくるひと」だから"garnier"なんだそうだ。

"Garnier"というと、フランスではけっこう知られた苗字である。パリの古いほうのオペラ座は"Opéra Garnier"という。これは、建物をつくったひとの名前。フランス文学に親しんだことがあれば、"Garnier"という本屋が むかしあったことはご存知だろう。もちろん創業者の苗字である。"Classique Garnier"という叢書があって、むかしはそれなりに権威があった。今はどうか知らない。

ようするに、「ガルニエ」という屋号の案?は、二重の冗談になっているんだけれど、そんなものをわかる人が日本にどれくらいいるというのだ。 というわけで、あっさり却下である。やっぱり、どんなにヘンでも「まきもの屋」がいい。 というか、ヘンだからこそいいのである。だいたい、屋号は日本語ときめているのだ。それに、結球野菜だって栽培しないわけじゃないんだし。

さきほどの「〜する人」であるが、女性のばあいは、"ère"「エール」となる。"Sommelière", (ソムリエール)"cuisinière"(キュイジニエール), "pâtissière"(パティシエール),"boulangère"(ブランジェール)。家人に、「わたしが"garnier"なら、きみは"garnière"(ガルニエール)かね?」と言ったら、 笑いながら、「わたしは料理人じゃない!」と切り返された。フランス語の"r"の音は聞きおとしやすいをいうのをふまえた 冗談らしい。

どうでもいいが、日本のフランス料理業界では「研修生」のことを「スタジエ」というらしい。フランス語では「研修生」は "stagiaire"(スタジエール)といって、男性でも女性でもおなじである。ちなみに「研修」は"stage"(スタージュ)である。

もうすぐCicorieの季節

左の写真は、"Cicoria Palla Rossa"いわゆる「トレヴィス」である。まだ完成ではない。「トレヴィス」が畑でこんな姿をしているなんて 想像もつかないかもしれない。が、そうなのである。意外というべきか、外葉は緑である。倉渕では、8月どりからできないことはないのだが、 たんに「できる」というか結球するだけ、という感じで、とても売りものになる品質にはならない。いいのは10月後半からである。 輸入モノに絶対に勝てる品質だと勝手に思っている。11月いっぱいはかなりの良品がとれる。

右の写真は、"Cicoria Pan di Zucchero"、フランス語だと"Pain de Sucre"、英語では"Sugarloaf"、日本では「シュガーローフ」といったほうが通りがいいみたいだ。 筒形の半結球(といっても、かなりギッチリと巻く)で、内部は自然軟白されて、葉柄は真っ白、シャクシャクとした歯応えである。名前のとおり 甘い。チコリエだからもちろん苦味もある。もっとも、いわゆるトレヴィスやほかのチコリエ、とくに"Cicoria Selvatica da Campo"なんかとくらべると、あんまり苦くはない。苦甘いというか甘苦いというか、そういう味であるが、苦さを警戒するほどのことも ないと思う。アンディーヴとくらべるとかなり緻密なテクスチュアだが、自然軟白されているから、食味はどちらかといえば近い印象がある。もっぱらサラダにするが、チーズをかけて焼いただけのグラタンもいい。サニーレタスをベースにしたサラダなんかだと、 どうも赤や茶色が勝ってしまう印象があるので、"Cicoria Pan di Zucchero"のきれいな薄緑と白はかえってアクセントになっていいんじゃないか、と考えている。料理人諸氏にぜひ試していただきたい野菜である。これもやっぱり、10月後半からの収穫となる。完成したらまた紹介させていただこうと思う。

冬のサラダ野菜のイメージがつよいCicorieだが、日本では意外と真冬はむずかしいみたいである。というか、倉渕では1・2月の露地モノは不可能である。寒さそのものにはけっこう耐えるのだが、 霜にあたってダメージをうけてしまう。考えてみれば、ヨーロッパの冬は、曇り空がおおく、冷えこんでもそんなに霜は降りない。それでも、 南フランスがCicorieの冬どり可能な北限みたいである。南仏産のCicorieがおおくでまわるようになる以前は、パリあたりでは "Mâche"が冬のサラダ野菜の代表であったというはなしだ。

Haricot mangetout

フランス語でサヤインゲンのことである。イタリア語だと"fagiolo mangiatutto"である。緑のを"haricot vert"、黄色のほうを"haricot beurre"という。イタリア語では、あんまり色の区別はしないみたいだが、黄色のほうは "fagiolo burro"という。"haricot vert"の品種は"Fin de Bagnols"というフランスの伝統品種である。"haricot beurre"は"Pencil Pod Black Wax"というアメリカ品種である。

日本では、サヤインゲンは噛んだときに「キュッキュ」というくらいの茹で加減が好まれるが、フランスでは、クタクタになるまで加熱 するのがふつうである。日本の「ケンタッキー」のように太めのものは"étuvé"といって茶色くなるまで蒸気で 蒸したものが、カンヅメや瓶詰めで売られている。"Fin de Bagnols"は日本のインゲンよりもかなり細い段階で収穫する。 柔らかくておいしい。それでも、やっぱりしっかりと加熱したほうが好みではある。

インゲンを生食してはいけない、ということはわりとよく知られていると思う。あるテレビ番組がひきおこした「インゲン豆ダイエット」騒動は記憶にあたらしい。あれは乾物のインゲン豆だったが、程度の差こそあれ、サヤインゲンも生ではよろしくない。これは、インゲン豆にふくまれるレクチンという蛋白質が原因らしい。生の状態ではお腹をこわすだけじゃなく、肝臓や心臓にも悪いという。レクチンは加熱することによって変性し、害があるどころか、免疫機能を活性化させるはたらきを持つようになるという。いちばん確実なのはしっかり茹でることである。炒めるのであれば、下茹でしてからにするか、じっくりと丁寧に炒めるほうがいいだろう。いちど、あるイタリア料理をなのる店で、さっと炒めたサヤインゲンがでてきて、随分と当惑したことがある。さすがに、そっくりそのまま残した。

はなしをもとに戻すと、まきもの屋では、上にあげたふたつの品種は自家採種している。"Haricot beurre"のほうは、来年、市場に出荷できるくらい 栽培してみようかと思っている。もっとも、今年採種できる量では足りないかもしれないので、市場出荷をするなら品種変更もふくめて考えなくてはならないだろう。フランス系の品種をためしてみようか。"Haricot vert"のほうは、市場ではちょっと商品の差別化がむずかしいかも知れない。 とりあえず、自家用とレストランむけの野菜セットの分を栽培するにとどめるつもりである。