Archive for January 2009

口はばったいことだが…

西洋野菜の生産を看板に掲げていて、基本的には余所様は余所様、まきもの屋はまきもの屋、というスタンスでやらせていただいている。それでも、いろいろ思うところがないわけではない。

とくに具合がわるいのが、中途半端な理解で栽培されたものが世間にはびこることだ。「オークリーフ」を「フランスレタス」だなんて言ってはいけない。どうしてもフランス野菜だというのであれば、「レチュ・ア・フイユ・ド・シェーヌ・ブロンド」"laitue à feuille de chêne blonde"と表記すべきだろう。そりゃ20世紀初頭のVilmorinのカタログにのっているわけだから、フランス野菜といいたくなるのはわかる。でも、この品種の来歴を知っている者からすれば、あからさまに「大嘘」なのである。それがわかる人間が日本に何人いるのか、となると甚心許ないが、大多数のひとが知らないからといって適当なことを言っていいわけではないはずだ。

セルリアックは断じて「セロリの根っこ」ではない。いわゆるセルリは"Apium graveolens var. dulce"、セルリアックは"Apium graveolens var. rapaceum"、あくまでも別種である。アーティチョークとカルドがそっくりで、植物としては従兄弟みたいなものだけれど、やっぱり別の野菜であるのとおなじだ。すくなくともいわゆるセルリの根は肥大しない。どうしてもというなら「セルリの仲間で、根が肥大する品種」くらいの表現にしてもらいたいものだ。いいかげんな情報が流布しては迷惑である。

まちがった情報、品物が流布すると、かえって普及をさまたげることになりかねないのだ。「ポアロー ジューヌ」はたしかに人気の野菜だが、太さと長さのバランス、曲り、首部にはいりこむ砂etc.の問題はきちんと解決できているのだろうか? 出来のわるい商品がでまわると、 最終的にはマーケットを破壊することになってしまうことくらいおわかりいただけるだろう。

セコンドのあとにプリモ?

山の中で暮らしていると、好きなイタリア料理を食べにいく機会もなく、しかたないのでWEBのグルメサイトやBLOGを見て、ああだこうだと言っているのだが、どうにも気になることがある。

パスタやリゾットをセコンドのあとにもういちど出すお店が少なからずあるようだが、まきもの屋個人はイタリアではそういう体験をしたことがないので、どういう事情でそうなっているのか。リストランテではそうなのか? だとすると、トラットリアやオステリアしか知らないまきもの屋には無縁の世界だから、伝統的にそういうことになっているのか?

どうにも不思議でならないのである。なにしろ、イタリアの中華料理屋で、アンティパストに春巻、チャーハンがプリモの位置づけで出てきて、そのあとセコンドに酢豚、デザートに月餅なんて順ででてきて、いささか面喰ったことがあるくらいだからである。イタリアではミネストラ、リゾット、パスタはあくまでも主菜のまえじゃないのか?

どうも、セコンドのあとに2度目のパスタやリゾットをだすお店というのは、今風のお洒落なところが多いみたいである。で、セコンドのあとで、お腹のぐあいで30グラムとか50グラムとか頼むらしい。どうにも和食の「〆のお食事」みたいな印象がするんだけど…

イタリアのリストランテの料理というのがそういうものなのだとすると、まきもの屋は不勉強を恥じるほかない。でも、なんだかちょっと疑わしいのである。ようするに、多皿構成になって、ほんとうなら客の食事のペースとかそのほかのことを観察しながらいろいろ判断して分量の調節をするはずなのに、それができなくなっているんじゃないか、だから、あらかじめ誰でも完食できるくらいの少なめの量にしておいて、足りないようなら安いパスタかリゾットでお腹をいっぱいにしてもらう…そいういうことなんじゃないかという気がするのである。トラットリア的感覚だとやっぱりおかしい。セコンドと一緒にパンを食べないのか? そのあとでふたたびパスタというのは、食事の流れとしてあまりに冗長じゃないのか? だってこのあとにフォルマッジとドルチェがつづくでしょう。双六で2つもどって3つとばしみたいな感じか、セコンドがなかったことになってしまうような気がしてならない。そんなわけで不思議でしょうがないのである。

これは日本特有の現象なのか、それともイタリアでもそうなのか?

たんに、まきもの屋が田舎者であることの証明をじぶんでやっているような気もするのだが、このあたりの事情について、どなたかご存知のかたは、ぜひともご教示賜りますようお願い申しあげます。

ジャガイモ

写真は2008年春のキタアカリ。

ジャガイモは国内で種イモが流通している品種しか栽培できない。正確に言うと、植物防疫法にもとづいて、種イモの輸入・販売が規制されている。だから、フランスあたりの「ラット」とか「シャルロット」を栽培したくても、種イモを入手できないのである。かりに個人で持ちこんだとしたら、植物防疫法違反ということになる。かつて、大手ポテトチップス屋がきちんとした防疫手続きをせずに輸入した種イモを栽培し、大問題になったことは記憶にあたらしい。

栽培じたいは規制されているわけではないから、きちんとした手続きを経たものであれば、外国の品種も入手、栽培できる。フランスのジェルミコパ社が育種し、キリン傘下のジャパンポテトが販売している品種群なんか、いうまでもなくフランス系の品種である。

まきもの屋の2009年の栽培品種は、キタアカリ、メークイン、アンデスレッド、シンシアの予定である。もちろん、これ以外にもご要望があれば対応させていただく。3月下旬〜4月中旬定植、6月中旬以降収穫となる。アンデスレッドは秋作もあり、こちらは11月収穫となるが、収量もすくないし、春作にくらべて小玉傾向になる。

TT

有名料理人のT氏と、「辛口」で知られるコラムニストT氏の論争。コラムニスト氏のイチャモンに有名料理人氏がご自身のBLOGで反論をし、コラムニスト氏が揚げ足をとっている感じか。かかわりたくないので、リンクは貼らない。

有名料理人氏はかなりお怒りだったようで、口がすべったのか、言葉が過ぎたのか、表現の問題をコメント欄で指摘され、現在は修正してあるようだ。ただ、コラムニスト氏も周到というか、 しっかりWEB魚拓をとっていて、ご自分のBLOGにリンクを貼っている。

お二人の論争というかケンカというか、その本筋とはまったく無関係だが、思わず失笑してしまったのが、有名料理人氏のBLOGとお店のサイトに誇らしげに掲げてあるフランス語らしき文である。BLOGの本文修正後もそのままである。日本語も添えてあるから、おっしゃりたいことはもちろん理解できるんだが…。まぁ、フランス語がおかしかろうと何だろうと、客としては快適においしい食事を楽しむことができればいいのだから、そんなことをいちいち指摘するひとはあまりいないはずである。氏のお店にはフランス人客もかなり来るようだから、なおのことである。逆に考えればわかる。外国で日本料理店に行ったとする。外国人である店主がこれ見よがしに間違った日本語をつかっているからといって、いちいちそれを指摘するか? ふつうはしない。ただ、「まあ、こんなもんかな」がせいぜいである。だから、誰にもフランス語らしき文のことは指摘されていないのだろう。

一般のお客さんは、フランス料理人さんはフランス料理のことも食材のことも何でも知っていて、フランス語ももちろん堪能だと思っているはずである。イタリア料理についてもおなじことだろう。たとえそれがお客さんの勝手な思いこみや期待にすぎず、実際はかならずしもそうでないとしても、その誤解をいちいち解くにはおよばない。夢はわざわざ壊すもんじゃない。それで充分じゃないか。だから、なにもこれ見よがしにフランス語やイタリア語をつかわなくっていいのである。そんなことしなくたって、プロとして信頼されているはずである。むしろ、それがコトバとして文法的におかしかったりすると、ご本人が知らないうちに恥をかくことになりかねない。だいたい、フランス語なりイタリア語でメニューを書くのなら、スタッフ全員がオーダーからなにからなにまでその言語で押しとおせるくらいじゃないとねぇ…。

いや、外国語を多用するまきもの屋としては自戒の意味をこめてこの文を書いているのであって、けっして有名料理人氏にたいしてイチャモンをつけているわけではない。まきもの屋自身、カタカナの濫用もふくめて、きちんと考えなおさなくては…。もっとも、サヴォイを「縮緬甘藍」、アーティチョークを「朝鮮薊」と言いかえても大多数のひとにとって意味不明であることにかわりはないし、「カルド」なんか日本語にしようがないんだけど…。モノの名前というのは、モノそれ自体が認知されていないかぎりは意味不明であるわけだから、このあたりを考えるべきなんだろう。

それでもまきもの屋はmulticoloreにこだわる?

マイクロトマトについて情報をあつめてみた。さる筋によると、すでに黄色は生産されているというハナシ。商品化されて5年以上たっているわけだから、黄色い品種があることくらい産地側もとっくにお見通しということである。やっぱり同じようなことを考えるんだなあと、かなりガカーリである。しかも黄色はあんまり需要がないらしい。さらに落胆である。もっとも、マイクロトマトじたい、既存の商品の追いかけをするわけだから、こういう場合はあんまりヒットは狙わずにいったほうがいい。そういう意味では、戦略のたてなおしである。あんまり商品として期待はしないほうがいいかも。「おまかせ西洋野菜セット」限定にするかな…?

マイクロ・トマト

巷で話題の品目である。この2年くらいのあいだに一気に広まったようだ。もともとがヨーロッパの伝統品種というわけでもないので、まきもの屋としてはそんなに食指がうごかなかった。

が、小さくてかわいいということで、レストラン需要もかなりあるらしい。「トマトの原種に近い」というのもセールスポイントのひとつのようだ。もっとも、「原種に近い」というのは、たしかにそうだろうが、「原種」そのものではない。ましてや味を保証することばではない。ジャガイモの「インカのめざめ」と同じである。あれも「原種に近い」というイメージであつかわれることが多いが、正式名称は「農林44号」、れっきとした日本で育種されたジャガイモなのである。育種過程はちょっとわかりにくいかもしれないが、ようするに、かなりの手間と時間、技術をかけて開発された 品種なのである。

マイクロトマトのほうは、そういう来歴がいまひとつはっきりしない。この商品の「仕掛け人」である菅原眞治氏によると、なによりもケーキにのせるトマトをつくる、ということで「果実が小さいトマトの品種や近縁野生種など七品種」のなかから選定した「来歴、品種名不詳の系統」だそうだ(「現代農業 2008年2月号」, p.101.)。つまりは、厳密にいうと現在流通しているマイクロトマトが「原種に近い」かどうかは、よくわからないということになる。

家人がいうには、10年くらい前に「ワイルドトマト」というのが家庭菜園の世界でちょっとした流行になったことがあるらしい。チェリートマトよりちいさい品種群があるが、タネ屋のカタログではめずらしくもなんともない。

慇懃無礼

このところWEBでレストランの「クチコミ」や食べあるきBLOGを大量に読んでいる。ときどき気になるのが、お店のひとが「慇懃無礼」だったという書きかた。ただしい意味でつかっているのだろうか。どうも文脈からは「横柄」とか「偉そう」あるいは単純に「感じがわるい」くらいの意味にしかとれなかったりする。まきもの屋じしんは「慇懃無礼」というと、昔の「幇間」(たいこもち)みたいなイメージをもっているんだが…

Wiktionaryからこのコトバの定義を引用すると

慇 懃 無 礼(いんぎんぶれい)

1. 丁寧すぎて、改まった感じが、かえって無礼になること。
2. 言葉や物腰など表面は丁寧であるが、その裏は、大変尊大であること。
3. 丁寧な様を装い、その実相手を小馬鹿にする事。
「あの人の態度は慇懃無礼だ。」 

商売というのは、多かれ少なかれ、ともすれば慇懃無礼になりやすい。まきもの屋のサイトの「ごあんない」「最新情報」のページは、口調こそ丁寧だが、案外、慇懃無礼な印象をあたえてしまっているんじゃないかと心配になってきた。気をつけなければ…

営業メールの定型文もここまでやるとかえって潔い

流通業者らしきところからメールが来た。そんなにめずらしいことではないのだが、今回はあからさまに定型文というか、できあいの文面である。はじめの数行読んでわかったから、さっと目をとおして、せっかくだからとメールに書いてあったWEBサイトをのぞいてみる。なんと、メールとまったく同じ文面が掲載されているではないか。そっくりそのままである。書きたしたりということはまったくないみたいだ。むしろ感心してしまった。ようするにおきまりの文面の広告メールだから、お返事申しあげる必要はないと判断した次第。

いずれにしても流通業者さんとのおつきあいは、いまのところ「いっぱいいっぱい」だから、これ以上増えると困るという事情があって、お断わり申しあげざるを得ないのである。定型文なら返事をする必要もない。かえって潔くていい。

サイトのフランス語版をつくってみる?

そろそろ仕事も本格始動なのだが、そのまえに、サイトのフランス語ヴァージョンをつくってみることにした。このサイト、一見シンプルだが、内部構造はけっこう複雑で、しかも途中で温泉旅館よろしくつぎたしたり改造したところもあるのに、それをやったまきもの屋本人がまったく憶えていなかったりする。仕方ないので、スキンやテンプレートを読みなおしながら修正してサイトを2重構造にする計画である。とりあえず、フランス語で挨拶文だけ書いてみた。推敲もスペルチェックもまったくおこなっていないので、最終的にはかなりちがうものになるだろう。

それはさておき、フランス語ヴァージョンなんかつくって、見るひとはいるんだろうか。たしかに、日本にはフランス人の料理人さんはたくさんいるようだ。でも、彼らは自らWEBで食材をさがしたりはあんまりしないだろう。まきもの屋の野菜を使いこなしてくれるのであればべつに料理人さんでなくてもかまわないが、異国の地で暮らしていてそこまで自国の食材にこだわることは毎日はないはず。郷に入らば郷に従え、というのは自然に実践するものである。

それに、フランス語ヴァージョンをつくるのは、サイトの「ごあんない」の部分だけである。「最新情報」はどうしよう。更新が面倒になる。フランス語があるなら、イタリア語ヴァージョンもなければ片手落ちである。もっとも、手をつけられるのは来シーズンということになるだろうか。

思いたったはいいが、さっそく面倒になってきたので、やっぱり途中でやめてしまうかもしれない。優柔不断なのである。

野菜を粗末にする、大切にする

取引先の料理人さんからとても嬉しいメールをいただいた。「珍しい野菜」をつかいたくて取引きをはじめたが、野菜のおもしろさに目覚めたとおっしゃってくださったのである。火入れや調理法による味わいの変化がおもしろいということである。生産者として、こんなに喜ばしいことはない。

野菜というのは、大量生産の工業製品みたいにすべてが一定した品質、味をもっているわけではない。ある意味では手工業製品にちかいかもしれない。いや、天候やら何やらの外的要因に左右されるから、それ以上に不安定な性格がある。その不安定さというのは、たとえばおなじ畑に植えてあるレタスであっても、収穫のタイミングや、個体差や、収穫後の管理や輸送といったさまざまな要因で、まったくおなじ味とはいえないことに表れている。

ただ、そういう味わいの変化はとても微妙なものだし、「美味しい」ということが文化的、個人的な、いってみれば相対的な価値観である以上はどれがただしいなんて言えない。そういう微妙な変化をうまく捉えて、皿のうえに表現してもらえるなら、生産者冥利につきるというものである。

料理人さんは毎日、膨大な種類の食材をあつかっている。そのなかで、野菜というのはやっぱり「付け合わせ」だったり「ダシ」の材料だったりと、どうしてもオマケみたいな、副次的なイメージがある。それはそれでいいと思う。まきもの屋自身、レストランの客として期待するのは、肉の火入れ、この一点に尽きるとさえいえるのだ。それでも、やっぱり生産者としては、野菜もふくめた素材すべてと真摯にむきあって仕事をする料理人さんとのおつきあいを大切にしたいと思っている。なにも野菜料理を中心にしてくれなどとはまちがっても言わない。付け合わせなら何とどうあわせるのか、必然性はあるのか、そういうことを考えて調理してもらえると嬉しい。

山の中で暮らしているとあんまり外食する機会はないのだが、それでも、野菜を粗末にしちゃっているな…という感想をいだかざるを得ない料理にしょっちゅう出くわす。というか、ほとんどである。量が多いとか少ないとか、そういうことではない。ニンジンはこういうもの、キャベツはこういうもの、という思いこみからか、目のまえにある素材を理解せずに「お決まりの」、いってみれば「手癖」で調理しているんじゃないかと感じるものがたくさんある。

むずかしいのは、雑誌などをみていると、野菜をウリにしているレストランであっても、かならずしも野菜を大切にあつかっていないと思われるような料理がすくなからずあることだ。ある雑誌で紹介されていた「野菜のグリル」。ブロッコリ、アスパラガス、パプリカ、ジャガイモ、ネギをおそらく下処理なしで真っ黒な焦げ目がつくように焼いたもの。言葉ではなかなか表現しにくいが、写真をみれば一目瞭然。不快きわまりない。野菜をグリルすることを云々しているのではない。その焼きかた、とりあわせかた、そういうのが問題なのである。

昨12月に、家人がよばれた結婚披露宴で、あの有名な「農園野菜のテリーヌ」の劣化コピー版に出くわしたという。インゲン、ニンジン、ゴボウ、紫イモをコンソメのジュレで固めて、周囲はサヴォイ、さらにそのまわりに生ハム、という内容らしい。料理名は「有機野菜のテリーヌ」とかいうものだったそうだ。有機云々はべつにして、どの野菜も下ゆでしただけのもので、インゲンやサヴォイは加熱がたりずゴリゴリだったらしい。ソースはなし。見ためだけの、とても料理とはいえないシロモノだったという。ご本家の「農園野菜のテリーヌ」は沢山の種類の野菜を素材ごとに塩ゆでやブイヨンで煮るなどの下処理をしてあるはず。それはともかく、冬にインゲンですか? それも乾物の豆じゃなくてサヤインゲン… しかも生煮えとは…

ポトフという一般には誤解されてしまった料理がある。あれは肉と野菜からでるダシをたのしむ料理である。いまどきの甘いばっかりで香りのないニンジンや、ポワローのかわりに根深ネギや下仁田ネギをつかっても、とてもじゃないがポトフにはならない。日本の家庭料理としていつのまにかひろまったポトフにいたっては、キャベツ、ニンジン、タマネギ、ソーセージなどをコンソメか「ポトフの素」で煮るものになっている。よそからダシを投入しているわけである。

ラタトゥイユにしてもそうである。ほんらいなら、オリーブオイルと塩だけで野菜を煮込む。水なんか入れない。野菜から味がでるまで煮込むから、煮崩れているのがただしい。なのに、どういうわけか「ラタトゥイユの素」なる商品がある。こういうのは、「野菜に味なんてロクにないから」という発想である。もちろん素材の問題もあるだろうが、野菜を粗末にあつかっている典型的な例だと思う。

いや、フランスでもイタリアでも、野菜なんてものはけっこう「粗末」にあつかわれているのが現実である。そのへんの町場のビストロとかトラットリアで出てくる野菜なんてひどい仕打ちをうけている。イタリアでは、まえにも書いたと思うが、コントルノにたのんだ野菜のグリルに感動したことがある。でも、そういうのは稀有な体験だった。現実はそんなものなのだから、まきもの屋のごとき田舎者の水呑百姓の戯言など捨ておけばいいだろう。

パンにオリーブオイルのご本家?

まきもの屋の周囲には、この問題について一家言あるひとが多いのだが、 こんな記事をみつけた。85年オープンの店「パスタパスタ」で「世界で初めてパンにオリーブオイルを添え」たとある。検証できていないが、このお方なら、いかにもありそうなことだとは思う。

パンにつけるバター、オリーブオイルをレストランが出す、出さないということについて、はっきりいってそれぞれ店の勝手だから、まきもの屋としてはどうでもいいことだと思っている。パンにバターを添えてあったとして、まきもの屋自身は、必要ないと思っているから、無視していいものだと考えている。ほとんど気にならない。

そうはいっても、パンにオリーブオイルをつけて美味しいのかね? まきもの屋は独り身のころ、缶詰のアンチョヴィのオイルだけとっておいて、バゲットにつけて食べたものだが、それはほかに料理がないときのはなしだし、アンチョヴィ味の油と、ふつうにあるEXヴァージンオイルは風味がかなりちがう。フィレンツェ風の無塩のボソボソしたパンならいいかもしれないが、バゲットにはEXヴァージンオイルは試したくない。

もっとも、日本では「まあ食べられる」バゲットを焼いているパン屋さんだってそう多くはないのだから、あんまり口うるさくなるものじゃないだろうとも思う。フランスのパン屋でバゲットを買うと、袋なんかに入れてくれず、せいぜい真ん中あたりに紙を一周巻いてくれるだけなのだが、それを持って部屋まで帰る5分くらいのあいだに、気づいたら3分の1くらい歩きながら食べてしまっているような、そういうものには残念なことに出会っていないのである。そんな事情もあるから、パンにオリーブオイルをつけて美味しかろうがどうだろうが、まきもの屋はそういうことをしようと思っていないし、所詮は他人事である。

が、この問題、じつは根がふかい、むずかしいところがある。レストランでの食事の際にバターやオリーブオイルがパンに添えてあるのがあたりまえだとすると、多くのひとは、パンを心の底では「美味しい」と思っていないんじゃないか、ということにつながるのだ。とくにパンの味については、いわゆるリッチなパンのほうが日本では好まれる傾向があるし、むかしは学校給食でアメリカ式食パンとマーガリンの組みあわせで強制的に食べさせられたということもある。バゲットやパン・ド・カンパーニュ、パン・ド・セーグルやパン・コンプレ、あるいはフィレンツェ風の無塩パンを「美味しい」とほんとうに思っている日本人はどれだけいるのか。絶対数はけっこういたとしても、比率としてはごくわずかじゃないのか。

おなじことは、サラダに代表される生野菜にもいえる。レタスは一般にも人気だけど、それはアメリカ由来のクリスプヘッド、いわゆる玉レタスだけ。それ以外は見向きもされないのが現実である。いずれにしたって、ドレッシングやマヨネーズなしでは食べない。人間の味覚には「油脂はおいしい」というすりこみがあって、おいしくないと思うものには、まずこれがないとダメなのだ。牛肉を食べるということが100年ちょっと前までは一般的でなかった日本で、霜降り肉が珍重されるようになったことと根はおなじである。ようするに脂の味を「美味しい」と思っているのである。

ほんらいなら、牛肉はグラスフェッドでなければおかしい。もともとは穀物よりは草を食べる動物なんだから、牧草肥育がただしいはずである。ところが、国産やUSはいうまでもなく、いまどきの輸入牛肉はオーストラリアやニュージーランドのものでもグレインフェッドやミドルフェッドのものが主流になってしまっているらしい。グレインフェッドつまり穀物肥育が、より脂肪を効率的につけさせるためのものであることを知らないひとはいないと思う。そういう意味では、パンにバターやオリーブオイルを添えて出さないレストランはそこそこあるのに、グラスフェッドのしっかりと熟成させた牛肉しか出しません、という店がほとんどないように思われるのは、どういうことなのだろう。まきもの屋にとっては、パンとバターやオリーブオイルよりも、こちらのほうがよほど重大な問題である。

またフザケた料理名を考えてみた

雪が積もってしまい、ロクに仕事にもならない。500円で買ってきたブラジル産のニワトリで"Poulet rôti"をつくったのだが、なんとなく面倒でフリットを省略したら、なんともものたりない。で、つまらぬインチキ料理名をまたもや思いついてしまった。

Trinité printanière "Botticelli"; artichaut, fenouil et asperges, coquille Saint-Jacques grillée, huile d'olive aux aromatiques

春のトリニティ「ボッティチェッリ風」 アーティチョーク、フェンネルとアスパラガス; 帆立貝のグリルを添えて、ハーブで香りをつけたオリーブオイルで

と、でっちあげたのはいいが、どうも内容はイタリア料理である。フランス語で発想したのだが、イタリア語に訳してみると

Trinita primaverile "Botticelli";asparago, carciofo e finocchio, conchiglia San Giacomo alla griglia, olio d'oliva alle aromatiche

あんまりおもしろくないのである。まきもの屋が「インチキ料理名」といって遊んでいるのは、いまどきのオート・ガストロノミックなフランス料理の料理名のつけかたをパロディにしているわけだから、イタリア料理の流儀にはあわないのである。なんだかつまらない。

前回と同様、かなりひねってあるので、だれにもわからない「笑えない冗談」になっているだろうから、野暮を承知で繰り言を書いてみる。主役にした3つの野菜はどれも"aphrodisiaque"、イタリア語だと"afrodisiaco"なものと俗にいわれている。この単語、いうまでもなくアフロディテ(=ヴィーナス、美の女神)を語源とする。ヴィーナスといえばルネサンス期のイタリアの画家、サンドロ・ボッティチェッリの『春』と『ヴィーナスの誕生』である。『春』には三美神が描かれている。ここからトップにもってきたトリニティ(三位一体)の語につながる。本来は皿の中心となるところに帆立をもってきたのは、『ヴィーナスの誕生』でアフロディテが帆立の貝殻のうえに立っているからである。さいごのアロマティックは、なんとなくアフロディズィアック→アロマティック(ハーブ)の連想にすぎない。

じつのところ、トリニティということばは、とある高級ホテルのレストランの料理名で「トリロジー」"trilogie"(三部作)という語がつかわれているのをWEBでみつけて、家人と笑いながら、「この調子じゃトリニテを使うひともでてくるね…」と言っていたのだが、どうせならまきもの屋がこれをもとにパロディをつくってしまおう、というわけなのである。

なんとなくイタリア料理風のイメージになったが、これはボッティチェッリによる発想の束縛だろう。じっさいには、ハーブをきかせたソース・ブランシュかなにかでまとめれば、それなりにフランス料理になりそうな気もしないではない。そんなわけで、まるっきり不可能な料理じゃないと思うが、このとりあわせの必然性は、上に書いたような「洒落」にもとづくものでしかない。

Agriculture Raisonée (5) -- エコファーマー

このテーマ、しばらく放置してしまったが、これまでの内容は以下をご参照ねがいたい。

さて、有機JAS、特別栽培とならんで、エコファーマーという制度がある。都道府県単位で認定されている。持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律とその関連法令にもとづいた制度である。かんたんにいうと、「環境保全型農業」を推進することを目的としたものだ。

群馬県の認定制度をみると、特定の品目について、「平成11年7月に制定された「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律(持続農業法)」第4条に基づき、「持続性の高い農業生産方式の導入に関する計画」(1.たい肥等施用技術 2.化学肥料低減技術 3.化学農薬低減技術 この3つの技術を一体的に行い、環境にやさしい農業を実践する計画)を策定し、当該導入計画を知事に認定された農業者(認定農業者)の愛称」となっている。

ちょっとわかりにくいのだが、この認定、品目ごとに受けることになっている。名称が「エコファーマー」という、農業者じしんにたいしての認定であると思わせるものになっているが、あくまでもキャベツなり、レタスなり、リンゴなりといった品目ごとである。じつにまぎらわしい。逆にいうと、ひとりの生産者が、キャベツでエコファーマーの認定をとっていて、そのほかにホウレンソウも栽培していたとする。ホウレンソウについてもエコファーマーの認定をうけていなければ、後者についてはエコファーマーであることの「表示」はできないということになる。言いかたをかえると、「わたしはキャベツではエコファーマーです。でもホウレンソウではエコファーマーではありません」となる。このあたり、どの程度厳格に運用されているのかは知らない。

この制度のキモは、「計画を策定し、当該導入計画を知事に認定」されるということである。あくまでも「計画」であり、それは当然ながら書類のかたちをとっている。計画がどのように実施、実現されているかのチェックはない。ただ計画書を役所に提出して審査をうけて通りました、というだけのことである。当然ながら有機JASなどとくらべると必要な書類の数がすくない。費用もほとんどかからない。だから生産者としてはとりくみやすいという利点がある。

しつこいようだが、あくまでも「計画書」ベースのものである。また、「環境保全型農業」推進のためのものだから、「安全」とか「安心」といったことは一言もいっていないはずである。このあたりは一般消費者のかたがたにもしっかりと認識していただきたいところである。

まきもの屋についていえば、エコファーマーの認定取得も検討はしてみたのだが、品目単位というところでダメということになった。化学肥料や化学農薬を「低減」するということは、特別栽培の場合とおなじく、なんらかの「標準」がなければならないのである。マイナー品目であれば、「標準」となる数値は専門書に書いてあることはあっても、役所の資料にはないことが多い。ましてやイタリア語やフランス語の資料をもとに栽培しているのであれば、役所としては対応できないということになる。それに、品目ごとにということでは、まきもの屋のように品目の多いケースでは制度としてまったくマッチしないのである。

ここで、この一連のテーマのさいしょに書いた、まきもの屋がいくら化学肥料や化学合成農薬の使用を控えていても、制度上の問題から、商品に「わかりやすい表示」ができないというところにもどるのである。いまの日本の法律、制度にしたがうのは当然のことだから、まきもの屋の野菜はこのテの表示のまったくない、たんなる「群馬県倉渕産」の野菜としか表示できないのである。倉渕でまきもの屋とおなじ品目を手がけている生産者はいまのところ皆無なので、まきもの屋の野菜はまきもの屋の野菜、ということしか言えない。じつはここがポイントである。ビジネスというのは、他人とおなじこと、他人にもできることをやっていては飛躍はない。じゃあどうするのか。そのあたりは生暖かく見守っていただきたくお願い申しあげる。

教える?

たとえばのハナシである。内燃機関のひとつ、ガソリンエンジンなんかはこの100年以上、原理はまったく変っていない。個人の趣味でも事業でもいいが、エンジンをつくって自動車だかオートバイだかに載せてみようと計画なりをする。計画段階でも実行しているどのステージでもいいが、たとえばHONDAなりYAMAHAに「いま直噴4気筒1500ccくらいのエンジンの製作にとりくんでいるんですが、製作上のポイントとかコツを教えてください」なんてメールで問いあわせをするだろうか。あるいは、そういうメールにたいして、メーカーはどういう返事をするだろうか。

農業の世界ではこういうことがまかり通っているのである。「○○という野菜の栽培方法を教えてくれ」なんてメールをいただいたことは一度や二度ではないのだ。そりゃ野菜の栽培技術なんてものはほとんどがパブリック・ドメインになっているのが現実だから、企業秘密みたいなものはそうそうはない(もちろん例外はある)。皆が共有していい知識であるから、訊いたら教えてもらえると思う気持ちも理解できなくはない。じっさい、訊かれもしないのに栽培技術について滔々と語る生産者もすくなからずいる。

でも、「教える」ということをしばらくのあいだ仕事にし、それで生活の糧を得ていた身としては、たとえパブリック・ドメインな知識であっても、見ず知らすの相手によろこんでロハでお教えすることはできないのである。ある知識を教えることのできる人間が、その知識を得るにはすでに相応のコストなり時間なり、本人の努力なりといったものが必要だったのであって、それを習得したのちに「教える」ことができるようになったわけである。「教える」ということは、そうそう気安くできるもんじゃないのだ。

もっとも、まきもの屋も気が弱いところがあるので、「○○という野菜の栽培方法を教えろ」という見ず知らずの相手からのメールを無視することもできない。仕方ないので、イタリア語かフランス語の文献かWEBサイトのURLくらいは提示することにしている。だいたい、そういう返事を送ると、それっきり音沙汰なくなるのだが、さらに、その内容を日本語で教えろ、という要望があるなら業務として翻訳を承る。もちろん相応の料金はいただくことになる。これを「意地悪」とか「ケチ」と受けとめるのであれば、もういちどこの文章を最初から読みなおしていただきたい。どんなに懇切丁寧に日本語で説明したって、それっきり礼の一言もなかったことだって一度や二度ではないのである。

プロの生産者がイタリア野菜、フランス野菜を栽培するというのであれば、多少なりともイタリア語、フランス語の知識は必要である。そうじゃないと、じぶんのつくった商品に責任が持てないでしょう。まずは語学からはじめ、食文化にかんする知識を深めるのがよいと思う。「急がば回れ」というではないか。基礎は大事なのである。その基礎をすっとばして、オイシイところだけを得ようとするのはよろしくない。そんなことでは結局は「なんちゃって」西洋野菜しかできないと肝に銘じていただきたいと思う。

もちろん、まきもの屋の商品(=野菜)をレストランで調理してお客様に召しあがってもらうにあたって必要な知識、情報はきちんと提供させていただいている。また、売り手や使い手の方々に商品をアピールする段階で必要な知識、情報も同様である。こういうのはメーカーの広告、広報、顧客サポートとおなじであって、同一内容の知識、情報であっても上に書いたのとは意味あいが異なる。

MOF. MOF.

"Meilleurs ouvriers de France"(フランス最優秀職人)のことではない。ましてや、"Ministry of Finance"(財務省)のことでは断じてない。家人いわく「松吉、俺様フワフワ」のことだそうだ。飼い猫が「岡田松吉」というムダに立派な名前なのである。いうまでもなく、猫は「もふもふ」するもの。ちょっと笑えたので採用することにした。このところ、家人は「黒まき、白まき」やら、いろいろヒットをとばす。冬である。

インチキ料理名をいろいろ考えてみる

先日、BLOGの記事の論旨のつごうでインチキ料理名を適当にでっちあげてみたわけだが、存外たのしかったので、ほかにも考えてみる。あくまでも「お遊び」なので、真にうけないよう切にお願いする。お題があったほうが面白いので、2009年冬に予定しているまきもの屋の野菜を中心にすえてフランス料理のムニュをでっちあげてみよう。いま畑にある野菜とはかぎらないところがミソである。

MENU

ENTRÉE
前菜

Radis noir confit et langue de boeuf en gelée
黒ダイコンのピクルスとジュレにつつまれた牛タン

Chou palmier tendrement braisé, boudin noir et pomme compotée
柔かくブレゼしたカーヴォロ・ネーロ、ブダン・ノワールとリンゴのコンポートを添えて

Coulis de betteraves multicolores et son foie gras d'oie poêlé
3色のビーツのクーリ、ガチョウのフォアグラのポワレ添え

Conjugaison de topinambour, accentuée par langoustine grillé et poivre vert
トピナンブールのコンジュゲゾン、アカザエビのグリルとポワヴル・ヴェールをアクセントに


PLAT
メインディッシュ

Chicorée sauvage "Puntarelle" farcie de beurre et d'anchois, raie poché sauce vin blanc
プンタレッレのファルシ、アンチョヴィとバター詰め、エイのポシェとともに、白ワイン・ソースで

Blette braisée jusqu'en quasi purée, matelot d'anguille
とろけるほどにブレゼしたブレットとウナギの赤ワイン煮込み

L'embeurrée de mini-poireaux et son canard laqué à l'orange
ミニ・ポワローのアンブレと鴨のオレンジ風味のラケ

Céleri-rave Anette sur médaillon de cerf, sauce fraises de bois
鹿のメダイヨンに載せたセルリ・ラーヴのアネット、ワイルド・ストロベリー・ソース

Mâche et carotte multicolore sautée en salade et lièvre fricassé
マーシュとソテーした5色のニンジンのサラダ仕立て、野兎のフリカセとともに


FROMAGE ou DESSERT
チーズまたはデセール


こういうのを考えるのはけっこう愉しい。でも、あくまでもシャレである。べつにここに書いたような料理を食べたいと思っているわけではないし、レストランさんに「提案」というわけでもない。「提案」はもうちょっとべつのかたちでさせていただいている。今回、8割方はビストロ的な料理を核にしているが、一部はガストロノミックな高級店で実際にありそうな料理もまぜてみた。ただ、料理名の表現方法じたいはかなりふざけたものになっていると思う。日本語もフランス語も、ようするにパロディというかパスティシュなのだが、これを見て笑ってくれるひとははたしているのだろうか。真面目な料理人さんに怒られないかちょっと心配である。

しつこいようだが、たんなる冗談である。冗談だけど、それでも著作権は保持するので、万が一、なんらかのかたちでこれらのインチキ料理名をご使用になる場合にはご一報いただきたい。

ピーマン、トウガラシ、パプリカ、その他の名称

例によって野菜の名まえについて、というか言葉にかんする知識のひけらかしである。農家のオヤジがこういう駄文をせっせと書くのは、すっかり冬も本番ということである。ともあれ、こういうのが鼻につくと思われる方におかれてはゆるくスルーしていただきたくお願い申しあげる。

日本語ではピーマン、トウガラシ、パプリカなどと呼んで、ちがう野菜のようなあつかいになっているが、ようするに同じナス科の野菜であって、学名Capucium annumである。もちろんVar.で下位区分があって、いろいろに分類はされている。フランス語では辛くないものを"poivron"(ポワヴロン)、辛いものを"piment"(ピマン)といっている。 フランス語では「唐辛子をきかせる」とか「辛くする」という意味で"pimenter"という動詞がある。パリにいたころ、「陳氏兄弟市場」や「巴黎超級市場」(どちらも13区にある越橋系のスーパーマーケット)に買い物にいったついでにヴェトナム風サンドイッチを買うと、"pimenté ou non?"(辛いの、辛くないの?)ときかれたものである。あの、バゲットにヌォック・マムとトウガラシで味つけをしたニンジンのラペと得体の知れない肉の練り物をはさんだサンドイッチは忘れることができない。なかなかにキッチュ(ジャンクではないと言いたい)だけど、カルチエ・ラタンにたくさんあるピタでケバブをはさんだギリシャ風だかトルコ風だかのサンドイッチと同様に、いまでもときおり食べたくなる味の記憶である。

また脱線してしまったが、イタリア語では大きいものを"peperone"(ペペローネ)、小さいものを"peperoncino"(ペペロンチーノ)という。辛いかそうでないかを明確にするために、"peperone dolce"とか"peperoncino piccante"ということもあるが、あんまり日常的ではないように思う。だいたい、この野菜は大きいものには辛い品種はほとんどないし、小さいものは辛いほうが多いから、現実的には大きさで分類してもそれほど問題はないのだろう。英語では辛くないものを"sweet pepper"、辛いものを"hot pepper"という。ようするに"pepper"なのである。

かんけいないが、マザーグースに"Peter Piper picked a peck of pickled peppers..."というのがある。これは言うまでもなくコショウというよりはトウガラシ、ピーマンの類であるが、辛いか辛くないかはわからない。どちらもピクルスにするからである。

さて、問題は日本語である。日本語でピーマンというと、辛くない、比較的小ぶりの青い未熟果で30g前後のものを指す。「獅子型」ともよばれる品種群で、いわゆる野菜としてのパプリカのような「ベル型」とは区別されている。この「パプリカ」という名称が曲者である。日本では野菜としては大型で肉厚のベル型を指すが、香辛料としてはふつうは乾燥、粉末にしたもののことをいう。前者は「オランダ・パプリカ」ともいう。「パプリカ」という名称はそもそもハンガリー語の「唐辛子」全般を意味するものだというが、フランス語で"paprika"というと乾燥、粉末にしたもののことをいう。この場合、ふつうは辛くはない。日本語でいう野菜としてのパプリカは上述のように、"poivron"である。香辛料としてのパプリカは野菜としてのオランダ・パプリカの乾燥粉末ではない。

日本語では辛いかそうでないかは名称の基準になっていないような、なっているような、不思議な語感がある。唐辛子というとふつうは「辛い」イメージがあるが、「万願寺」や「伏見」のように「甘唐辛子」というものもあるし、「シシトウ」のごときもある。「シシトウ」は「獅子唐辛子」のことであって、上で書いた「獅子型」とおなじである。いま日本でふつうに「ピーマン」といっている品種群の歴史は意外と浅いようで、このシシトウの類とベル型の「カリフォルニア・ワンダー」の交配によってつくられたものだとどこかで読んだ記憶がある。古い固定種で「魁」というピーマンの品種があるが、やや小型で果肉のすこし薄いカリフォルニア・ワンダーといった趣である。じっさい、カリフォルニア・ワンダーでも小ぶりの果実がつくことがあるが、これと「魁」は並べてみても区別がつかないほどである。

さいきんは「ホルン」という牛角型のものもあって、これはイタリア語でいう"corno di toro"、英語の"bull's horn"という品種群である。辛くはない。あるいは「バナナピーマン」というのもあって、これは"hungarian wax"という品種群である。バナナピーマンというとふつうは辛くないが、"hungarian wax"にはやや辛いものとまったく辛くないものがある。

英語の"pepper"、イタリア語の"peperone"、フランス語の"poivron"はいずれも「コショウ」に由来しているが、これはコロンブス以降、この野菜がヨーロッパに導入された際に、当時「コショウ」がたいへん貴重なものであったことと関係があるという。いっぽう、日本語の唐辛子は「唐」の「芥子」ということのようである。「唐」はいまでいう中国のことというよりも「外国」の意味である(アーティチョークの和名「チョウセンアザミ」の「朝鮮」とおなじである)。芥子はいうまでもなく、カラシ、マスタードのことだが、これはアブラナ科の植物である。やっかいなことに「芥子」は「ケシ」とも読む。もちろん「ケシ」は別の植物である。ここまでくるともうわけがわからない。

フランスには「ピマン・デスペレット」"piment d'Espelette"というのがあって、ようするにちょっと辛い、香りゆたかなパプリカ(粉末)であるが、これは果実の写真をみると、ちょっと大ぶりのトウガラシそのものである。フランス南西部のEspeletteというところの特産品で、A.O.C.をとっている。"Gorria"という地方品種をもちいているらしいが、タネの入手可能性も低いし、唐辛子類は栽培条件によってかなり味が異なる結果になるから、いまのところ挑戦するつもりはない。ちなみに、「ピマン・デスプレット」という表記もあるが、フランス語の読みかたとしてはどちらもただしいようである。南仏の都市Montpellierを「モンペリエ」、「モンプリエ」のどちらで読んでも間違いではないのと同じである。

タカノツメで充分?

日本で一般的に流通している乾燥トウガラシ(ホウル)は、たいていタカノツメという品種群である。ホンタカ、クマタカとかヤツブサなど品種があるが、いずれもものすごく辛い。トウガラシの辛さをあらわす数値スコヴィルでいうと、クマタカが125,000、ヤツブサが5万〜8万、ホンタカが 5万〜6万である。ハバネロのなかでもっとも辛いレッド・サビナが35万〜58万、世界一といわれているブート・ジョロキアが記録では1,001,304、いっぽうカイエンヌはフランス語版のWikipediaによると5,000〜15,000となっている。カイエンヌのスコヴィル値を30,000〜50,000とする表もあるが、これはアメリカ大陸のカイエンヌのことを指していると思われる。じっさいに栽培し、食べた実感としては、10,000以下の数値のように思う(もっとも、トウガラシの辛さというのは、栽培地の気候などにかなり左右されるというので、こういうことはいくらか差しひいて考えるべきだろう)。まきもの屋が自家用につくっている日光唐辛子は伏見唐辛子と同じ系統に属する地方品種で、スコヴィル値は3,000〜10,000といわれている。ちなみに、フランスのピマン・デスペレットは1,500〜2,500、いわゆる香辛料としてのパプリカは100〜500だそうだ。

よく知られているように「辛さ」というのは、味覚にはない。味覚というのは、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味の5種類である。じゃあ「辛味」はなにかというと、「痛み」である。「辛さ」だけが問題なら、スコヴィル値の高いものをつかえばいい。料理の味つけという点でも、分量を調整すればこと足りるだろう。じっさい、そういう調味料はある。

ちょっと気になるのは、カイエンヌは品種名だが、「カイエンペッパー」が唐辛子の総称として慣習的にもちいられ、商品名としても通用していることである。このあたりの事情は、カレー粉で有名なスパイスメーカーのサイトにちょっと歯切れはわるいが説明されている。じっさい、このメーカーの「カイエンペッパー」という商品が品種としての「カイエンヌ」を使用しているかどうかはわからない。「中身は唐辛子」とばっさり切っている。だから、「カイエンヌ」と「カイエンペッパー」はかならずしもイコールじゃないと考えたほうがいいだろう。

じぶんでトウガラシを栽培していて思うのは、たんなる「辛さ」だけじゃなく、辛さと甘みと香りのバランスが重要だということである。いまは時期ではないが、フレッシュのカイエンヌや日光を料理につかったときに実感する。程度の差こそあれ、乾燥品でもおなじだと思う。

複数の料理人さんにカイエンヌを商品提案したことがあるが、いままでのところそれほど芳しい反応を得られていないのが正直なところである。まきもの屋じしんの実感として、タカノツメとかなり違うし、品質についても問題があるとは思えないので、ちょっとかなしい。提案のしかたが悪いのかな…。もちろん、レストランの場合は原価の問題があるから、まきもの屋のカイエンヌを日常的につかってもらうのはちょっと大変かもしれない。

それはともかく、ニンニクとトウガラシの焦げるにおいがすると不幸になるのはまきもの屋だけなのだろうか。狐色か狸色になった苦いニンニクと真っ黒なタカノツメなんてぞっとするんだけど…