Archive for March 2009

スイスチャードの蒸し煮と牛肩肉の炭火焼き

ミニサイズのスイスチャードである。こいつの形と色を活かすとなると、エチュヴェ、エトゥフェ、ブレゼあたりが無難か。どれも似たような調理法だなぁ。そのままグリルとかソテーはあまりおすすめしたくないし…。だいたい、ホウレンソウでもミニ・ポワローでも、いきなりグリルとかソテーするのは個人的には好きではない。

マルチ・カラードではあっても、本質はビエトラ(ブレット)である。だからクタクタになるまで加熱したほうがおいしい。バターとよくあう。ミニサイズだと比較的はやく火がとおる。そういう意味ではお手軽である。

フルサイズのビエトラ(ブレット)だと、しっかり下茹でしてからいろいろな調理法でたのしめるんだが…。マルチ・カラードというのは色を活かさないことにはおはなしにならないから、まきもの屋のごとき料理の素人にはけっこうあつかいがむずかしい。USで一世を風靡したのもこの色合いを考えるとうなづける。野菜版ジェリービーンズかマーブルチョコみたいな気もしないではない。

さて、本日のつけあわせ(笑)であるが、がんばって炭をおこしてみた。といっても七輪である。ソースをつくるのが面倒というのもあるが、こういうのは「焼きっぱなし」が好きである。塩、コショウ、マスタードでわしわし喰う。

セルリラーヴのピュレと仔羊のマスタード・パン粉焼き

いつもながらに見苦しい写真でまことに申しわけない。とくに今回はクリックして拡大しないことをおすすめいたしまする。所詮は素人料理で素人写真である。しかも自分の夕食なんだから、できあがったらはやく食べたいのである。写真をのせるかどうかなんてBlog主個人の勝手なんだから、愚痴ではない。料理の盛り付けと写真がヘタなことの言い訳である。

さて、料理名だが、どうも日本語だとしっくりこない。フランス語だと"purée de céleri-rave, carré d'agneau en croûte de moutarde"なんだが…。それはともかく、セルリラーヴは晩秋に収穫して保存しておいたものである。まちがっても春が旬なんかじゃない。寒の戻りとはいえ、ようやく倉渕も春めいてきたので、そろそろ冬の保存食材の在庫一層というわけである。しっかり「ス」がはいっているので、「売れ」なんておっしゃらないでいただきたい。今日のは「ピュレ」というよりは「マッシュ」みたいな感じになったが、これは裏漉ししていないため。横着はよくないね。

関係ないが、セルリラーヴは「商品」として通用するものだと、2人分には大きすぎる。基本的に「自家用」として栽培してきたから、とにかく使いきりサイズをねらって作ってきた。それでも今日は一人宛300gくらい使ってしまった…。はっきりいって多い。食べすぎである。いちどにこんなに食べるから、すぐに食傷してしまうのである。

おどろくべきことに、岡田松吉(飼い猫の名)が茹でたセルリラーヴを好きなのである。生でラペしたものには興味をしめさない。フードプロセッサにかけた味付けまえのものを食べたがる(塩味なんかつけたら食べさせてはいけないのである)。よその猫のことは知らないが、岡田松吉は茹でたジャガイモ、スイートコーン、枝豆、チーメ・ディ・ラーパなんかも好きで食べたがる。ただし、まきもの屋のものに限るらしくて、よそからもらってきたものやスーパーで買ってきたものだと、同じ野菜でもまったく興味をしめさない。

ようやく本題だが、皮をむいてやわらかく茹でたセルリラーヴを茹で汁をくわえてフードプロセッサにかけて、バター、塩、コショウで味付けしただけ。こんなんでもけっこうおいしい。アニョーはほとんど掃除していない。で、リソレしてから全面にディジョン・マスタードをぬり、アッシェしたイタパセとローズマリーをまぜたパン粉をたっぷりつけてオーブンへ。こっちはまぁ、「付け合わせ」みたいなものである(笑。

ペンネ・アッラ・カルボナーラ

こうなるとほとんど「料理ブログ」である(笑。今日は2食つづけてパスタ。"Basta così"という感じである。先日焼いたパンを食べきってしまったのと、精米したコメが終わってしまったので、必然的にこうなる。で、ひさしぶりにカルボナーラである。カルボナーラはショートパスタと決めている。まれに外食するときでも、スパゲッティだったら注文しない。ペンネかリガトーニでつくってもらえるか訊けばいいんだが、そんなことをしたらお店のひとに目をつけられる。

なにしろ、ふつうにアンティパスト、プリモ、セコンド、ワインと注文しただけで、「同業者ですか」なんて言われることのある土地柄である。2、3度行っただけの店で、「ウォッシュタイプのチーズは何があるの?」と訊いたら「このあいだのとおなじです」なんて返されてショックをうけたこともある。それってエポワスだったじゃん…。エポワスは大好きだが、イタリア料理屋を名乗っているところででてきてもこまるんですけど…。

おなじ店。ディジェスティーヴォにサンブーカをたのんで、グラスだけでてきたから、「コーヒー豆を少々もらえますか?」とお願いすると、さいしょは「?」なリアクションでかえされてやや気まずくなり、数ヶ月後に何もいわずにサンブーカを注文すると自動的にコーヒー豆がでてきたこともある。サーヴィス人のスキルとしては賞賛すべきことなんだが、あんまりうれしくなかったりする。憶えられたくないんだもん…。

いや、いきなりサンブーカ・コン・モスカがきてもイヤで、コーヒー豆を齧りながら飲みたいわけだから、ちゃんと希望を言わなきゃならないんだが…。このあたりはじつにむずかしい。なんでカネを払って、そんなに気をつかいながら食事せにゃならんのだ。そんなわけで、いわゆるCPもあんまりよくない店だし、それ以後は足が遠のいている。

ちなみに、あるフランス料理を名乗る店でアペリティフにペルノーをたのんだら、いきなり水でうすめたのを持ってこられて、ものすごく不幸になったことがある。水を加えたときの、 あの色の変化する瞬間を楽しませてくれないなんてどういう了簡なんだ…。思いだしたら腹がたってきた。

で、本題のカルボナーラである。グアンチャーレなんてもちろんないから自作のパンチェッタ。ペコリーノ・ロマーノ、卵黄、コショウ、オリーブオイルとバターでつくる。生クリームをつかうのは論外として、全卵もつかわない。卵黄だけである。全卵だと、ボウルであえるだけじゃ卵かけご飯みたいになるし、そうじゃなければよほど上手に加熱しないと、できそこないのスクランブルドエッグか炒り卵みたいになってしまう。むかし、ローマっ子の友人から、「卵黄だけでつくるのがいいよ」といわれたのを忠実にまもっている。

さて、卵白の使いみちを考えなきゃ。コンソメを引くなんてことは絶対にないので、明日の朝食は「白身焼き」かな…。ズッキーニの季節だったら、ベニエにつかっちゃえるんだけど。

三陸つぼみ菜とツナのスパゲティーニ

本日のパスタランチ(笑。いってみれば「倉渕イタリアン」である。三陸つぼみ菜は比較的風味がつよいので、ツナとアンチョビペースト、冷凍してあったトマトペーストで対抗する。今日はDeCeccoのNo.11(ちゃんと買ってまいりました…)。それでもどこか和風な気がするのは、三陸つぼみ菜が本質的に菜花だからだろうか。まぁ、それを言ったらチーメ・ディ・ラーパだって菜花なんだけど、似たような見た目なのに味がぜんぜんちがうところがおもしろい。どうでもいいが、国内メーカーのツナ缶というのは、どうしてあんなにいろいろ余計なものがはいっているんだろう。シンプルなオイル漬けがいいのに…。

サイト・リニューアル中(笑

ご覧のとおり、サイトのデザインをちょっといじっている。表示がおかしい場合は、ブラウザでリロードしてみてください。

これにともなって、「おまかせ西洋野菜セット」「お取引について」のページも書きなおした。もうそろそろシーズンだから。でも、こんな書きかたじゃ取引先は増えないだろうな…。わかっちゃいるんだけど、こう書かざるを得ないんだからしょうがない。どうにも商売人に徹することができないのである。べつに「産直」で金儲けをしようとは考えていないんだと強がってみる。

そもそも、金儲けが目的なら、「レストラン様限定」なんてせずに、スポットでも単品でもオーダーをうけたほうがいいにきまっている。使いこなしてもらえるかなんて心配せずに、とにかく誰にでもいいから売ったほうが勝ちという考えでやんないと。それこそ「黒キャベツのジャコいため」とか「プンタレッレのキンピラ」みたいな料理提案を適当に乱発するくらいがいいんだろうな…。

でもそんなことはできないのである。まきもの屋にとって、西洋野菜はあくまでも「異国の食文化」の一部であって、そういう意味では「文化」を売っているのである。

サヴォイと貧乏人のアスパラガスのリゾット

春野菜のリゾット(笑)なんぞでは断じてない。いまどきサヴォイなんて年中あるし、フルサイズのポワローじゃないから、季節不明になってしまっているが、あえて季節感ということをいうなら冬の料理である。ただ、ミニ・ポワローをつかうと葉の部分もはいるから、緑色が濃くなる(ただし、そのぶんポワロー特有の旨味はすくない)。ミニ・ポワローの本来の旬はいうまでもなく初夏である。さて、仕上げにたっぷりのバター(もちろん無塩)とおろしたてのペコリーノ・ロマーノ(こういう料理だとグラーナ・パダーノかパルミッジャーノがいいのだが、さすがに似たようなタイプのチーズを冷蔵庫に同時に置いておくことはできないのが貧乏人のつらいところである)。

ところで、ロッシーニのオペラ『タンクレーディ』のなかの"Di tanti palpiti..."というアリアは別名"aria del riso"(コメのアリア)とよばれる。リゾットが煮えるのを待ちながらその短い時間で作曲したという逸話からきている。元ネタはスタンダール『ロッシーニ伝』だったと思う。このアリア、1830年ごろのヨーロッパ、とくにパリで大流行したのである。どのくらい流行していたかというと、1830年出版のバルザックの小説『ラ・ポー・ド・シャグラン』(かつては『あら皮』と訳されていた。どこぞの高級ステーキ屋みたいである…)の冒頭、人生に絶望した主人公の青年が賭場で全財産をすってしまい、賭場をでて階段をおりるときにこのアリアを口笛で吹く。彼じしんにしか聞こえないくらいかすかに。当然ながらそれだけの表現で当時の小説の読者はわかったのである。で、このはなし、ちょっと仕掛けがあって、主人公はセーヌ河に身をなげようかというつもりなんだが、このアリアの歌詞に"Mi rivedrai, ti rivedro..."という部分がある。なにしろ小説の冒頭なんだから、いきなり主人公が死んでしまってはもともこもないのだが、これから展開していく物語の内容をそれとなく暗示する役割をこのアリアの「引用」がもっているのである。小難しいはなしはべつとして、それだけの「名曲」をいともやすやすと作曲するロッシーニの天才! というのがこのスタンダールが 書いた「コメのアリア」の逸話の眼目である。

ロッシーニといえば、「トゥルヌドのロッシーニ風」なんて料理名にも名前がのこっているわけで、デュマ・ペールとならんで稀代の食道楽で知られている。エスコフィエよりも半世紀以上むかし、いまのフランス料理とはかなりちがったものだったみたいだが、いろいろと新しい食材が登場したなかなかおもしろい時代である。パルマンチエの尽力でジャガイモが普及したのが18世紀末、1830年代には前出のバルザックがパリ郊外でパイナップル栽培事業を企てて失敗したり(小説家だが実業家というか山師みたいなところがあったようだ)、1880年没のフロベールの遺作『ブヴァールとペキュシェ』ではそのころ流行りはじめたトマトの生産にふたりの主人公が挑戦して失敗するなんてはなしも描かれている。

サヴォイキャベツとキクイモの蒸し煮、仔羊のロースト

ええ、そうですとも。アニェッロの背骨をはずすときに変に力がはいって、結果的におかしなバラしかたになって、しかもいささか焼きすぎ。こちとら料理は素人なんだから…。いやいや、今日の夕食の本質はサヴォイとキクイモなんである。サヴォイなんか、なにしろ売りものにするにははばかられるとはいえ、まだ畑にあるんだから…。かなり低温にあたったので、結球葉のふちにたまーに黒いところがあるが、それをつまんでしまえばまったく問題ない。で、皮をむいたキクイモといっしょに、バターをくわえて蒸し煮にしたのである。単体でもおいしいんだが、アニェッロとあわせるには、ソースがあったほうがいい。でもそんな余裕はないのである。なにしろ料理は素人なんだから。

まだ農閑期だからこんなことをして遊んでいると思われては心外なので言いわけしておくと、今日だけでも午前中いっぱいマルチ張り、そのあといろいろひっくるめて4000株は定植したんだから、まあまあの労働である。苗の出来がよくなかったので、えらく手間がかかって精神的に疲弊したのである。よくあることだ。で、アニェッロに八つ当たりしたわけ。ついでに言うと、レタスだったら200穴セルトレイ20枚の定植なんてたいした仕事ではない。植え穴あけ込みで一人で1時間に5〜6枚は余裕で植わる。国内メーカーのレタスの種子は優秀だから、よほど育苗で失敗しなければ、定植作業でストレスになることもほとんどない。ところが、今年はいろいろ事情がちがうのである。

さらにしつこく貧乏人のアスパラガス

さすがにいささか食傷気味になってきた。なにしろこのところ「はねだし」がやたらとたくさんでるのである。しつこいようだが、3月はまだ貧乏人のアスパラガスの旬ではない。すくなくとも倉渕では5月以降が旬である。にもかかわらず、今日なぞは、一人宛25本ほどのマリネである。空腹だったし、そこそこおいしいからペロリと食べちゃったのだが、そのあとの野菜スープにも入っていたorz…。家人がいうには、どうせ日曜の出荷のときにまたたくさんはねだしがでるから在庫処分しなければということである。しまった、マリネは保存がきくんだから、あんなに食べなければよかった…(´・ω・`)

今回の野菜スープは家人作である。基本的には冬野菜ののこりで、サヴォイとルタバガ、冷凍しておいたトマトペースト、若干のミートボール、それにくわえて小口に切った貧乏人のアスパラガスが大量に! いや、夫の贔屓目じゃないが、単体としてはけっこうおいしいスープなのである。でも、一人宛で計40本ほどの貧乏人のアスパラガスじゃ、皇帝ネーロじゃないんだから、いくらなんでも食べすきである。こんなことなら、冷凍モノの"carré d'agneau"を昨日、冷蔵庫におろしておいたんだから、こっちも焼くようにすればよかった…。いや、どうせつけあわせに貧乏人のアスパラガスをグリルして添えちゃうんだろうから、結果はおなじか。

こういうのって、とりたたてめずらしいことじゃなくて、トマトの季節にはトマトを食べすぎてうんざりしてしまうし、チーメ・ディ・ラーパも同様である。どれもハシリのころに「おいしい、おいしい」と大喜びで食べまくるのである。これがいけない。食べすぎなのだ。ところがふしぎなことに、レタス・キャベツ農家だったころから、キャベツは毎日食べても飽きることがない。もちろん一般的な品種のヤツである。サヴォイは食傷気味になる。いや、じつはそんなにふしぎなことじゃなくて、毎日の食事というものは、あんまりおいしくてもよくないというだけのことだ。おいしいものは食べすぎちゃいけない。こういうと、まきもの屋の商品のまわりくどい自画自賛みたいだが…。

ふたたび貧乏人のアスパラガス

またまた見苦しい写真だが、どうかご容赦いただきたい。あんまりにも上手くいかないから、やっぱり料理の写真をさらすのはやめるべきなんだろうか…。それはともかく、貧乏人のアスパラガスである。45秒茹でただけ。市販のマヨネーズをつけて食べる。よく火をとおしたほうが、よりアスパラガスっぽいような風味もでることはでるしおいしいのだが、そうなったらきちんとソースをつくらなくては不愉快になるので、手抜きである。

例によって、出荷できないキズものや規格外の「はねだし」である。1回出荷するとけっこうな量になる。こういうことをいうと、B品でも規格外でも、キズものでもいいから安く売ってくれなどというさもしい輩が涌いてでてきたりするんだが、まったくもってあさましいと思う。安くなかったら買わないんでしょ? 正規品だって生産者価格はあんまりにも安くてアホらしくなるくらいなのに、どうしてそれよりも安く売らなきゃならないの?

いや、「らしくない」ことを書いてしまった。かつて、余らせて捨てるよりは使ってもらったほうがいいかなと思って、「はねだし」の野菜をある料理人氏に渡していたことがあるんだが、タダであることの気安さからか、あんまりにもひどい扱いをされているのを見て、心底絶望したからである。だいたい、「安ければ」とか「タダだから」使うというようなさもしい根性では、ホンモノの西洋野菜なんて使いこなせるわけがないのである。だって、本当は必要じゃないということじゃない? 本当に必要なら、どんなに高価といっても野菜の値段なんてタカが知れているんだから、きちんとした値段で買うはずでしょう?

思いだしたら腹がたってきた。いえいえ、読者諸賢にはまったく関係のないはなしなので、ぬるくスルーしていただきたい。見苦しい点はお詫び申しあげる。さいしょは、貧乏人が貧乏人のアスパラガスをつくって食べているというたんなるシャレを書きたかっただけなんだが、貧乏であることと知的精神の貧困はまったくべつのものなのである。貧すれば鈍する? またまたご冗談を(AA略)。かりにもプロとしてのプライドというものがある。カリテ=プリという言葉くらいご存じでしょう? 安かろう悪かろうなんてのは論外だが、「いいものを安く」なんてまさに想像力と理解力の貧困にほからなぬと思うんだが…。

3月は貧乏人のアスパラガスも、ホンモノのアスパラガスも、グリンピースもまだ旬じゃないのに…

どちらも周年で栽培されているから、旬がわからなくなってしまっているみたいだ。それでも「春」のイメージがのこっているのか、3月にははやくもホワイト・アスパラガスなんかがレストランのメニューに載りだすようだ。アスパラガスは地域にもよるけれど、フランスなんかでは5月から6月がとくにホワイト・アスパラガスの季節である。日本でもあんまりかわらない。冬から春のはじめにかけて出荷されているのは、ハウスのなかで休眠打破とか加温といった技術を駆使してつくられているものである。語弊があるかもしれないが、いささか強引なつくりかたをしていると言ってもいいかもしれない。

そんなことをダラダラと書いていたのだが、とあるレストランのBLOGで、3月にグリンピースを旬だとのたまっておられるのをみつけた。いやー、どういう商売をなさろうが、まきもの屋のごときがとやかく申しあげる筋合いはないんだが、こういう「勘違い」というか「誤解」というか「無知」が世の中にはびこっていて、プロの料理人諸氏もその例外ではないというひとつの端的な例だろう。

エンドウ(グリンピース)もソラマメも3月はけっして「旬」じゃない。南九州だって4月がせいぜいなんじゃないか。あえていうなら沖縄か…。野菜の旬というのは、とくに加温もせず、特殊な技術ももちいずに露地で無理なくつくれる作型と考えていただきたい。それに、「産地リレー」というのがあって、暖かいところから寒いところまで時期をずらして栽培することで、長期間、ものによっては周年供給されているわけである。つまり、野菜の旬というのは、時間的なものと空間的なものというふたつの要素から構成されているわけである。

野菜の「旬」がわかりにくくなってしまったのは、われわれ生産サイドにも責任がある。需要があるならば生産者は時期はずれだろうとなんだろうと、出荷できるように努めるものなのだ。かくして産地単位での早出し競争と相成る。で、その結果、3月にグリンピースが旬などといわれてしまうのである。イチゴの旬がいつのまにか12月になってしまったようなものだ。あれは平地の露地であればやっぱり5月が旬なのに…。

ほんとうの意味で、「旬の素材」というのであれば、その地域での野菜なり魚なりの「旬」を基準にかんがえるのがいい。標高がおなじという前提で、半径100kmくらいの範囲でいいと思う。それを基準にして、東京でいうなら、南九州は1ヶ月は春がはやいから、「ハシリ」ということになる。3月のグリンピースなんかでいうと、まぁふつうはハウス栽培の「促成」か「半促成」の作型だから、その地域では「ハシリ」だけど、東京からみたら「ハシリのハシリ」ということになるわけで、ちょっと季節感としてはズレが大きいんじゃないか。

東京であれば関東地方での「旬」をピークに考えたほうがいい。それを基準にして、暖地のモノは「こちらでの旬からするとまだちょっと早いのですが…」といってお出しするくらいのほうがいいんじゃないか。「ハシリのハシリ」なんてものを「旬」といってしまったら、ほんとうにその地域で旬になるころにはお客さんはとっくに食べ飽きてしまっているということになりかねないでしょ。それを、「昨今は野菜の旬がわかりにくくなってまして…」なんていうのは、無知、無定見をさらけだしているだけで、プロとしてはちょっといただけないんじゃないでしょうかね…。

はなしを戻すと、貧乏人のアスパラガスなんて、たしかにほぼ周年で出荷しているわけだが、いくらなんでも3月に需要のピークを持ってこられると、かなり辛いのである。精神的にはかなり負担になっているのが正直なところである。あくまでも旬は5〜6月ということでお願いしますよ。

Spaghetti con cime di rapa

パスタランチ(笑)である。オレッキエッテを打つ時間も技術も気力もないので、マ・マーのスパゲッティ(ゆで時間11分)。ソースのベースはオリーブオイル、バター、ニンニク、アンチョビ、カイエンヌ。サラダとコーヒーはつかない…。サラダ野菜はまだ旬じゃないからいいけど、コーヒーがないのはかなしい(泣)。でも買ってないんだからしょうがないのである。

"Cime di rapa"は蕾がバラバラになるくらい加熱するといいんだが、蕾があるていど大きいものは取引先に送るから、その「はねだし」である。だから蕾もちいさいくて、ほとんど葉っぱである。そんなわけで、火のとおしかたもかなり加減してみた。

この野菜、もともと暖かいところのものだから、本来の旬は秋から春先にかけて、ようするに冬の野菜なのである。倉渕は寒いところなので、旬がずれてしまって、秋と春から初夏にかけてということになる。今回の分は露地で越冬させた株のもの。ちょっと早どりを狙いすぎたか、あんまり味がのっていない。あの独特の風味を期待していたのだが、いささか拍子抜けというのは正直なところ。でもなかなかおいしい。この時期は三陸つぼみ菜というのを毎年自家用につくっていて、おんなじように「倉渕イタリアン」してみるのだが、三陸つぼみ菜は甘みがつよいので、ちょっとバランスがわるい。アンチョビ味にするには"cime di rapa"のほうがやっぱりいいような気がする。

今回も写真をとってみたのだが、湯気でうまく撮れないし、料理は冷めてしまうし、ロクなもんじゃない。食べるのを優先したいところである。

和食と西洋野菜

まきもの屋はイタリア・フランス料理でつかってもらうことを想定して西洋野菜を栽培しているわけだが、もちろん他のジャンルでつかっていただくことを否定はしない。むしろ興味津々だったりする。そりゃそうだ。いま日本で一般野菜としてあつかわれているごくありふれたものだって、かなりの割合で江戸後期あるいは明治以降日本に導入され、第二次大戦後に普及したものがおおい。玉レタスなんてその代表である。あれは進駐軍需要がもとになって国内での生産が本格化したものである。「西洋」じゃないが、ともすれば「和」の野菜と思われがちな白菜だって、日清戦争後に日本に導入されたものである。オクラなんて思いっきりアフリカ野菜である。

あらたに導入された野菜が日本で一般に定着するかどうかは、「和」の調理法とどの程度親和性があるかできまるといってもいい。これはじつに大事なポイントで、モロヘイヤなんかいい例だろう。もともとはエジプトの野菜である。ビタミンが豊富という機能性(=健康食品としての性格)にくわえて、天ぷら、おひたしにいいということで、一気にひろまったのはそんなにむかしのはなしではない。

こんなことをあらためて思ったのは、先日の東京出張の際(イナカの百姓おやじが「出張」なんておこがましいが、やっぱり出張することはあるのだ)、いささかハイグレードな居酒屋というか和食屋にM社長に連れていっていただいたのがきっかけである。総料理長が挨拶にでてきてくださったのだが(M社長がいうには取引先ということである)、M社長に個人的な「おみやげ」として差しあげたミニポワローやルーコラ・セルヴァチカ、ポップコーン、日光とうがらしetc.を、「これおいしいから使ってみて」なんて言ってそっくり渡しちゃうんだもの。ようするにサンプルということになったわけである。

じっさいのところ売り手としては使い手のジャンルがどうであろうとあんまり関係ないのである。これは、まきもの屋のごとき作り手としてもじつはおなじである。件の総料理長氏が、受けとったまきもの屋の野菜をお気に召したかどうかはわからないが、使いこなしていただけるのであればこんなにうれしいことはないのである。イタリア・フランス野菜だからといってジャンルを限定するほど狭い了簡ではない。ただ、まきもの屋はイタリア・フランス料理以外の知識に乏しいから、ヘタにマーケティングできないというだけのことなのだ。

だいたい、フランスの一流といわれるレストランで、水菜や紅芯大根、衛青大根、ミニチンゲンなんかがあたりまえのように使われている時代である。その逆だってあっておかしくはない。

とはいうものの、料理が文化であるいじょうは、その素材となる野菜だってやっぱり文化なのである。その背景をしらずにいいかげんに使っていただきたくはない。それは、異文化にたいする敬意を失した行為といわざるを得ない。だから、カーヴォロネーロのジャコいため、とかプンタレッレのキンピラなんかは否定するのである。一見よく似たべつのものからの類推で発想するのはあまりにも安易なのである。安易に西洋野菜を「和」のジャンルにとりこむことは、ともすれば「もの珍しい」というだけのものにとどまりやすいリスクがある。

あくまでも個人的にだが、「東京イタリアン」とか「和風フレンチ」を苦々しく思って眺めているわけで、そうじゃなくっても西洋料理であたりまえのごとく日本の一般野菜がつかわれることに--たとえそれがもともと西洋から導入されたものであっても--かなり疑問をもっているのである。そんなこともあって、まきもの屋の商品については、イタリア・フランス料理の素材としての提案しかできないし、いまのところはそれでいいと思っている。

貧乏人の夕食

たまには写真つきで今日の献立をさらしてみる。もっとも、せっかく料理したのだからはやく食べたいので、ロクな写真が撮れない。それに、素人だからどうしようもなく盛り付けがヘタである。そのへんご容赦いただきたい。

  • 貧乏人のアスパラガス(ソース・オランデーズをつくるのが面倒だから市販のマヨネーズで)
  • 絶望のスパゲッティーニ
  • フランス産ウズラ(冷凍)とアンデスレッドのパデッラ、ルーコラ・セルヴァチカ添え
  • ペコリーノ・ロマーノのスライス
  • 紙パック(1.8ℓ)の国内メーカーの赤ワイン

まきもの屋はほんとうに貧乏だから「貧乏人の夕食」なんてシャレにもならないのである。で、たまに気合をいれて料理してこの程度ということになる。材料費はワイン別でひとりあたり500円くらいである。いちばん高いのはウズラ。ブラジル産冷凍丸鶏なんかだったら、150円くらいは安くなる。ひとり350円でつくるんだから、3皿構成としてはかなり貧乏なつくりである。もっとも、野菜を「タダ」としているところがちょっとインチキか(1)。いくらじぶんで栽培しているとはいえ、生産経費だってかかっているし、厳密にいえば帳簿上は「自家消費分」として計上しなきゃならない。

貧乏人のアスパラガスは出荷できなかったもの、いわゆる「はねだし」である。とはいえ、いまどきは本家のアスパラガスよりも高級な野菜になってしまっているのは公然の秘密である(家人がいうには、アスパラガスが安くなりすぎ。まったくもって同感である)。絶望のスパゲッティーニはもちろんカイエンヌをつかった。言っておくが市販の「カイエンペッパー」はカイエンヌとはかぎらないのである。たいていはタカノツメ(あるいはその一族)であることが多い。それはともかく、こういうプリモだったらやっぱりスパゲッティがいいんだけど、DeCeccoのNo.12がさいきん手にはいらないのである。

暗くなるまで畑にいたから段取りがわるく、ふつうだったらウズラをオーブンに入れておいてプリモをつくればいいわけだが、ぜんぶア・ラ・ミニュットになってしまった。そんなわけでウズラは半割りにしてパデッラで。

真っ暗ななかライト片手にハウスでハーブを摘む。イタパセ、タイム、ローズマリー、オレガノ。適当にちぎってウズラに焼き色がついてからフライパンに投入(イタパセは茎だけ投入)。フタをして弱火でじっくり火を通す。けっきょくオーブンをつかってもあんまり時間がかわらないことにあとで気づくのが素人のあさはかさである。

パンもないのがリアリティか。なにしろ、どうにか食べられるバゲットを買いにいくと、クルマで往復1時間以上かかるのである。じぶんで焼けば美味ではなくとも納得はできるけれど、忙しくてとてもそんな時間がとれない。で、お気にいりのアンデスレッドである。もうすぐジャガイモの植えつけ時期、つまり4月から6月後半まで端境になるわけで、いまのうちなのである。

ウズラというとつい甘いソースをつくりたくなってしまうのだが、こういうシンプルなやりかたもなかなかいいものである。事前にハーブを摘んできちんとマリネしておけばもっとおいしかったはず。

今日は貧乏人のアスパラガスのみ家人の担当、あとはじぶんで調理した。基本的に和食は家人が、なんちゃってイタリア・フランス料理はまきもの屋がつくることになっている。そういう習慣なのである。

野菜類はぜんぶ自家製だから、それなりのものにはなるのだが、慣れてしまうと感動なんかあるわけがない。だいたい、じぶんで作ったものにいちいち感動していたら、気疲れしてしまってたいへんである。とはいえ、ルーコラ・セルヴァチカはやっぱり春が旬である。ちょうどいい風味のつよさで、思わず自画自賛したくなる。3月から6月くらいまでがいい。夏は葉が固くなってしまう。夏場は風味もよりインパクトがでてくるけれど、繊細さがなくなってしまう気がしてならない。もっともこのあたりは好きずきというか、価値観というか、あるいは摘みたてか、時間の経ったものかといったことも関係するからいちがいにはいえない。

  • 注1) 野菜も買ったとして計算してみると、おひとりさま1,350円くらいになった。野菜を食べすぎである。一般の個人が買う値段で考えたから、業務用卸であればもっと安くはなると思うが…

すべての野菜がかならずしも身体にいいわけじゃないんだが

健康に気をつかいはじめたひとは、とかく野菜に意識がいく傾向があるようで、そのへんをうまくついているのが、有名司会者がやっていたという昼のTV番組だったり、あるいは中高年むけ健康雑誌とか野菜○○リエ系の雑誌だったりする。いわく、○○という野菜は△△という成分を豊富に含んでいるから××にいい、という具合である。たしかにある野菜の 特定の栄養素だけに焦点をあてればそういう言いかたはなりたつかもしれない。

こういう論法に惑わされるひとがいるとすれば、○○という野菜がいいからといって、そればかりを大量に摂取することのないようにご注意ねがいたいものである。自然なり栽培なりの植物というのは、単一の栄養素だけでできているものではない。いろんな成分をふくんでいるのである。

たとえば、もはや定番すぎて問題にもされない感のあるホウレンソウ。鉄分、ビタミンが豊富な緑黄色野菜だが、大量に常食するのはあまりよろしくなので、かならずアクぬきをして調理するようにかつては言われたものである。いまどきは品種改良や栽培方法(とくに肥培管理)の変化から、アク(つまり蓚酸)は昔とくらべたらすくなくなったようではある。でも、やっぱりサラダなんかにして生でたくさん食べるべきじゃないし、ブランシールせずにいきなりソテーなんてのも、食事を提供するプロの行動としては正直いってあんまり感心しない。

蓚酸についてはWikipediaの当該記事と、そこからリンクがはられている飲食物中のシュウ酸含有量について(2008/01/07)医薬品情報21をご参照いただきたい。ホウレンソウはもとより、"bietola / blette"、"barbabietola / betterave"、"oseil / acetosa"あたりも蓚酸をふくむ野菜である。だから、まきもの屋は"bietola / blette"についてはしっかりブランシールしてくださいね、とご案内している。下茹ですることでアク=蓚酸が抜ける。まちがってもそのままグリルにしてほしくはないのである。エチュヴェにするばあいも、事前にブランシールしておくのが理想である。ただ、まとめて下処理すると、時間の経過とともに葉柄が変色してしまうという問題がある。

こういう書きかたをすると、読解力がなかったり学力に問題のあるひとは、これらの野菜は身体によくないものだ、などと勘違いをするかもしれない。そうじゃないのである。おなじ野菜ばかり毎日大量に食べるのはけっしてよくないし、アクはしっかりとぬきましょう、と言っているのだ。きちんとアクをぬけば"bietola / blette"にしろ"barbabietola / betterave"にしろ、ビタミンとミネラル豊富なすぐれた食材なのである(1)。しかもおいしい。ここ、重要なのでアンダーライン(笑 …。

食べものというのは、サプリメントじゃないんだから、いろいろな成分をふくんでいる。そのなかには身体にきわめて有用なものもあれば、なんの役にもたたなかったり、微量なら問題なくても大量だと害をなしたりするものがある。そういうことをよく理解したうえで野菜をお楽しみいただきたいものだが、そんなこといちいち考えていられないというのも また現実である。だから、バランスよくいろんな野菜を召しあがっていただきたいし、昔からアクぬきすることになっているものはそれにしたがってほしい。先人の知恵をなめてはいけない。

だいたい、単一のものを大量に摂取すれば、どんなに健康によいとされているものであっても、まさしく「毒」になるのである。あの有名な1酸化2水素の例をだすまでもなく、塩だってカプサイシン(唐辛子の辛み成分)だって摂取量によっては命にかかわる。逆に、適量であれば「クスリ」になるものだってあるし、ごく微量ならまったく問題にならないものも多い。塩なんかは生命を維持するには不可欠のものである。ようするにバランスがたいせつなのである

  • 注1) "barbabietola / betterave"のなかでも、"Chioggia"あたりはアクはすくない。というか、アクぬきの必要がほとんどない。ただし、大量に生食するのはおすすめできないが…。

アクセスログ

ご覧のとおり、まきもの屋のサイトとBlogは独自ドメイン、レンタルサーバである。大手のBlogシステムなんかだと広告が勝手に表示されるから、それを嫌ってこういうスタイルにしているわけだが、ときどきはアクセスログをみて解析しなければならない。Spamとか悪意のある攻撃、踏み台なんかにされないためであって、サイトを運営しているからには、 一種の社会的義務でもある。

IPというかDNSから、お役所とか企業からのアクセスもわかる。とくにMAFFと某県庁からのがめだつ(それが群馬県じゃないところがなんとも…)。だいたい、勤務時間中にこんなサイトを見てていいんだろうか。多少は仕事に関係あるかもしれないが…。所詮は田舎の小規模な農家のサイトなんである。重要な情報はWEBじゃ得られないと思うんだが…。それともヒマツブシかなんかだろうか。だとすると腹がたつんだが…、まちがっても税金泥棒よばわりされないようせいぜい仕事していただきたいものである。いずれにしても、まことに疑問である。

で、もうひとつ不思議なのが、DNSとブラウザのエージェントからするとどうもケータイなんじゃないかというアクセスがけっこうあることである。あの小さい画面でこんな長文、読むに耐えるのだろうか。そうじゃなくたって、難しいと一部から非難されているBlogである。じつに不思議である。ま、公開しているものだから、どういうデヴァイスでご覧いただいてもいいんだが、ほんとうに素朴な疑問なのである。頭が痛くなりませんか?

たまに東京に行ったりすると、電車のなかや歩きながらケータイをいじっているひとの多いこと。田舎者にはまことに奇妙な光景である。いや、倉渕のごとき過疎地は人口がすくないから絶対数がかぎられているだけで、ケータイをいじりながらクルマを運転する強者もいたりするから、都会特有の現象じゃないのはわかっている。あれは思いっきり道交法違反ですな。危いったらありゃしない。

でもねぇ、電話なんてものはやっぱり家なりオフィスなりでつかうのがいいわけであって、とくに電話を受ける側としては、出先とか仕事中にかかってきたら迷惑でしかないような気がするんだが…。それに、こういうWEBサイトも、デザインやらいろいろ考えてつくっているわけで、やっぱり大きな画面でゆったりとご覧いただきたいと思うんだが…。ついでにいうと、メールは本来、「手紙」であって、「電報」じゃないと思う。文字によるコミュニケーションというのは、それなりに言葉をたくさんつかわないと、誤解のもとである。

どうでもいいはなしだが、フランス語でケータイを"téléphone portable"(テレフォヌ・ポルターブル)という。イタリア語だと"cellurare"(チェルラーレ)というんだが、"telefonino"(テレフォニーノ)という言い方もあって、こっちのほうが日常的だったような気がする。で、"téléphone portable"と"telefonino"、イタリア語のほうがなんとなくかわいいでしょ? ついでに、ネズミーランドのキャラクタはフランス語では"Mickey"とそのままの綴りで「ミケ」と読むが、イタリアでは"Topolino"(トポリーノ)である。ときどき授業でつかっていた小ネタである。

珍しいものは売れないから珍しい

珍しいというのは、一般的ではないということである。フランス語なら"rare"、ようするに「レア」である。需要が顕在化していないといっていい。だから、一部のひとにしかもとめられていない。わかるひとにしかわからないのである。

市場の担当氏に、まきもの屋がつくっているのは「マニアックな野菜」だと言われたことがある。いや、まぁ、そういう表現をされても仕方ないとは思うんだけど…、せめて「専門家むけ」くらいにしてほしいとは思うんだが…。

まぁ、「マニアック」でもいいのである。このサイトについていえば、プロの西洋料理人さんのなかでもとくに野菜の重要性を感じておられるかたがたにご覧いただきたくて書いている。だから栽培品目一覧のページにはカタカナで品目名を書いていない。イタリア語とフランス語の表記だけである。さいきんはあろうことか、「最新情報」のページもカタカナ表記を廃している。そのことで、あきらかに商売としては機会逸失をしているのは承知のうえである。

まきもの屋じしんは「珍しい野菜」だなんてこれっぽっちも思っていないのだが、世間的に「珍しい」というのであれば、それはそれでかまわないのである。ならば、「珍しいもの」はやっぱり珍しくなくっちゃまずいんだろう。┐(´д`)┌

それでも、「珍しい野菜をさがしています」なんて問いあわせをいただくと、やっぱり「珍しい野菜とは失礼な」とちょっとばかり不機嫌になってしまうのである(1)。これじゃ経営者失格である。家人とふたりだけの小規模農家でも、経営は経営である。もっとも、「珍しい」ことをセールスポイントにするのは、陳腐化をまねくという矛盾があるから、そんなことを考えるようじゃ経営センスがないとも言えるだろう。

  • 注1) この点、先日お問いあわせくださった某国営放送のかたは、「珍しい野菜」という言葉をつかいながらも、そんなに厭な言いかたをしなかったので妙に感心した。モノは言いようなのである。ちなみに、まきもの屋はマスメディアに顔をださないという方針はかわっていない。

理論的に可能というのと、じっさいにできることはちがうんだが

すくなくとも西洋野菜のうち、日本でぜったいに栽培不可能というものはあんまりない。いや、"cece"があったか。でもあれは「青果」とはちょっとちがうし、むずかしいけれど可能性がないわけじゃない。

営利栽培がなりたたないというのはけっこうたくさんある。代表が"échalote"。どうかんがえても商売にならない。コストがかかるから二の足をふむのは"cardo"、"carciofo"あたりも同様か。

業者さんとの雑談で、ある野菜について「理論的には周年栽培可能」とぽろっと申しあげたところ、「ゼヒトモ周年栽培でやってくれ」とおっしゃる。いや、だからあくまでも「理論上」のはなしなんですが。ヨーロッパで周年栽培しているなら、日本でもできないわけはないんだけど、そういうときはコストを度外視しているし、品質についてはやってみないとわからないところがある。たしかに、まきもの屋が露地でそれなりのコストでできる時期については提案申しあげたが、それ以外の時期というのは、とんでもなくコストがかかるのである。

こりゃ「プロジェクトペケ」ですかねぇ。今回ご提案させていただいた作型だって、日本ではじゅうぶんに画期的なものだと思うんだけど…。従来1ヶ月やそこらだったものを5ヶ月間にわたって出荷しようっていうんだから…。それに、野菜の栽培方法とか技術というのは、基本的にはパブリックドメインな知識なわけで、後続がでてきたらいきなり陳腐化して値崩れをおこすようなものだから、やっぱり二の足を踏むなぁ。ま、言っちゃったものはしかたない。やってみますが、ちょっと時間かかりますよ。いや、かなりかもしれない。まきもの屋じしん、この野菜が日本で定着しなかったのが供給側に問題があったせいだというのはよく承知しているんですから。

きゅうり

日本のきゅうりに、白イボ、黒イボ、はたまたイボなしとあるように、西洋のきゅうりにもいくつか種類がある。ピクルスにするのはフランスの"cornichon"、ドイツやUSでよくつかわれる"garkins"の2種である。後者はハンバーガーのピクルスのヤツである。毎年つくっている"cornichon"はべつとして、それ以外は四葉(スーヨー)をほんの少量、自家用に栽培するつもりだった。もともとあんまりきゅうりには関心がなくて、「きゅうりは下(ゲ)のもの」なんて江戸っ子を気取ってみたりしていたのである。

それが、急遽、フランス語で"concombre"、イタリア語の"cetriolo"、英語で"slicing cucumber"といわれるものを栽培してみる気になったのである。もちろん自家用プラスαである。そう、フランスのビストロで"crudité"をたのむと、かならずといっていいほどスライスしたのにお目にかかる、皮のかたい、バサバサのアレである。

サラダ野菜としてみたときには、日本のきゅうりはじつに優秀である。フランスでもイタリアでもUSでも日本の種苗会社の開発した品種が栽培されていたりする。それに、生のままポリポリと食べるには四葉きゅうりにまさるものはないと思っている。

そう、この野菜、日本に優秀な品種がいっぱいあるんだから、西洋モノをつくったって、売れるわけがないのである。断言してもいい。商品としてはまるっきり期待できない。だいたい、ヨーロッパに行ったときに、きゅうりをおいしいと思った経験のあるひとなんてそうはいないはず。はっきりいってサラダ野菜としてみたときには、あんまりおいしくないのである。

じゃあなんでわざわざ栽培するのかって? まきもの屋は数寄者だから…。いやぁ、なに、夏に"soupe froide au concombre"を食べたくなったのである。あと"tabouret"も…。こういう料理には、日本のきゅうりはあんまり相性がよくないというだけのことである。