Archive for February 2010

Escris çe que vouldras

なんかワケわかんない横文字のタイトルでひいちゃいますよね。いいんです。それがこのエントリのテーマですから。タイトルですけど、前のエントリでもちょっと言及したラブレー『ガルガンチュア』のおわりの方で、主人公ガルガンチュアが建立させたテレームの修道院のただひとつの規律"Fay çe que vouldras"(欲っすることを為せ)のもじり。"Escris"は"Écris"(エクリ=「書く」の命令法、つまり「書け」)の昔風の綴りです。

ようするに、「好きなことを書け」というわけです。BLOGなんて、好きなことを好きなように書くのがいいと思うんですよ。もちろん他人様に迷惑をかけちゃいけません。反社会的な内容はもってのほか。名誉毀損、誹謗中傷、営業妨害の類も論外です。きちんとしたロジックのある「批判」とか「批評」ってのはアリだと思うんですけど、世の人々の読解力が落ちているのか、どうも枝葉末節の表現ばかりに拘泥して気分を害する方もいらっしゃるようなので、そのへんはなかなか難しいですね。

だいたい、BLOGというのは特定の誰かにむけて書くものじゃないですよね。特定の誰かに伝えたいことがあれば直接伝えればいいんですから。そりゃ、ネタを考えるときに他人様のサイトとかBLOGからインスパイアされたり、意識的にネタをいただいたり、ということはあります。ただ、「話題」には著作権はないんですよね、だから自由だと思うんです。それに、議論しようというのであれば、相手にその旨を伝えるのがスジというものですから、勝手に書いているぶんには、基本的には無関係なんだと思います。

このサイト、サーバのアクセス統計でみるとユニークホスト数がこのところ1日に100〜150あります。ユニークホストというのはこのサイトにアクセスしてきた相手のIPアドレスがいくつあったか、という意味です。1日にどれだけの「ひと」がアクセスしたか、という数字です。ただ、このなかには検索エンジンのロボットみたいな人間じゃないのも相当数混ざっていますから、それを差しひいて考えなくちゃいけませんね。数えたわけじゃないんですが、3割以上は「人間じゃない」アクセスだと思います。

いつもご高覧くださっている好事家諸賢には感謝のかぎりですが、まぁ、実数としてはそんなに人気のあるBLOGでもございませんから、田舎(というか山の中)の百姓オヤジの戯言なんか、たいして影響力もないでしょうし、歯牙にもかける必要ないですよね(1)

それが証拠に、ほ と ん ど コ メ ン ト が つ か な い、んですよ。トラックバックだってスパムしかこないし、たんなる飾りですな。

それでいいんです。

だいたい、「好きなことを好きなように書」かせていただいておりますんで、わかっていただこうという努力はこれっぽっちもしておりません。そんなこととてもじゃないけどロハじゃできませんがな。だから、多くの方にとってはかなり理解しにくい文章だと思います。それに、理解したからってとりたてていいことなんかないと思います。だって百姓オヤジの戯言なんですから。そんなわけで、皆様、今後とも生暖かくスルーなさってくださいな。

  • 注1) 議論をしたり話題にする必要もないということ。もとは漢籍ですね。噛み付くとか牙でバリバリ喰うようにやっつけちゃうって意味じゃないですよ。

"Oi"のこと(語学ネタ注意)

ひさびさの語学ネタです。しかもちょっと専門的というか、初級フランス語のクラスじゃほとんど話題にしないことだと思いますんで、知識のひけらかしということになりましょうか。

タイトルですけど、"oie"のスペルミスじゃありません。いえ、"oie"もあとで例にだしますけど。

ところで、先日、Anonymus 4, Love's Illusion -- Music from the Montpellier Codex 13th-Century, Harmonia mundi, 1994.というCDをひっぱりだして聴いていたんです。

13世紀フランスの世俗歌曲で、たとえばこんな歌詞です。

Puisque bele dame m'eime,
destourber ne m'i doit nus;

すごいですよね。とてもじゃないけどフランス語とは思えないくらいです。さすがに対訳がないとわかりません(1)。なかなか不親切なCDで、英訳と独訳しかついてないんですよ。現代フランス語はナシ(泣。英訳は"Since a beautifl woman loves me, no one should trouble my peace."

で、ですね、2行目の"doit"はカタカナで「ドゥエ」みたいな発音なんです。おわかりでしょうか? "Oi"の綴りは現代フランス語だと「ォワ」のように発音することになっています。発音記号で書くと[wa]です。"Trois"(トロワ=3)とか、"roi"(ロワ=王)とか。ところがですね、

むかしは"oi"の綴りは「エ」と読まれていたんですよ。

フランス語の時制に「半過去」ってありますよね。"Il mangeait"(イルマンジェ=彼は食べる)みたいな"ai"が語尾にはいる時制です。この"ai"は「エ」と発音しますね。これ、むかしは"oi"の綴りだったんですよ。たとえば16世紀、ラブレーの『ガルガンチュワ(2)』冒頭。

A ceste fin, avoit ordinairement bonne munition de jambons de Magence et de Baionne, force langues de beuf fumées, abondance de andouilles en la saison et beuf sallé à la moustarde, renfort de boutargues, provision de saulcisses, non de Bouloigne (car il craignoit ly boucon de Lombard), mais de Bigorre, de Lonquaulnay, de la Brene et de Rouargue.

こんなに長々と引用する必要ないんですけど、食べ物のハナシなんでサービスしときます(16世紀にバイヨヌのジャンボンとか、ボローニャじゃなくてビゴールのソシスなんて言ってるんですから、うれしくなっちゃいますよね)。で、さいしょから4つめの単語"avoit"ですけど、これ、動詞"avoir"の半過去。いまだったら"avait"と綴りまして、「アヴェ」のように読みます。もちろん、"avoit"もおんなじように読むことになってます。この、半過去の語尾の"oi"という綴りは18世紀まではあたりまえのように使われていました。

さて、冒頭の"oie"(ォワ=鵞鳥)ですけど、手許のLe Petit Robert 1という辞書によりますと、13世紀にこの綴りになったようで、12世紀だと"oe"または"oue"だったそうです。「ォエ」あるいは「ゥエ」みたいな発音だったようです。さきほどの、むかしの"oi"の読みかたを考えると、"oie"も 「ゥエ」みたいな発音だったと考えられますね。

鵞鳥をだしたらフォワグラに触れないわけにはまいりません。問題は"foie"ですけど、12世紀には"fedie"または"feie"だったそうです。後者はとうぜん「フェ」みたいな発音になりますね。さらに遡って8世紀には"figado"という綴りだったと。おっと、何かに似てません? そう、イタリア語の"fegato"そっくりですね。語源がまったくおんなじだということがよくわかります。ちなみにその語源、もともとは「イチジク」いまのフランス語だと"figue"(フィグ)ですけどラテン語の"ficus"です。「イチジクをたんまり食べさせて太らせた鵞鳥のレバ」(iecur ficatum)、ということらしいですね。そう、ラテン語の表現にあるくらい、フォワグラってのは古ーい食べ物なんですねぇ。まったく、人間の欲望というのは底知れずおそろしいものです(笑。そうそう、生のイチジクをイメージしちゃうと「どうしてそんなんでフォワグラができるの?」ってなっちゃうでしょうけど、乾燥イチジクというはなしですんで、念のため。乾燥イチジク、おいしいですよね。

初級フランス語で「王」は"roi"(ロワ)、王妃は"reine"(レヌ)と習うと思うんですけど、「男女で対応してないじゃないかゴルア!」とお思いになりませんでしたか? じつは"roi"はその昔は"rei"とか、"roy"あるいは"réなんて綴りもあったと記憶していますが(ごめんなさい、ちょっとうろ覚えです)、ようするに「レ」とか「ㇽエ」みたいな発音だったんですよ。「レ」と「レヌ」だとうまく対応しますよね。それが時の流れとともにいまみたいにちょっと似ていない語に分かれちゃったんです。いつごろ「ロワ」みたく発音するようになったのかは知りません。ご興味がおありのむきはご自分でお調べくださいな。ちなみに、語源はラテン語の"rex"。あの有名な"T-Rex"の"rex"ですね。

ちょっと今日のはムズかしすぎましたか…。まぁ、テストには出ないと思うんで安心してくださいな。

  • 注1) いえ、"nus"が否定の"personne"の意味だとわかってさえいれば、あとは音から意味がとれるハズなんですけど。
  • 注2) コレ、「ガルアンチュア」と表記していたんですが、渡辺一夫訳だと「ワ」なんですよね。個人的には「ア」のほうが好きな気もするんですけど、ラブレーといえばやっぱり渡辺一夫訳は参考にせざるを得ないわけですから、長いものには巻かれたほうがいいですね。

チポロット、セミドライにしたプリンチペ・ボルゲーゼ(冷凍)、カスベ

はじめにおことわりさせていただきますが、チポロットの出荷はまだです。生育遅れとなっております。。写真でおわかりのように、まるっきり太っておりません。事前に味見という次第ですので。

いちおう「おうちイタリアン」ということになりますか。手順としては、カスベをオリーブオイルでポワレして、チポロットと水で軽くもどしておいたトマトを入れてすこし煮こむ。それだけです。でも、けっこうウマーなんですよ、これが。家人大喜びです。ハーブをくわえたらもっとよかったかもしれないんですけど、チポロットの香りの評価が問題なんで、今回は却下しました。

やや煮詰め気味に仕上げたので、うまい具合にソースになっています。ただ、カスベの「プルプル」もちょっとはそれに溶けだしちゃってるんで、ムニエールにしたときみたいな具合にはいかないのがちょっと残念なところでしょうか。

こういう、あんまりにも手抜きというか単純な調理のとき、プリンチペ・ボルゲーゼは真価を発揮するといいましょうか、いわゆるプチトマトの自家製ドライなんかまるっきりメじゃありません。まったく別モノ! と自画自賛しちゃいますね。

魚料理がイタリア風でしたので、プリモも用意しました。「締めパスタ」じゃございません。ちゃんと魚のまえに食べました。ご覧のとおり、スパゲッティ・アッラ・カルボナーラ。全卵バージョンです。全卵でやるのは難しいから好きじゃないんですけど、卵黄だけだとショートパスタじゃないとうまくいかないし、それに、卵白が余ると困っちゃうんですよ。しょうがないから、溶きほぐした全卵にペコリーノとパスタの茹で汁をくわえてエマルジョン化させて、なおかつあわせるときにフライパンで火にかけながらあおっちゃってます。フライパンの鍋肌の熱でちょっとだけ「炒り玉子」みたくなっちゃうんですが、しょうがありませんね。ボウルであわせる方法は、火口からの輻射熱で暑くなった厨房じゃないと難しいんでしょう。おうちイタリアンじゃシャバシャバの玉子かけご飯みたくなっちゃいます。まぁ、ウデということもあるんでしょうけど。そうそう、グアンチャーレでもパンチェッタでもなくて、イノシシの脂身の塩漬なんで、ちょっと風味はきつめです。

チポロットの味見の結果? どうぞ出荷再開をたのしみにお待ちください(ニヤリ。

四半世紀かぁ…

この曲を知ったのはフェルナンド・ソラナスの映画『タンゴ -- ガルデルの亡命』。挿入歌につかわれておりました。この映画、あらためてネットで調べたら1985年の作品、もう四半世紀も前なんですね。音楽は歌以外はアストル・ピアソラ。この映画の日本公開からしばらくして、ピアソラがミルバとともに来日公演をしまして、五反田まで聴きにいきました。その後、ピアソラが亡くなってから、97年か98年にミルバが来日公演、ピアソラ+ミルバのときとほぼおなじプログラムでした。こちらは渋谷のBUNKAMURAで聴いたのを思いだします。

イタリア野菜の陥穽

西洋野菜のなかでもイタリアものは目をひくというか、とかく注目されやすいですよね。そのこと自体はまことに結構なことなんですけど、どうも発想というか理解が「おもしろ野菜」的な印象がありまして、なんだかなぁ、という感じもあります。

「おもしろ野菜」的発想、と申しますのは、たんに「イタリア料理で使われる」というところ以上に踏みこんで需要を捉えていないところなんです。そう、十把一絡げに「イタリア料理」なんですから。これってかなり安易な認識なんですよね。

ひとくちに「イタリア料理」と言っても、北部と南部ではかなり違うことを知っているのは、プロの方々をのぞくと、外食好き、イタリア料理好きなひとたちだけですね。一般的にはやっぱり「イタリア料理はイタリア料理」という認識だと思います。ましてや、個別の食材の地域性を意識するなんて、かなりのマニアだけでしょうね。

だから、たとえばプンタとタルディーボがおなじ皿のうえにのっていたとして、違和感をもつなんて人は、一般にはまずいないハズです。いえ、ホントウのところは、いまどきのイタリアでもこの組みあわせはあり得ないとはいいきれないんですけどね(IGPモノに代表される特産野菜ってのは都市部であれば全国レヴェルで流通しちゃってますから)。でも、ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾ(=タルディーボ)はヴェネトの野菜、プンタレッレはローマですから、この2種のチコリエがいっしょにあるというのは、やっぱり違和感がなきゃおかしいんですよ。すくなくともプロの方々はそうですよね。

専門誌を読んでいると、イタリア料理とフランス料理では圧倒的にフランスのほうが多いですよね。じっさい、調理師学校の学科構成にしたって、「フランス文学科イタリア分科」みたいな感じのところが多いでしょう。ホテルのダイニングにしろ、街場のレストランにしろ、ある程度の専門性があるお店でいえば、やっぱりフランス料理のほうが数は多いと思います。

ところがですね、統計上は、あるいはクチコミサイトなんかで見ると、イタリア料理店のほうが数が多いことになっています。おわかりのようにスパゲティー屋さん、ピザ屋さんが含まれちゃってるからなんですよ。いえ、スパゲッティやピッツァがイタリア料理じゃないなんて申しあげるつもりはございません。ただね、看板に緑、白、赤を配色しているお店であればどこでも専門性の高いイタリア野菜を使ってもらえるとはかぎらない、そういうことを申しあげたいんですよ。

もちろん、フランス料理でもイタリア野菜は使ってもらえます。というか、イタリア野菜の実際の需要の多くはフランス料理だったりします。これはけっこう重要なポイントです。そもそも伝統的なフランス料理の文脈というかロジックに組みこまれていない食材というのは、悪い言いかたをすれば、しばしば一過性の、目新しいだけのものだったりするんですよ。そういうのって、意味あいとしては、レストランのお客さんへの「特別な食材をつかっている」というアピールが主だったりしますから、流行が去ってしまうと使ってもらえなくなる可能性もあるんです。

具体的に挙げちゃいましょうか。ひところフランス料理でけっこうもてはやされたフィコイド・グラシアル(バラフ、アイスプラント)なんかいい例じゃないかと。もともとフランスの野菜じゃなくて、南アフリカ原産ですけど、フランスの有名シェフがお使いになられたのをきっかけに注目されまして、日本では佐賀大学が栽培方法を確立して広まりました。いまではどこのスーパーでも安売りしてるくらい生産量が増えましたけど、この1年くらいの料理専門誌で使用例を探すのは至難の業でしょう。その前はあんなにもてはやされていたのにねぇ。

イタリア料理にハナシをもどしますと、そこそこ高価格のお店でも、野菜にかんしては和モノというか日本の一般野菜をベースになさっているところは非常に多いんです。が、このことをして、イタリア野菜が手に入らないからだ、国産化すれば使ってもらえる、と思うのは浅薄です。イマドキ、手にはいらない西洋野菜なんてないんですよ。国産がなくても、ほとんどのものは輸入されていますから。有名シェフのなかには、徹底的に輸入野菜にこだわる方もいらっしゃるんです。でも、おそらく多くのお店ではそうはならない。なぜだと思います?

なにか「新野菜」を仕掛けてくるときって、生産サイド、といっても農家よりは農協や公的機関の農業関連部署が主になることが多いようですよね。とくにM県は熱心にやっておられる(わが群馬県はそういうことはいっさい興味がないんでしょうかねぇ。って言うか、まきもの屋にとってはM県はすくなからず脅威です)。ぜひともご留意なさっていただきたいのは、その品目、商品を「専門野菜」と「一般野菜」のどちらで売りたいか、というところです。専門野菜であれば、現状の輸入をリプレイスするのが至上命題になりますね。一般野菜としての普及をめざすのであれば、低コスト化と利用法をふくめた啓発、需要開拓が重要になります。で、このふたつ、そもそも両立しにくいものなんですよ。だいたい、専門と一般って対立概念ですからね。

ですから、イタリア野菜の産地化の取り組みなんてよく耳にしますけど、いろいろ落とし穴といいますか、リスクはありますんで、生産者が「ダマされた」と思わないようにやっていただきたいものです。旗を振る団体職員さんや公務員さんはリスクを負わないでいいから気楽でしょうけど、生産者は生活がかかっていますから。まぁ、安易に甘言にのっちゃうほうにも問題はありますから、当事者はいいんですけど、「陳腐化」による価格の暴落はよそにも迷惑をかける可能性があるってのをお忘れなく。

フィノッキオの種子

お世話になっているタネ屋さんから試作用にいただいた、トキタ種苗さんの「フィノッキオ」の種子です。まだ「予告」の段階らしく、袋のウラに非売品と表示してありますね。せっかくなのでさらさせていただきます。以下、ちょっとキツいことも申しあげますが、誹謗中傷等の意図はまったくございませんので、関係各位におかれては、怒らないでくださいね。

ネット上にある写真や、種袋の生育日数の表示等から、もとになった品種は"Ch..."あたりじゃないかと推測していますがいかがでしょう? "M..."とか"N..."の系統とはちょっと見ためもちがいますから、そのなかから早生性のあるものを選抜したというのもちょっと考えにくいんで。

推測が正しいかどうかはまったく別として、おなじ生育日数の品種を試したことがあるんで、その経験を申しあげますね。まきもの屋が試した品種についていえば、家庭菜園用としてはいいでしょう。でもプロ向けとしてはイマイチでした。輸入モノとおなじくらいのボリュームにしようとすると「割れ」がでます。というか、そもそもそんなボリューム感は期待できません。それに、収穫適期がかなりシビアで耐寒性も晩生品種とくらべれば劣りますから、そのあたりも問題になるでしょうね。

いえ、今回いただいた品種はまだ蒔いてもいないからわかりません(推測どおりならおなじ系統ということになりますけど)。おなじ生育日数のイタリアでとてーもポピュラーな品種を栽培した感想なんです。

現状では、フェンネルの需給はわりと飽和状態にちかいらしいんで、早生品種で青果のマーケットに投入しても、ただ「価格破壊」をして終っちゃう可能性もありますね。試作用の種子をいただいておいてこんなことを申しあげるのもナンですが、生産者を煽るのはもうちょっと待ったほうがよろしいかと。青果のばあいは輸入をリプレイスするだけの品質を狙えないとなかなかキビしいと思いますね。

とはいえ、国内の種苗会社から、ちゃんとした肥大茎部ができる品種が手にはいるようになるというのはまことに慶賀すべきことです。これまで、ヒドいもんでしたから。

上で申しあげたように、早生系は家庭菜園用としてはとてもいいと思いますので、ここはひとつ晩生品種で耐寒性のつよいものをプロ用としてぜひぜひ育種なさっていただきたいものです。

N.B. 直接ブリーダーさんにお尋ねする機会がありましたが、もとになった品種は"Ch..."じゃないそうです。思いっきり予想がハズレました。

圃場視察は有料にしてみる? (笑

「有料」てのはもちろん冗談ですが。30分なり1時間なり時間を割いてご案内して、その場で試食してもらったりもするんです。いいお取引につながればいいんでしょうけど、かならずしもそうじゃないんですよね。売れりゃなんでもいいって考えじゃないもんで。

お取引がない状態で、圃場を見せろというのは、「アンタの店で食事をしようか検討中だが、ついては事前に厨房を見せていただきたい」というのとおんなじことなんです。で、仕込み中の料理の試食までさせろ、と。

それを受けちゃうんですから、どんだけ農家ってのはお人好しなんでしょう。

技術的なことなんかで同業者つまり商売敵の農家に知られたくないものってのはありますけど、お取引先様に隠さなければならないようなことは何もありません。ぜんぶオープンにできます。むしろ、生産現場を見ていただきたいという気持ちはつよいです。が、時間的にも負担になることですので、よい結果が期待できない場合はご遠慮いただきたいと思います。

というワケで、圃場視察は既にお取引があるか、築地等を介してまきもの屋の商品をお使いくださっている方に限らせていただきます。取引をご検討くださっておられるレストラン様におかれましては、事前に築地市場等でご入手いただき、品質評価なさったうえでご連絡ください。

ついでに申しあげますと、「使ってやる」というような態度の方とのお取引はご遠慮させていただいております。使っていただかないで結構です。ビジネスはつねに対等の関係であるべき、というのがポリシーですんで。

料理人さんにもいろんな方がいらっしゃって、知的でディースントな方から、典型的なDQNまで、幅ひろく、みなさん個性ゆたかでいらっしゃることはよく存じております。ですから、一度や二度、不快なことがあったからって、こういうことを申しあげるのは過剰反応だということもわかっております。

でも、しょうがないんですよ、どうかご勘弁ください。

文化に優劣はないんよね

いささか、いや、かなーり抽象的なハナシでごめんなさい。野菜のはなしも料理のはなしもでてきません。だから、もちろん読まずにスルーしちゃって結構です。読んでください、なんてお願いするつもりは毛頭ございません。

フランス料理、イタリア料理のことを「異国の食文化」だから「きちんと理解すべき」なんてよく申しあげております。でも、誤解していただきたくないんですが、なにもとりたててムズかしいものでもないし、ましてや高等なものじゃございません。たんに、現代の日本で生れ育った日本人にとって未知の、あるいは誤解しやすい要素がたくさんあるから、そういうのを理解するのは大切だ、と申しているだけなんです。

フランス料理がイチバン! とか、イタリア料理が最高! なんてのは個人の好き嫌いとしてはOKでしょうけど、そういうことを公に言うのはあんまりスマートじゃないというか、クレバーじゃない印象ですよね。じっさい、昨今はそういうご仁はさほど多くはないと思います。

でも、昔はけっこうあったんですよ。俳句を欧米の詩とくらべて低級だときめつけたり、漢字カナまじりの表記は文明的じゃないからローマ字表記にすべきだ、なんて論調がかなり力をもっていた時代があったと聞いております。

いまでも、多少はそういう意識ってのこってるんでしょうね。「オシャレなフレンチ」とか、腹立たしい表現ですが「オシャレな西洋野菜」とか。こういうときの「オシャレ」って、洗練されていて素敵な、上等のものってニュアンスでしょうか。でも、「オシャレな鮨」とか「オシャレな茶懐石」とはあまり言いませんよね。鮨も茶懐石も洗練されていて素敵な、上等の食文化ですけど。

いまヨーロッパでは、日本文化ってのは「オシャレ」なものらしいです。もっとも、上のパラグラフでつかったような意味とはちょっと違って、たんに「カッコイイ」とか「自分たちと違っていることが素敵」といったニュアンスだと思います。いや、フランスなんかですと、マンガの影響もあって、メンタリティのうえで「自分たちと違っている」という意識はあんまりないかもしれません。かなり生活のなかにアジアティックなものがはいりこんでいるらしいんで。ただ、やっぱりエキゾティックなものではあると思います。

えー、このエキゾティズム=異国趣味なる概念ですけど、近世以降のフランスでの中国文化や日本文化の受容とかブームといった比較文化史的な問題では大切なキーワードになります。たとえば、19世紀末から20世紀はじめにかけての美術界におけるジャポニスムなんてのがそうです。いえ、ジャポニスムがたんなる異国趣味だったというのではありません。異国趣味というのはこれを理解するうえで大切なキーワードだと申しているのです。

ハナシが脱線しちゃいましたが、ヨーロッパ文化は上等な立派なもので、自分たちの日本文化は低級な、恥ずかしいものだ、なんて考えは、はっきり申しあげてかなりおバカチンです。文化の価値に軽重はありません。価値は等価なんです。レヴィ・ストロースが何十年も前に喝破してくれています。ただ、違いは厳然としてある。だから、いいとか悪いとかまったく別問題として、違うもの、知らないものはわからない。そのまま放置するのか、知り、理解しようとするのか、そういうことなんです。

差し障りがあるかもしれませんけど、ハッキリ書いちゃいますね。料理でいいますと、「皿のうえにちりばめられたエスプリ」なんて表現をみると、なんとも背中がかゆくなっちゃうんですよね。まぁ、それはいいんですけど、この語を好んでお使いになられる方々は、いま申しあげているような 文化の等価性みたいなことってあんまりご理解なさっていないんじゃないかな、って気がしております。

ついでに「エスプリ」という日本語の定義を家人が「新解さん」で調べたところ「(機知に富んだ)精神(の働き)」だそうです。うーん、どうなんでしょ? もしこの語をお使いになるのがお好きでしたら、いちどLe Petit Robert 1での定義くらいは目をとおしておくことをおすすめしたいですね。たぶんこういう意味でお使いになりたいんでしょ?

Aptitude, disposition particulière de l'intelligence / Qualité, valeur intellectuelle / Vivacité piquante de l'esprit; ingéniosité dans la façon de concevoir et d'exposer qqch.

さいごのが、いわゆる「エスプリに富んだ会話」みたいな意味ですかね。

でもね、この単語、そもそもが「父と子と精霊」の「精霊」の意味であり、『法の精神』の「精神」の意味なんですよね。英語の"spirit"ドイツ語の"Geist"にあたりますね。「ポルターガイスト」の「ガイスト」です。

そんなこともふまえて復習しますと、「皿のうえにちりばめられたエスプリ」ってのはイヤですねぇ。イメージしてみてくださいよ。精霊って擬人化されたり、天使と同一視されることがあるんですけど、胴のない芽キャベツくらいの大きさのQPちゃんの頭に羽のはえたのが料理に散らしてある(1)…。そんな料理食べたくないですよ。

ちょっとわかりにくかったですかねぇ。そのうち書きなおすか、稿をあらためますんで、ご勘弁くださいな。

  • 注1) QPちゃんって、ホントは首の下というか肩甲骨のあたりというか、ちいさな羽があるんですよね

文芸大食

このところぽつぽつとリヨン料理について書かせていただきましたが、コレ、はっきり申しあげて流行りだからです。もちろん、ポリシーをもってリヨン郷土料理を看板に掲げていらっしゃるお店は流行なんてあまり関係ないと思うんですが、とくに地方料理、郷土料理といったことも謳わない、あんまりいい表現じゃありませんが「ごくふつうの」ビストロさんでもリヨン風サラダなどがメニューオンしていたりといった状況ですから、これを流行と呼ばずして何と申せばいいでしょう。

で、群馬の山奥から眺めておりまして、その流行がやや飽和しかかってきたんじゃないか、こういうタイミングで「より本格的」なリヨン料理を素材のレヴェルからお考えになられるお店も増えていらっしゃるんじゃないか。そんなことを思いまして、たとえばシコレ・フリゼ(1)、とかリヨン種のブレットの話題なんぞちょっと書いてみたわけです。ようするに商売上の下心みたいなものですな。で、自分もすっかりリヨン料理な気分になっちゃってタブリエ・ド・サプールに挑戦してみたり…。

が、まきもの屋はガール・ド・リヨン(2)は何度も利用しましたが、リヨン=ペラシュで降りたことは一度もございません。というワケのわからん冗談を以前に書いた記憶がありますけど、ようするにリヨンに行ったことがないんですよ。みなさんご存知のように、ガール・ド・リヨンはパリにある駅でして、リヨンにある駅はリヨン=ペラシュという名前なんですよね。

そんなわけで、リヨン料理についてはよく知らんのです。そう、美食の都リヨンを知らんのです(泣。

じゃあ、郷土料理なら何を知っているかって? 知っているというほどのことはないんですが、トゥーレーヌの料理には親しみを感じております。ワインはシノンの赤が好きですし、川魚ならブロシェよりはサンドルやウナギになじみがあるわけです。有名な料理ですと、ウナギの赤ワイン煮とかですね。夏にトゥーレーヌに行くと魚料理といえばサンドルばっかりのような印象をうけます。肉料理だとやっぱり豚肉のリエットですかね。これは好きでたまーに「おうちフレンチ」します。

リエットといえば、19世紀の文豪バルザックの小説『谷間の百合』の一節が有名です。かんたんに申しあげると、リエットがいかに魅力的な料理かということを延々1ページ以上にわたって滔々と語るんです。ちょっと古い本ですが、辻静雄編著『フランス料理の本 1 オードヴル・スープ』講談社、1981、p.30.で紹介されてます。フランス語の原文はネットで読めますし、日本語訳も本屋さんで入手できると思います。

いまどきはパンにつけるバターのかわりにリエットを突き出しのように出されるお店も多いようですんで、サーヴィスの方がこういうハナシをちょっと頭に入れておかれるのもよろしいかと。

バルザックといえば食にかんする逸話は数知れません。なにしろデュマ、ブリヤ=サヴァラン、ロッシーニの同時代人なんです。そのバルザックの故郷がトゥーレーヌなんですよ。

トゥーレーヌのシノンという町の郊外に生まれた16世紀の作家(本業は医者)フランソワ・ラブレーも食という点では忘れることのできない存在です。主著『ガルガンチュワとパンタグリュエル』をお読みいただくとおわかりのとおり、フランスで「内蔵料理」がかくも好まれるその文化的源流といったものが、これでもかというくらいふんだんに描かれております。

いまどきは文学なんて流行らんのでしょうけど、フランス料理を異国の食「文化」ととらえるのであれば、やっぱり無視できないと思うんですがいかがでしょうか。

ところで、タイトルの「文芸大食」ですけど、みなさんご存知のように、「舌が肥えているひと」のことをフランス語では"gourmet"とはあんまりいいませんで、"gourmand"と言いますよね。この"gourmand"はそもそも「大喰らい」の意ですよね。あるいは"gastronomie"、この語はギリシア語起源ですけど、これも「胃」とか「消化」を意味する"gastro"に「学」をあらわす接尾語がついて成立した語だというのは有名なハナシです。ようするに、フランス語ですと、こういった語は「おいしいものをチミチミ食べる」というよりは、いまどきの表現をつかえば「ガッツリ食う」感じなんですよね。

で、ウチではトゥーレーヌのことを勝手に「文芸大食の地」と呼んでいるわけです。この表現、家人のオリジナルらしいので、再利用はご遠慮くださいね(笑。

  • 注1) リヨン風サラダの話題でどうして"pissenlit"じゃなくシコレ・フリゼに言及したか書いておくべきでしょうな。かんたんに申しあげると、いまのところウチで栽培する予定がないからです。そのときの本文でも「これが本式」とか「正統」という言いかたはしていないつもりですんで。なにしろこのエントリで申しあげているようにリヨン料理については「あまり知らん」のです。それに、安易なダイヨウはいけませんが、絶対というのもないんじゃないかと。読みなおしてみると意図的なミスリードみたいにも思えるんでちょっと反省してますが、あえて放置しておきます。
  • 注2) 東京にそういう名前のレストランさんがあるようですが、ここで話題にしているのはパリの駅です。念のため。

春が遠のいちゃいましたね…

2月といえば調理業界ではすっかり春でしょうけど、倉渕は写真のような有様です。って言うか、こんなに雪が降るのってめずらしいんですよ。で、ご覧のとおり、パイプハウスの組みたても遅れておりますし、既に播種、定植したものについても、生育遅れとなっております。

で、悪いお報せです。ご好評いただいておりますミニ・フェンネル、一時的に品薄になる可能性がでてまいりました。余るくらいたくさんご用意しておいたんですけど、暖冬の予報に反して寒波がくりかえし襲来してダメージをうけたこともありまして、歩留まりがかなり落ちています。このところ、かなりオーダーいただいておりますんで、品薄または売り切れになっちゃうかもしれません。

お詫びといっちゃ何ですが、ミニ・ビーツ(キオッジャ)、まだちょっと小さいんですけど、まもなく出荷再開させていただきます。チポロットとミニ・ポワローはもうちょっとお時間をください。

1、2月は洋食関係はヒマってよく言われるんで、油断しておりました。フツーに考えて、どんなにお店がヒマでも、まるっきり仕入れをしないってことはないんで、ある程度は供給量を確保する必要はあるんですよね。ただ、まきもの屋の商品みたいなマイナーな西洋野菜って需要が読めないところがあるんです。てなわけで、みなさんにお願いです。

ご 利 用 は 計 画 的 に。ご予約はお早めにおねがいします。

サイトから「産直」関係のページを削除しましたが…

「産直」をやめるということでもありませんし、シーズン前に「コンプレ」になったというわけでもございません。ただ、ちょいとばかり、営業方針といいますか、アプローチの方法を変えてみようかと思案中なんです。

で、いったんスッキリさせちゃいました。もちろん、お問いあわせ、ご予約いただければレストラン様むけ「産直」のお取引は承ります。

ただ、個人経営でなにぶん小規模なものですから、キャパがきわめて小さく、ロスを出さないためにもできるだけはやく「コンプレ」になるよう営業努力いたしますので、どうかそのへんはご理解いただきたくお願いいたします。

トリッパのトマト煮込み、グラタン仕立て

おうちイタリアン(笑)です。先日、タブリエ・ド・サプールをやったときに下茹でしておいた"cuffia"(ハチノス)です。冷凍してあったプリンチペ・ボルゲーゼのペーストで煮こんで、パン粉とグラーナ・パダーノをふりかけて焼いただけ。イタパセくらい飾ればよかった。

イタリア語の"trippa"もフランス語の"tripes"と同様に牛(というか反芻動物)の胃の総称ですけど、イタリア語だとそれぞれの胃の名称、ようするにミノ、ハチノス、センマイ、ギアラにあたる語があんまりにも異称が多くって、それこそ素人には手におえません。だいたい、料理名といいますか、食べるときは「トリッパ」は「トリッパ」なんで、あんまり気にする必要もないんですよね。ただ、本気でリチェッタを読もうとすると、小学館の伊和辞典じゃまるっきりです。

料理のほうですが、正直に白状します。三口くらいでイヤになって、パンにバターとアンチョヴィをつけて夕食をすませました。家人はまぁまぁよろこんで食べてくれたんで、料理じたいがひどく失敗というわけじゃないと思うんですが…。

関係ないですけど、フランスやイタリアで3日連続で外食って辛いんですよ。10年前でそうだったんですから、いまだと2日ともたないかもしれません。いえ、体調とかそういうんじゃないんですよ、かならずしも。だから、おなじ外食でも日本料理とか中華あるいはヴェトナム料理だと平気だったりするんです。

よく「食文化」ということを申しあげますけど、これって単に「食習慣」とか「食にかんする風俗」みたいな意味じゃないんです。たとえばラブレーなんかお読みいただくとおわかりいただけるでしょうか、まるっきり考えかた、感性がちがうんですよ。それをどう捉えていくかっていうのが「異文化理解」ということになりますね。

厭世感

このところ「有機」「無農薬」のネタをしつこく書いてまいりましたが、もう、ぜーんぶ削除して取り下げちゃってもいいです。なかったことにしてほしいくらいです。

理由? 平成21年7月に実施された食品安全委員会による「食品安全モニター課題報告」を読んだんです。もう、あんまりの意識レヴェルの低さに愕然としちゃいました。

このモニターってやつ、たんなるアンケート調査じゃないんですよ。かなり対象を絞りこんでおりまして、一般消費者は34%だけ、あとは食品関係と医療や教育のプロなんです。

で、この結果。ヒドいもんです。くわしくはPDFファイルのほうをご覧いただきたいんですが、 「食品購入時に最近、意識したこと(あてはまるものすべて回答)」という項目の結果は、多い順に「鮮度」「価格」「産地(国産・海外産等)」「安全性」「おいしさ」「季節感・旬」「栄養」「生産者・食品メーカー」…、という感じなんですよ。

いいですか、そのへんのスーパーで買い物してるオバちゃんたちに回答してもらったんじゃないんです。回答者の6割以上が食にたいして何らかの責任のあるプロなんですよ。で、これなんです。

で、細部を読んでいくとさらに暗澹とした気分になります。このモニタリング調査のまとめをやった担当の方に悪意があったんじゃないかと思うくらい、愚かな回答者のひとびと(しかも半数以上はプロ)の姿がうかびあがってくるんです。いちいち批判する気も起きませんがな。

もう、あんたらナニも喰わなきゃいいじゃんって気分ですね。

ひとつよくわからなかったんですが、「問7 食品中に残留する農薬の基準について、正しいと思うものを全て選んでください。」という設問にたいして、「一部の農薬については、残留基準(一律基準を含む)が設定されていない」という選択肢がありまして、これは「誤り」ということで扱われているようなんですけど、いわゆるポジティブリスト「対象外物質」として掲げられている66の物質はどうなるんでしょうか? 「このリストにあるのは農薬じゃない」なんておっしゃらないでくださいね。重曹なんか思いっきり農薬登録あるじゃないですか。

さらに厳密に言うと、「農薬」のなかには「天敵昆虫」ってのもございまして、ようするにハチとかそういうのをハウスに放したりして使うんですけど、これなんか「残留」というのがあり得ないものですから、上のモニタリング調査の文言は不正確ってことになっちゃいますよね。

この項目を担当なさった方は「農薬取締法」とその関連ドキュメントをどのくらいお読みになったんでしょうね? まぁ、どーでもいいです。

そんなわけで、なんだか疲れちゃいました。みなさんお好きになさってください。当面のあいだは何も申しあげませんので。でも、中途半端な知識とか理解しかないのに「有機」だの「無農薬」だのというコトバを、まきもの屋に向っておっしゃらないでください。心からおねがいします。きっと、ものすごく不機嫌になって「あんたに使ってもらうために野菜を作っているんじゃないよ」と言っちゃいそうな気がしますんで。

お皿のうえの○○種の季節の有機野菜、何種類まで可能?

しつこく「有機」ネタです。タイトルの「○○種」のところには数字を入れます。さいきんよく見かけますよね。野菜の種類の多いことを誇るような料理名って。もう、10やそこらじゃご満足いただけないみたいです。なにしろ、あの関西の有名店なんか、3ケタですから。もっともこの有名店の場合は「有機」とは謳っていなかったと記憶していますが。

数えかたというのもあるでしょうけど、20を越えるとかなり多いですよね。1軒の農家じゃ揃えるのが困難かもしれません。いや、ひとつの産地で揃えるのだって「有機」という縛りをかけちゃったら、難しいかもしれません。

いや、日本全国のものを仕入れるからノープロブレム、ってことなんでしょうな。現実的にはそうだと思います。ただね、やっぱりいくつか気になるんですよ。

このBLOGでも何度も申しあげてきましたけど、飲食店さんは「有機」という表示をどのくらいきちんと理解して、「正しく」お使いなんでしょう。「一部有機野菜使用」であればそう表示すべきでして、「○○種の季節の有機野菜」なんて料理名は不当表示にあたる可能性があります。

だいたい、有機JASの認証と格付(ようするにJASマークのシールなどが貼られるところまでの事務作業)があってはじめて「有機」といっていいことになっているんです。本質的ないい悪いは別にして、そういうルールになっているんです。認証を取得していない「事実上」有機栽培、無農薬栽培をしている生産者のものは、やっぱり「有機」「無農薬」と表示して売ってはいけない、そういうことに決まっているわけなんです。

今回のネタにしている「○○種の季節の有機野菜」ですと、飲食店さんがルールをきちっと守って、有機JASの野菜だけ使っているとしましょう。いささか揃えるのがタイヘンじゃないかと…。そりゃ、一般野菜50品目くらいは常時安定的に有機JASモノが流通しているはずです。でもこれは一般野菜のはなしなんですよね。そこで無問題となるんでしょうかね。ゴボウとかレンコンとか、いまどきのフレンチじゃあたりまえみたいだから、べつにいいんでしょうね。だとすると仕入れはそんなに大変じゃないかも。

あとですね、いちばん大きな疑問なんですけど、日本の有機農業ってのは「身土不二」「適期適作」の概念をかなり重要視します。有機農業というのは「農」そのものの「あり方」の問題であって、たんに味がどうとか安全性がどうとか、そういう表層的なことじゃないんですよね。

だから、個人的な意見ですけど、消費者エゴむきだしの、きわめて皮相的な「有機野菜」の扱いにはものすごく違和感があるんです。

もうひとつ不思議なんですけど、そんなに食材の種類が多いと、料理そのもの、とくに味と香りについて、どういうロジックで組みたてることになるんでしょう? 食べる順番とか指定するんですかね? まさかメリメロでいいなんてこたぁないですよね? 種類が多いってことは、ただでさえひとつひとつの野菜はごく少量にならざるを得ないんですから、それを「まじぇまじぇ」しちゃったら何を食べてるんだかわけがわからなくなっちゃうでしょうからね。

これについては、前々から疑問だったんですよ。「付け合わせ」を構成している要素が多すぎるんじゃないか、って思うことがしばしばなんです。肉料理でも魚料理でもいいですけど、フランス料理でしたら、中心となる食材とソースの組みあわせがあって、それを補完する意味でガルニチュールを考えてきますよね。このとき、主役の食材、ソースとの相性ってのはもちろん重要ですけど、合えばいいってもんじゃない。理想を言うなら、このガルニチュールだからこそ料理が完成する、とまで言えるくらい料理としてのロジックというのがあってほしいものですよね。で、これが言えるのは、やっぱり要素を絞りこんだ場合じゃないかと。

まぁ、野菜生産者が言うべきことじゃないんですよね。いろんな野菜をたくさん使ってもらわないと「ショーバイあがったり」なんですから。ただ、ウチの商いにかんしていうなら、大量生産、大量消費がなじむジャンルでもないんですよね。

えー、ちなみに、まきもの屋の産直「おまかせ西洋野菜セット(定期便)」ですと、いちどに揃う品目はハイシーズンに最大で15種類くらいでしょうか? もちろん有機JASじゃございません。ビーツなんか色ごとに数えませんから、そういうのを勘定に入れたら20くらいにはなると思いますけど。個人の能力の問題でしょうけど、これ以上はムリですね。何をやっているんだか自分でもわからなくなっちゃいます。「有機」じゃなくてこうなんですから。きちんとJASの認証をとって、それに付随する膨大な事務作業をやって…となると半分以下になるでしょうね。これはあくまでも「まきもの屋の場合」なんで、ヨソ様はちがうと思いますけど。

あー、そうそう、20や30くらいの品目数ならまぁお気持ちはわからなくもないんですが、さすがに3ケタの品目を一皿に盛りこむとなると、生産者としてはご遠慮申しあげたいですな。それぞれの野菜に適した火入れと味つけをしているとおっしゃられても、じっさいに食べ手が知覚できなかったら意味ないんです。ここまでいっちゃうと、はっきりいって野菜を粗末にしているのと変りありませんがな。「飽食の時代」なんでしょうね。

低温調理って何度なの?

WEBで42℃とか38℃で「火を入れた」魚料理というのをみかけまして、ちょっと不思議に思ったんですよ。

いえ、フランス語で"tiède"っていえば、まぁなんとなくわかります。でも、だいたい芯温を60〜65℃、ギリギリで58℃くらいにすると思っていたんですよ。だって、そうしないと細菌が大増殖しちゃうじゃないですか。

真空調理だからダイジョブ? ンなわけありませんよね。たしかに、真空だと好気性細菌は滅菌できますけどね。黄色ブドウ球菌なんて食中毒をひきおこすので有名な常在菌ですけど、コイツ、嫌気性なんですよね。つまり、空気が少ないほうが繁殖しやすかったりするんです。大腸菌も嫌気性でしたな。で、あの有名なO157なんてのは大腸菌の一種なわけですよね。芯温75℃1分以上で滅菌すべし、なんて言いますけどね。

ふつうは「火入れ」が殺菌を兼ねていたりするわけですよね。その火入れが細菌の増殖を止めないどころか助長しちゃうんだとしたら、何か別の方法で除菌なり殺菌なりしてやらなきゃなりませんね。どうなさっているんでしょう?

食品に使用できる除菌剤、殺菌剤はけっこうたくさんありますよね。古くからあるのだと、次亜塩素酸とか過酸化水素、アルコール、いろいろですよね。

でもまぁ、フツーに考えて40℃くらいの温度にするって、よっぽど短時間じゃないと菌の増殖が不安になりますよね。やっぱり殺菌剤だか、除菌剤だかを使ってるんでしょうかねぇ。

まぁ、そのこと自体はいいんですよ。どういうふうに殺菌、除菌するのかなって思っただけなんですから。ただ、そういう調理方法をなさっているお店が、もし、無農薬の野菜をウリというかメニューに謳っていたとしたら、そりゃ小一時間(略)ってな感じには思うでしょうね。

って言うか、以前から疑問だったんですけど、有機とか無農薬のお野菜に「こだわる」お店って、燻蒸、燻煙とかしないんですかね? 気温の高い時期はとくに虫が外から入りこんできたりするでしょうけど、どうやって駆虫してるんでしょう? まさかスプレー式の殺虫剤をプシューなんてことホールや厨房でなさってないですよねぇ。スプレー式の殺虫剤は合成ピレスロイド剤が多いですね。 そりゃピレスロイドは残効性が低いから「残留」を気にする必要はないでしょうけど、コレ、思いっきり「農薬」とおんなじものなんですよね。

「無農薬のお野菜で安全、安心♪」なんて言いながら、店内で殺虫剤=農薬を撒いていたらシャレになりませんがな。ほんと、実際のところみなさんどうなさっているんでしょう? 知りたいです。どなたか教えてくださいな。って、こんな嫌味たっぷりの書きかたじゃ誰も教えてくれないかな…。

飲食店での「有機」表示についてさらに補足しときます

お店のWEBサイトとかBLOGで「食材入荷情報」として「○○ファームさんの有機野菜」という表現で写真つきで紹介したとしますね。もし○○ファームさんが有機JASの認証を取得していなければ、これJAS法でアウトです。もしもお店で「○○ファームさんの有機野菜、お頒けします」なんてやっていたら完璧に真っ黒クロスケ。告発されたらペナルティが課される可能性もあります。

いっぽう、メニューに「有機野菜のテリーヌ」などと書くのはOK。ここが法(王庁)の抜け穴なんですよ(1)。瓶詰めやレトルトといった「加工食品」には有機JAS規格が適用されるんですが、レストランで提供される料理はこの「加工食品」あつかいにはならないんです。ただ、いわゆる「不当表示防止法」とか「不正競争防止法」あるいは刑法の詐欺罪を適用することだって不可能じゃないかもしれません。ホントはNGなはずなんですよ、これだって。

いいですか、有機JAS認証を取得していない、でも「有機農業にとりくんでいる○○ファームさん」という表現はOK。具体的な食材を指して「○○ファームさんの有機野菜」という表現はアウト。メニューに「○○ファームさんの有機野菜のテリーヌ」はOK(というかグレー)。役所の管轄がちがうからこんな奇妙な事態になってるんですよ。困ったものです。

どう思われますか? ショーバイだから売れりゃなんでもいい、って考えかたもあるかもしれませんけど、このあたりの事情をよく理解しないままに売るのはモラルの問題としてどうなんでしょう?

あとですね、「ビオ」って言葉。ヨーロッパの"BIO"は日本の「有機」にあたるんですよね。フランスだと"AB"マークがついたものだけがそう呼ばれます。まちがっても「リュット・レゾネ」のものを「ビオワイン」なんて呼ばないでくださいね。無知がバレます。ついでに申しあげると、日本では「オーガニック」という語は有機JASで規制されてますけど、現状では「ビオ」は野放し状態だったと記憶しています。まったくねぇ、農水省がおバカチンだからこういうことになるんです。

  • 注1) この冗談、だれにもわかってもらえないんでしょうねぇ。いえ、いいんですよ。このエントリの結びのヒトコトと共鳴することになってるんですけど。いわゆるオヤジギャクですから、あんまり品のいいモンじゃありませんしね。

参考文献

しつこいようだが、まきもの屋は有機農業を看板に掲げてはいない。それはさておき、有機だの無農薬だのとおっしゃる方々には、最低でもこのくらいはよくお読みいただきたいものである。

  • アルバート・ハワード『農業聖典』コモンズ、2003年。
  • アルバート・ハワード『ハワードの有機農業』上・下、農文協、2002年。
  • J.I.ロデイル『有機農法—自然循環とよみがえる生命』農文協、1974年

思想的な核として必読はこの3著(日本語版だと4冊)。福岡正信とかも面白いんだが、誤読する可能性があるのであんまりおすすめしたくない。まきもの屋の飼い猫「岡田松吉」とよく似た名の方は新宗教の教祖様だった方なのでビオディナミックのシュタイナーと同様、一般的ではないだろう(ちなみに「肥毒」という語が特徴的だからすぐにこの系列はわかりますな)。

やや技術的だが、

  • 西尾道徳『有機栽培の基礎知識』農文協、1997年。
  • カトリーヌ・ドゥ・シルギューイ『有機農業の基本技術』八坂書房、1997年。
  • 日本有機農業研究会編『有機農業ハンドブック』農文協、1999年。

は、一般の方にもおすすめできる良書だと思う。

個人的にはカーソンとか有吉はおすすめしたくない、というか、読んでほしくない。もう読んじゃったんならしょうがないけど、知らないんならそのままのほうが絶対にいいと思う。だいたい、偏りがはげしすぎる。センセーショナルだった分だけ、誤謬もあるみたいだ。

何かを糾弾しようとするときは、それに対するオルタナティヴを提案できるというのが最低条件だと思うんですよね。『沈黙の…』とか『複合…』にはそれがない。ハワード卿の著作はそこがちがうんですよ。オルタナティヴの提案でできている。しかもそれは説得力もあり実績もある。どこかの政党なんかとはずいぶん違いますよね。

有機、無農薬の表示について農水省、厚労省、経産省あたりが足並みを揃えるべき

タテ割り行政の弊害ってヤツでしょうな。農産物に「有機」「無農薬」「減農薬」といった表示をすることは、農林水産省が管轄している分野ではそこそこ規制が徹底されているんですよ。つまり、野菜とか米とか、農産物そのものあるいはその加工品のレヴェルです。

外食産業なんかですと、「有機」「無農薬」の表示は根拠なしに「やりたい放題」です。これを規制する法律はおろか法令も通達も存在を聞いたことがありません。あるんですかね、ホントは? ないとオカシイと思うんですよ。飲食店の「食品偽装」とかって大問題になるじゃないですか?

だいたい、「無農薬」という表示は農水省の「特別栽培農産物ガイドライン」で「望ましくない」とされておりまして、事実上は禁止と考えたほうがいいものなんですよ。「有機」についてはいわゆるJAS法という法律とその事実上の運用基準である「有機農産物のJAS規格」にもとづいて第三者機関による「認証」を得て、それをただしく表示したものだけが認められるんです。違反するとペナルティがあります。

ところが抜け道というんですか、やっぱりこれ「ザル法」みたいなところがありまして、生産者が「有機農業を営んでいる」とか「無農薬栽培に取り組んでいる」と表現することは可能なんです。有機JAS規格にしろ特別栽培ガイドラインにしろ農産物そのものにどういう表示をつけるかというところしか問題にしていないからなんです。

あまり知られていないことなんですけど、特別栽培ガイドラインは農水省の「通達」なんで、遵守する法的義務はありません。が、事実上は指導がはいっちゃうらしいです。よくわかんないのは、いろんな「認証団体」というNPO法人やら株式会社やらがけっこうな数ありまして、そういうところが「特別栽培」の「認証」ってのを有料でやっとります。

で、この「特別栽培」の「認証」をやっている団体ってのはようするに有機JASの認証を請け負っているところなんですよね。どうです? なんか香ばしいでしょ?

ちなみに、有機JASってのは膨大な書類作成と、その認証機関に支払うべき手数料といいますか、そういう経費がものすごいです。日本でそこそこ古くから有機農業にとりくんでおられる方々のなかには、有機JASの認証をとっておられないところも多い。

これが問題をややこしくしちゃってるんですよね。有機農業界の大御所がスルーしちゃってるもんだから、なくてもOKということになります。そりゃ、農産物の「表示」の問題だけですから、実務的にはそれでいいんです。が、有機農業界の大御所つまりは名の知れた有機栽培農家が生産したものであれば、やっぱり「有機」だと思いますよね、とくにお客さんは。

おわかりいただけるでしょうか? ようするに制度的に問題がいっぱいありまして、どうせ規制するんだったら作り手から食べ手までのあいだ全部をきっちりコントロールすべきなんですよね。そのへんがお役所仕事のせいでしょうか、うまくいっていないんです。

このBLOGをお読みくださっている方の多くは流通、飲食関係者、(あと生産者もいるんでしょうね、あんまりうれしくないんだけど)だと思いますんで、もういちど有機とか特栽といった表示問題についてはどういうスタンスでおつきあいなさるか再考なさることをおすすめします。とくに、飲食店さんは安易に「有機」「無農薬」という表記をつかっていいのか、法律上の問題ではなく、商倫理というかモラルの問題としてお考えいただけたらと思うんですがいかがでしょう? それに、いまどきは飲食店で「有機」「無農薬」って謳うのもかなりベタな印象があるんですけど…。

野菜物語?

なんか、以前に似たようなタイトルでぜんぜんちがう内容のエントリを書いたと思うんだけど、まぁ、誰も気になさらないだろうからスルーしちゃいましょう。

販売手法として、ストーリー性の付与というのはジャンルを問わず有効なもののひとつとされていますな。いまどきよくある作り手や売り手の「思い」なんてのもこのストーリー性付与のヴァリエーションといっていいでしょう。

野菜ですと、塩トマトとかバラフあたり、物語性の付与でうまくいっているパターンでしょうな。

野菜物語を仕立てる(もちろんでっちあげなんかじゃなく)のに、いちばん手っとりばやいのは栽培方法、それも工夫とか努力しているポイントとか、そういうところをアピールするわけです。ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾ(いわゆるタルディーボ)なんかそうですよね。ものすごく特殊な栽培方法で世界的に有名なわけですから。

もうひとつ、物語としていいのは、品種なんです。それも土着の、先祖代々うけつがれてきたようなヤツ。できたら門外不出がいいですね。生産者の○○さんの家で昔からたいせつに伝えられてきた品種。かなりキャッチーですな。

うーん、まきもの屋は野菜物語にはあんまり向いていないんだろうか? なにしろ栽培方法は部外秘のものが多いし、品種だってそんなに特別なものは使っていません。ただ、マネされちゃかなわないから品種もお客様から聞かれなければ言いません。

いえね、「物語性」というコトバじたいホントは不適切だと思うんですよね。「わかりやすく魅力的な情報」と表現したほうが正確だと思いますね。だいたい、ホンモノの「物語」ってのは、かならず登場人物がいて、始まりがあって途中があって終りがある。これにあてはまらない物語というのは存在しません。ね、商品を売るときの戦略的手法としてはあんまり適切な用語じゃないでしょう?

いずれにしても、商売上のテクニックにすぎないんですけどね。

ポワローの葉鞘部はフランス語でfûtというんですけど

ちょっとした語学ネタです。発音は[fyt](フュット)ですな。フランス語では「語末の子音字は発音されない」のがフツーなんですけど、この語はしっかり発音するんですよね。もともとは木の「幹」という意味ですけど、ワインなんかの「酒樽」の意味でもつかいます。っていうか、このBLOGの読者のみなさんだと、そちらのほうがおなじみでしょうか。

"poêle"(ポワル=フライパン)とか"suggestion"(スュグジェスチォン=示唆)なんかと同様に、間違った発音で覚えることが多い単語ですな。ほら、怒らないから正直に白状しちゃいなさい(笑。まぁ、「カラフェ」とか「スタジエ」みたいなのにくらべたら、誤謬としてはかなり上等な部類だと思いますけど。

で、ポワローの蘊蓄でも書こうかい、と思ったんですが、なにぶんミニ・ポワローの出荷再開までもうしばらくお時間を頂戴しなければならないような状況ですんで、今日はやめときます。

エ○プリ厨にマトモな奴はいない

一部伏せ字にさせていただくとともに、このエントリの内容は実在するすべての人物、お店等に完全に無関係であること、したがって、誹謗中傷等の意図はいっさいございませんことを強調させていただきます

タイトルに掲げた一文が、家人の持論らしい。曰く

  • このコトバが好きなフランス料理店は「なんちゃって」料理しかださない
  • このコトバを恥ずかしげもなく使う自称文化人は似非
  • こいつらに「具体的にどういう意味?」と説明をもとめたら、トンチンカンな答えがかえってくる
  • なぜ連中がダメかというと、この語をただしく理解しないままに使っているから

面とむかって「エ○プリ」なんて言われるといたたまれなくなっちゃうそうです。うーん、キツいですなぁ。さすがにワタクシはそこまで言えません(笑。なので、とりあえず聞き書きです。あとで自分なりに咀嚼して書いてみましょうかね。

野菜の種類なんて数が限られておりまして

洋の東西を問わず、野菜--厳密に表現すると「食用として栽培される草本類」--の種類なんてのは、じつはそんなに驚くほど多くはないんですよ。ナスはナス、トマトはトマトって具合に品目ベースで勘定すると。

農水省の指定野菜14品目、特定野菜34品目ってありますよね。これ、なかなかスグれもののリストで、ようするに日本の一般的な食生活に必要な野菜のほとんどが含まれています。

で、いわゆる西洋野菜なんですけど、上記のリストに品目レヴェルで含まれないものって、じつはそれほど多くはないんです。そりゃ、ポワローとかアーティチョークとか、いろいろありますけどね。でも、たとえばフィレンツェ茄子なんていってもナスはナスなわけです。そういう数えかたというか考えかたですね。

もちろん、トマトだってオックスハート、マルマンド、サン=マルツァーノ、コストルート・フィオレンティーノ、いろいろあります。数えきれないくらいです。こういうのは品種レヴェルですね。その場合はもう、それこそ無数にあります。ただですね、たんに品種が違えばそれだけ種類が多いような気がしちゃうかもしれませんけど、日本国内で生産されているレタスとかキャベツだって、ものすごい数の品種がつかわれているわけです。でもレタスはレタス、キャベツはキャベツでしょう?

で、じゃぁ「西洋野菜」の定義って何? ってことになっちゃうと思うんですけど、個人的には、オーセンティックな西洋料理を構成する野菜だと考えております。ポイントは「オーセンティック」です。あえて「トラディショナル」とも「レジォナル」とも申しません。オーセンティックはオーセンティックです。

オーセンティックという語をどう解釈するかで変ってきますが、たとえばポワローをつかうべきところに、高価だから、あるいは入荷が不安定だから、という理由で和ネギをつかうとしましょう。これはオーセンティックなフランス料理になりますか? そういうことなんです。

で、上に書いた定義をベースに考えますと、「珍しい西洋野菜」という表現がじつにナンセンスだと思いませんか? 「珍しい」と「西洋野菜」というふたつの語が矛盾しちゃってます。

難しいかな? ようするに、西洋野菜というのはイタリア料理、フランス料理、スペイン料理といった西洋料理の文脈ではごくあたりまえの、ふつうの野菜なんです。だから、「珍しい」という形容をつけること自体が、自身の不明、無知、無教養、無経験、無見識、不勉強、無定見、無自覚、非常識、まぁようするにバカちんってのをさらけだしているということになるんですよ(1)。すくなくともロジックとしては。

もちろん使い手のみなさんはこんなバカなことはおっしゃらないと思います。ダイヨウと安いものばかりつまむクセが染みついちゃってなければ。ねぇ、皮肉ってわかります?

問題は生産者側なんですよね。思いきって9000ガバスくらい賭けちゃいますけど、西洋野菜をやっている生産者の99.9%が「珍しい西洋野菜」って認識から抜けられていないはずです。そりゃそうですよね、生産者って大多数はまきもの屋みたいに田舎で地べたを這うようにして仕事してるんですから。西洋料理を知っているとか、西洋の食文化に造詣があるとか、外国語の知識があるとか、そういうのはレアケースでしょうね。

だからダメとか、そういうことを申しあげるつもりはございません。ただ、知ってってやっていることと、知らずにやっていることは、結果が似て非なるものになるんじゃないか、そういうことです。

料理人さんは「王様気質」の方も少なからずいらっしゃるようですから、そういう方は、たとえばまきもの屋みたいなタイプとはうまくいかないかもしれませんね。でも、「珍しい西洋野菜」レヴェルでお山の大将というかジャイアンみたいにはならないでくださいね。生産者ってけっこうデリケートでナイーヴな人も多いんですよ。いえ、まきもの屋がそう自称したいということじゃないんですけど。

しつこいようですが、今日のキーワードは「オーセンティック」です。ここ、大事なのでよーくアタマに入れておいてくださいね。試験にでるかもしれませんよ(笑。

  • 注1) ラブレー風の文体ですな。とくにパニュルジュ的です。教養ってのはこういうモンなんですけどねぇ。

寒いからこんな曲でも…

歌詞はご本人のサイトでご覧くださいな。