まきもの屋シリーズ
文体をもとにもどしてみる。
さて、ヘンな言葉である。まきもの屋が言いだした表現ではない。まきもの屋が築地に出荷している一連の商品について、築地の一部でいわれている呼称のようだ。
ヘンだけど、ちょっとおもしろい。「シリーズ」、フランス語だと"série"(セリ)、イタリア語で"serie"(セリエ)。「一連のもの」の意である。
「連続している」ことが含意であるから、USモノのテレヴィドラマなんか、"série américaine"(セリ・アメリケーヌ)と言う。すごく古くは「奥様は魔女」とか、ちょっと古くは「ダーマとグレッグ」みたいなのである。
そう、「継続」ではなくて「連続」なのである。次は何がでてくるか、というニュアンスさえ感じられる。もっとも、「まきもの屋シリーズ」と市場の現場でおっしゃっている方々はそこまで考えておられないと思うが、妙に言葉にこだわるまきもの屋としては、さらなる商品開発のプレッシャー(笑)に感じられなくもない。いや、不断の商品開発は経営上の理由はもちろん、趣味みたいなところもあるし、勝手にやっているところもあるんだけど。
商才がないのか、どういうわけか、考えに考え抜いた商品よりも、思いつきに近いというか、あんまり深く考えないで市場に投入したもののほうが反響があったりするのが困ったところである。下手の考え休むに似たり、といったところだろうか。まことに悩ましい。
言葉のイメージはどうであれ、「まきもの屋シリーズ」として認知していただいたということは、とりもなおさず、お客様に受けいれてくださっているということであり、まことにありがたい。
レタス、キャベツの栽培から西洋野菜に全面シフトする際に、いつもお世話になっているM社長、市場の担当Y氏が口をそろえておっしゃっていたのが「ブランド化」である(口をそろえて「携帯を持て」と強要もされたが)。まだまだ「まきもの屋ブランド」にはほど遠いだろうが、「まきもの屋シリーズ」はその第一歩といえるのだろうか。
商売として西洋野菜の生産をしているわけだから、お客様のご期待に沿うのが第一である。むずかしいのは、「お客様のご期待」がかならずしも具体的なニーズじゃなかったりすることである。ようするに「潜在的需要」をうまく引きだすことが求められているわけである。
そうはいっても、「顕在的な需要」があれば、それにこしたことはないのである。みなさん「アレが欲しい、コレを栽培しろ」とおっしゃってくださればラクなんだが、ご遠慮なさっているのだろうか。遠慮しなくていいんですよ。種まきする前なら、言うのはタダなんだから。
そう、言うのはタダ。独占契約じゃないかぎり、なにも「責任をもって全量引きとれ」なんて申しません。ある新規商品について、どうするかの判断はまきもの屋じしんがするわけで、かりにリクエストいただいたとしても、まきもの屋が「見込みなし」と思えば実現しないわけ。実行に移さなければ商品は実現できないんだから。
いまのところ、「まきもの屋シリーズ」は、M社長からのプロポーザル、まきもの屋の趣味の野菜、まきもの屋の思いつき、でできている感じである。このBLOGをご高覧くださっている料理人さん、八百屋さん、「まきもの屋シリーズ」のさらなる展開に関わりませんか? もちろんそれ自体は無償ですが(笑。




