Archive for March 2010

ユルバン・デュボワの「ロワイヤル」

22. --- ROYALE.

Préparez une purée de volailles comme il est indiqué à l'arcicle précédent, en remplaçant la sauce suprême par de la bonne crème, ajoutez sel, muscade, une pincée de sucre, et pochez de même. (La cuisine classique, p.26.).

前項で示したと同様にヴォライユのピュレを用意するが、ソース・シュプレームを良質の生クリームで置きかえる。塩、ナツメグ、砂糖1つまみを加え、同様にポシェする。

困りますね。「前項」をみないことにはこれじゃぁ何だかさっぱりわかりません。というわけで、

21. --- SÉVIGNÉ.

Enlevez les chairs blanches de deux poulets; si elles sont crues, faites-les raidir au beurre, puis piler; si elles sont cuites, parez et pilez-les également, délayez-les ensuite avec 3 décilitres à peu près de sauce suprême claire, et faites passer au tamis; assaisonnez d'une pointe de sucre et muscade, incorporez 10 à 12 jaunes d'oeufs et faites passer à travers l'étamine; beurrez une douzaine de moules à darioles, emplissez-les avec cet appareil et placez-les dans un sautoir avec de l'eau bouillante jusqu'à moitié de leur hauteur; placez le sautoir sur le feu pour amener l'eau à l'ébullition, puis couvrez et poussez à four modéré. Au bout de 12 à 15 minutes, l'appareil sera raffermi; retirez le sautoir du feu et laissez refroidir; parez ensuite les parties supérieures trop séchées par l'action du feu, coupez-les transversalement en trois parties, et placez-les dans la soupière pour verser le consommé dessus. Cette garniture s'applique également aux consommés et aux potages liés. On peur cuire cet appareil dans de petits moules plats, unis ou cannelés; on peut encore le cuire dans un moule à charlotte, foncé de papier, pour le couper ensuite en gros dés. Les moules à darioles peuvent se laisser entiers. (La cuisine classique, pp.25-26.)

鶏2羽のササミを取りだす。生であれば、バターでレディール(1)したのち、摺りつぶす。加熱済みであれば、掃除をして同様に摺りつぶす。薄いソース・シュプレーム約3dlでのばし、タミ(2)でパッセする。砂糖とナツメグ各1つまみでアセゾネし、卵黄10〜12を混ぜ、漉し布でパッセする。ダリオル型12にバターを塗り、アパレイユを入れる。ソトワールに並べ、半分くらいの高さまで湯を注ぐ。ソトワールを火にかけて沸騰させ、低めの温度のオーブンに入れる(3))。12〜15分後、アパレイユが固まったら、火からはずして冷ます。つぎに、火にあたって乾きすぎた上部を掃除し、水平に3つに切る。これをスピエールに入れ、上からコンソメを注ぐ。この浮き実(ガルニチュール)はコンソメにもトロミのあるポタージュにも利用できる。このアパレイユに火を通すのに、平たい、プレーンあるいは溝のついた型を用いてもよい。また、紙を敷いたシャルロット型を用いて火を通し、大きめのデに切ってもよい。ダリオル型であれば完璧である(4)

はっきり言ってかなり難しいです。19世紀半ばのフランスの調理現場を具体的にイメージできないと訳しづらいところがありますね。フランス料理史は専門じゃないので、自信のないところには注をつけておきました。

さて、ここから読みとれること。すくなくともデュボワでは、ロワイヤルはセヴィニエという浮き実の派生型のあつかいだということですね。玉子をつかい、ポシェして固めるという点では Le guide culinaire と同じですけど、ソース・シュプレームあるいは生クリームを使っている。前回のエントリで訳した「ポワローのロワイヤル」と似ていますね。というか、Le guide culinaire にでてくる"royale de volaille"とほぼ同じものですね。じつは Le guide culinaire でも、ベシャメルを使うパターンのほうが多いんですよね。なので、「一般的なロワイヤル」といっているのは、かならずしも「基本パターン」ではない、ということになりますかね。

それにしても、ひとつのルセットを理解するのに、複数のルセットを読まなければならないってのは Le guide culinaire でもけっこうでてきますね。通読しているぶんにはいいんですが、ちょっとひとつだけ調べるってわけにはいかない。ひとつ調べたら「○○を△△に置きかえただけ」みたいなことが書いてあって、芋蔓式にいくつか読まなきゃならない羽目になっちゃうんですね。ひどいときはかなりページが飛んでたりする。ワタシはたんに面白がって読んでるだけなんでいいんですが、現場でやっておられる料理人さんはイラっとくるかもしれませんな。そういう意味では、所詮は昔の文献、現代ではあんまり実用的じゃないってことですかねぇ。

訳がけっこう大変だったので、このネタはこれでおしまい。ちょっとヘタレました(笑。

  • 注1) 原義は、焼き色がつかないように低温で表面を焼き固めること。このルセットではほぼ火を通しきっていいようにも読めますね。でも、いいですか、焼き色をつけちゃいけません。Le Grand Larousse gastronomiqueにも、Le guide culinaireにも、"raidir"は「焼き色をつけない」とはっきり書いてあります。
  • 注2) 「篩」のことですが、いまならシノワを使うところでしょうね。[補足:この注は間違い。下のコメント参照]
  • 注3) 原文"poussez à four modéré"をどう解釈するか問題。ここではオーブンの中に入れるとしたが、調理用ストーブの火の弱いところに置く、という意味に解することも不可能ではない。ただし、その場合は"four"ではなく"feu"が自然か。
  • 注4) 最後の一文は自信がありません。大きな辞書を引かないと…

ロワイヤルは「茶碗蒸し」なの?

野菜についてはやたらと専門的なことを書いておりますが、本質的に料理のド素人なんで、素でこんなことに疑問をもったりするんですよ。

ロワイヤル "royale"ってのは厄介なコトバで、たとえば「リエーヴル・ア・ラ・ロワイヤル」"lièvre à la royale"という古典料理がありますけど、これの場合は「王様風」ってな意味ですね。で、このコトバ、いろんな料理名につかわれていたりします。

スープがらみで「ロワイヤル」って言えば、コンソメの「浮き実」ですよね。すくなくともワタシはずーっとそのように理解していたんです。辞書にそう書いてあるんで、素直にそう覚えたんですよ。が、どうも巷では「洋風茶碗蒸し」の如き見た目の料理を「ロワイヤル」と呼ぶらしい、ということを数年前に知りまして、いささか気にはなっていたのですよ。で、 Le guide culinaire を読んでおりまして、疑問の半分はなんとなく解消したんです。

ここで示すロワイヤルの分量は、2リットルのコンソメの浮き実にするためのものです。したがって、場合により量の増減は簡単ですし、その結果としてポシェの時間もたやすく調整できます。
ここでは主なやり方しか示しません。この項目(1)を長々と書くのはまったく無意味と考えたからです。主素材がいかなる種類のものであれ、ロワイヤルの調理手順はつねに同じなのですから。
注意すべきポイントは、ロワイヤルは完全に冷めた時点、つまり冷めていく間に(余熱で)内部が固まったのが確実になってからしか、切るべきではない、というかそもそもそうなってはじめて切ってよい、ということです(2)
ロワイヤルのカットは、それがどんな形であれ、絶対に規則的で正確なものでなければならないことを忘れてはいけません。
さいごに、以下の仕込みでロワイヤルを非常に繊細なものにするためには、全卵または卵黄を本書で指示している分量以上に使わないことが重要です。この分量は確実にちょうどよく固まるように調整したものですから。

一般的なロワイヤル

コンソメ2dlを沸かし、セルフイユ2つまみをアンフュゼする。
中位の大きさの全卵1ヶと卵黄3をよく溶きほぐし、アンフュゼしたコンソメを少しずつ加える。漉し布でパッセし、泡をとり除く。バターを塗った型に注ぎ入れる。
沸騰させないよう気をつけて、バン=マリ(湯煎鍋)でポシェする。
ポシェの時間はダリオル型で12〜15分。
パン型(3)では、4dlの型の場合25〜30分(4)

今日は思いっきり「意訳」にしてみました。たいした理由はありません。しかも「パッセ」とやってみました。個人的な好みだと「パセ」と表記したいんですが、調理現場での慣例はたぶん「パッセ」でしょうから。

湯煎鍋でポシェするってことは、「蒸す」というのとはちがいますよね。そういう違いはありますけど、やってることは茶碗蒸しそっくりと言われればそんな気もします。

逆にいうと、ロワイヤルをつくるのに「蒸し器」をつかうのはアリか? そんなことも気になるわけです。あるいは、スチコンをつかった場合はどうなんでしょう? 日本料理でも茶碗蒸しはスチコンを使うことがあると読んだ記憶があります。そうすると、技法といいますか、調理方法としてロワイヤルと茶碗蒸しはまったくおんなじ、つかう材料とくにダシがちがうだけ、ってことになるんでしょうか? で、「洋風茶碗蒸し」ってことになるんでしょうか?

まぁ、 Le guide culinaire にでているロワイヤルは、冷えてから小さくカットしてコンソメの浮き実にするわけですから、そこが違うってことなんでしょうか。なので、似たようなことをやっているとはいえ、茶碗蒸しというにはちょっと固いと思うんですよ。ある程度固くないと切れないですからねぇ。上の分量をみると、どのくらいの固さかすぐ想像つきますね。

今日はもうひとつ訳をサーヴィス。

ポワローのロワイヤル

ポワロー100gはごく薄くエマンセし、バターのみで(5) エチュヴェする。スプーン1.5杯のベシャメルソース、 スプーン3の生クリームを加え、弱火で煮上げる。
漉し布でパッセし、卵黄3でリエし、一般的なロワイヤルと同様にポシェする(6)

「ごく薄くエマンセ」するって冗語ですね。でも、原文が"émincer finement"なんですよ。「繊細にエマンセする」って、ようするに、これ以上薄くできないくらい薄切りにするってことですね。カタカナのエマンセをつかうとこんな表現になっちゃいますね。

Le guide culinaire ではポワローは独立した項目がたっていないんです。こういうところにちょこちょこ顔をだすんですよね。ちなみに、「野菜」の章にあるのは19世紀でいうところの"entremets de légumes"(野菜のアントルメ)なんで、それがこの本にでてくるすべての野菜ってわけじゃないんです。でもまぁ、それはまた別のはなし、ってことで、とりあえず、コンソメの浮き実にするロワイヤルと「茶碗蒸し」は調理法が似ているから、その類推からイマドキの用法になったのかなぁ…って思ったんですけど、合ってますかね?

「ロワイヤル」という名の洋風茶碗蒸しが、コンソメの浮き実の「ロワイヤル」から派生した、というか単独の料理となったのであれば、それはいつごろ、どこではじまったことなんでしょうかね? 寡聞にして、フランスでは茶碗蒸しみたいなものを経験しなかったもので…。

誤解しないでいただきたいんですが、「ロワイヤル」=「洋風茶碗蒸し」についての勝手な憶測です。まちがっていても、たんにワタクシの無知のせいなんですから、コッソリ教えてくださいね。

  • 注1) 原文は"série"。いろんなロワイヤルのルセットがでている、その一連の「シリーズ」ということなんですけど、引用文だとわかりづらいので、ちょっと変えてみました。
  • 注2) ココ、原文がかなり冗長になっておりまして、"une royale ne doit, et ne peut du reste être détaillée que quand ..."なんですよ。ちょっと訳しづらいところです。
  • 注3) いわゆる「パン・ド・ジェーヌ型」のことでしょうか? 自信ありません。
  • 注4) Le guide culinaire, p.115.
  • 注5) 原文は"étuver au beurre, à blanc, 100 grammes de poireaux"。"à blanc"は「カラ焼きする」"cuire à blanc"のように使いますけど、「バターでカラエチュヴェ」とはいえませんのでこんな感じにしてみました。
  • 注6) Ibid., p.116.

フヌイユ

すみませんねぇ、このところ異様なまでに専門的な内容になっているというのは自覚しております。というか、じつは意図的、ありていに申しあげて わ ざ と なんですよ。いえ、けっして「こんなに知識があるんだゾ」とか、「アタマいいでしょ」みたいなアピールじゃございません。

「おもしろ野菜」「珍しい野菜」という屈辱的な扱いから脱却するために、それに、中期的テーマとして「現代フランス野菜の味と香り」を掲げておりますんで、問題点をキッチリと整理して、日本のフランス料理における野菜の持ちうる意味をしっかり考えたい、そのための作業なんです。それは商品開発、販売のためのアプローチといったところにつながるわけですから、要は自分のためにやっているということになります。

で、まずは「古典」からというわけです。それも、相当数のフランス料理人のみなさんが最重要だとお考えのエスコフィエからやってみようということなんです。なので、本日も Le guide culinaire から引用させていただきましょう。

この野菜はほとんど使われていませんが、それは誤りです。というのも、きわめて繊細で、完璧な風味を持つ野菜だからです。この野菜は塩茹でしてから、カルドンやセルリと同様のやりかたで調理します(1)

「この野菜」というのはエントリのタイトルにしたフヌイユです。イタリアンだとフィノッキオですね。じつは、いわゆるフローレンス・フェンネルと、ハーブとして葉を利用するためのものは別種なんですけど、そのへんはとりあえず置いときます。

さて、「ほとんど使われない」というのに注目ですな。エスコフィエはとてもよい食材だと考えているけど、当時はフランスでも栽培されていたにもかかわらず、あまり人気がなかった、ということになります。すっかりおなじみになりました Vilmorin の1914年のカタログでは1品種だけ、挿絵つきで掲載されております(↑の写真)。

Le guide culinaire のフヌイユにかんするまとまった記述というのは、上に引用しただけです。フヌイユの○○風、みたいなルセットが具体的にでてるわけじゃありません。つまり、あくまでも読者である料理人さんたちへの「ヒント」ということになりますか。

ちなみに、コレ、エスコフィエより50年ほど前に書かれたユルバン・デュボワにもでてきます。

Le fenouil est une production italienne. On le mange cru; mais cuit, il constitue un excellent entremets. Il a beaucoup de rapport avec le céleri et se traite, d'ailleurs, de la même manière(2).

フユイユはイタリアの野菜である。生で食する。が、加熱すると、素晴らしいアントルメになる。この野菜はセルリと大いに関連があり、それに、おなじ方法で扱う。

やや「直訳」なんですけど、「セルリと大いに関連がある」というのは、もちろんふたつの野菜がセリ科に属していることを言っているのでしょう。近縁というほどのことはないんですが、まぁ親戚みたいなものですから。

やっぱり、というか当然ながら、「無名」野菜のあつかいですね。じゃぁ、現代はどうかといいますと、統計データをひっぱってみましょう。

この野菜のヨーロッパ(C.E.E.)での生産は360,000t、そのうちの92%がイタリアです。フランスは8,000tくらい。露地栽培は6月から12月。国内の需要の60〜75%をカヴァーしています。フランスでの国内消費は伸びているようで、不足分はイタリアやオランダからの輸入でまかなわれています(3)。WEBで読んだんですけど、ヨーロッパで生産されるフェンネル全体の80%以上がイタリアで消費されているということです。

まぁ、フランスでは地域差はあるにせよ、ややマイナー野菜どまり、っていう、ごく一般的なイメージでよろしいんでしょうねぇ。

ところが、日本のマーケットではミニ・フェンネルといえば、フランス産なんですよね。イタリア産もあるはずですけど、あんまり耳にしませんね。フランス産であるということは、フランス料理の素材なわけです。フルサイズのほうはもっぱらオランダあたりでしょうか。

ちょっと前に、Clause Italia がフィノッキオ・ベイビー専用品種をだすってニュースについてこのBLOGでも書きました元記事には、イタリア以外の国での需要を増やすには、ミニサイズに賭ける! みたいなことが書いてありましたんで、ようするに輸出狙い、というわけでしょうね。面白いのは、 Clause Italia って、フランスの Limagrain という大手種苗メーカーのイタリア法人なんです。ようするにフランス系、ということになりますね。

なかなか厄介ですね。まぁ、現代フランス料理におけるフヌイユの位置づけ、ニーズについてはまた別の機会に考えることにしましょう。ところで、この野菜、ミニにせよフルサイズにせよ、加熱の場合はいわゆる真空調理とか減圧低温調理がかなり有効な気がするんですけど、どなたか結果をお教えくださらないでしょうか。

  • 注1) Le guide culinaire, p.750.
  • 注2) La cuisine classique, p.417.
  • 注3) Productions légumières, t.2, p.156.

ユルバン・デュボワのフランス語の訳例と解説

一昨日のエントリで出題させていただいたユルバン・デュボワの『古典料理』冒頭からの引用文の訳例と解説です。

Maintenant, qu'il nous soit permis d'ajouter que si nous avons cru la description du service à la Russe nécessaire, c'est que nous l'avons sérieusement étudié(1).

ロシア式サーヴィスの記述が必要だと私共が判断したのは、私共がロシア式サーヴィスを入念に研究したからこそなのだと、ここに申し添えるのをお許し願いたい。

あえて「直訳」です。「翻訳」だともっと日本語を読みやすくしなくてはいけませんね。構文のポイントとしては

  • que + 接続法: ふつうはかならず「従属節」になるのですが、「主節」としてもちいられる場合「祈願文」という構文としてあつかわれます。仏和辞典の"que"の「接続詞」の項目をよーくご覧ください。たとえば、"Que je réusisisse."(成功しますように)。
  • il nous soit permis d'ajouter: il は「非人称」です。"il est permis de 不定詞"で、「〜することが許される」の意味になります。仏和辞典の"permettre"の項で、「非人称」と書いてあるところをさがしてください。"nous"は文法的には「間接目的語」で、「〜することが私達に許される」という意味になります。
  • croire 目的語+属詞:「目的語」を(が)「属詞」だと思う(英語のSVOCに相当しま す) この文では"necessaire"が「属詞」にあたります。目的語は"la description du service à la Russe"(ロシア式サーヴィスの記述)ですね。
  • si S'+V', c'est que S+V :「S'+V'であるのはS+Vだからだ」(理由を説明)

文の意味ですが、当時は「ロシア式サーヴィス」をよく知りもしないで批判する人も少なからずいたようで、デュボワは「ロシア式サーヴィス」を実践している側ですから、ちゃんと研究したうえで書いているんだ、というようなことを言いたいのかもしれませんね。このあたりの事情については辻静雄『フランス料理研究』をご参照ください。

さて、フランス語はいかがでしたでしょうか? この解説じゃまだムズかしいという方は、もういちど辞書をひいて考えてから、コメント欄でご質問ください。比較的難解というか、構文、文法の「ひっかけ」問題みたいな文ですので、「ルセット本体が読めればいいや」という方は、よくわからなくてもあまりお気になさる必要はないと思います。

ただ、エスコフィエでもデュボワでも、結構こういう文で重要と思われることを書いていたりするみたいなんで、そのへんは油断なさらないでくださいね。間違った理解をするくらいなら、最初から読まないほうがよっぽどマシってこともないわけじゃないんで…。

さいごに、メールで訳をお送りくださった方の向学心に敬意を表すとともに、あらためてこの場でお礼申しあげます。

そうそう、おひとかた、訳文の著作権を放棄なさるとおっしゃってくださったので、ご厚意に甘えて、俎上に上げさせていただきますと、訳例で「ここに申し添えるのをお許し願いたい」としたところ、訳の冒頭に持ってきまして、「一言付け加えるなら」と挿入句的に訳されていました。コレ、「翻訳」としてはなかなかイイ線でして、たとえば「一言申し添えることをお許しいただきたいのだが…」てな感じにすると「祈願文」のニュアンスも生きますし、フランス語の語順を尊重した訳文になるので、とてもいいアイデアだと思います。

  • 注1) Urbain Dubois, La cuisine classique, p.X.

未来のシェフのために

Le guide culinaire の最初の序文から。

本書はいまのところ、私がそうあってほしいと望んだ、そしていつかそうすべきものにはいまのところなっておりませんが、それでも我が同僚諸君に多いに役立つものではあるはずです。この目的があるからこそ、私は本書を誰にでも、とくにお金のない人達に買える値段にしました。というのも、私が本書の主たる対象としているのは若い人達なのです。いまは初学者ですが、20年後には我々の業界のトップになる人達なのですから(1)

今回はやや「意訳」ぎみにしてみました。じっさいに「翻訳」にするなら、もうちょっと日本語の表現を検討しなくてはいけませんね。

あるシェフの方が、この Le guide culinaire は若い料理人さんのためにこそ必要だ、ということをおっしゃっているんですけど、まさしくエスコフィエの意図といいますか願いはそこにあるんですね。

ただ、残念ながら日々激務に追われている若いコックさんたちは、、こんなBLOGでちょこちょことエスコフィエの文章の解説をしていることすらご存じないでしょう。いま Le guide culinaire は高価な日本語版を読むか、フランス語の原書を読むしかないんですよね。西洋野菜専門農家で、かつてフランス語教師をしていたまきもの屋としては「原書で読めばいいじゃん」という気持ちもないわけではない、というか、原書を読みこなしてほしいんですけど、みなさんの現実としては、なかなかそうはいかないと思います。

たしかに、この Le guide culinaire という本は、若い料理人さんが枕元で、通勤の電車で、お店のアイドルタイムなど、ひまを見つけては繰り返し読んでほしい本だと思います。そういう意味では、現行の日本語版はあまりにも重い、文字通りの重量級で、何キロあるんでしょうか? いつでも読めるような本じゃないんですよね。上述のシェフのおっしゃるところでは、「しかも解りにくい」。たしかに古い本ですからね。まぁ、それは、 Le guide culinaire をどういうシーンで活用するのか、ってことにもつながるんですけど、時間に追われプレッシャーで 押しつぶされそうになりながらも「フランス料理」に情熱をもっている若いひとたちには、絶対に読んでほしい、というか若いときにこそ読んでほしい本ではあると思います。だって、エスコフィエをちゃんと理解できていなかったら、あとあとまで「ひけめ」じゃないけど「心残り」になっちゃうと思うんですよ。

そういう意味では、「新訳」が必要なのかもしれないとは思いますね。まぁ、業界の周縁にいる者の意見ですけど。

若い料理人さんの利益になるってことは、将来的に、飲食産業にかかわるみなさん(もちろんワタシのような生産者もふくめて)の利益になるでしょうし、ひいては圧倒的多数である「食べ手」つまりレストランのお客さんの利益につながると思うんですが、いかがでしょうか?

もちろん、こんなことを書くからには、ワタクシまきもの屋も、「元」フランス語専門家として、あるいは「現」西洋野菜専門家としての協力は惜しみませんので。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.V.

ユルバン・デュボワを読んでみる?

本日、雨どころじゃなく「みぞれ」です。午前9時の外気温が-2℃…。泣きそうです。で、はやめに本日のエントリを書いちゃうことにしました。

Urbain Dubois, Emile Bernard, La Cuisine classique, études pratiques, raisonnées et démonstratives de l'école française appliquée au servie à la russe, 1856.コレ、いまどきはWEBで読めるんですよ。 BNGallica でも Google Books でもあります。Gallica も10年くらいまえのスタート時にはたいした文献が収録されてなかったんですが、いまじゃスゴいものです。むかしはフランスに行って、しかも研究者であることの証明書を図書館に提出しないと読めなかったようなものが日本にいながらにしてカンタンに見られるんですから。著者名 Urbain Dubois で検索するとすぐにでてきます。

はじめの20ページくらい読んだんですが、面白いですね。あたりまえといえばあまりにあたりまえですけど、モロに19世紀のフランス語です。かつて19世紀の文章を読みまくっていた者としては、妙ななつかしさみたいなものがあって、それだけでうれしくなっちゃったりします。

フランス料理史が専門でもない、一介の西洋野菜生産者がなんでこんな古い本を読もうと思ったかといいますと、Le guide culinaire の章立て、料理構成を理解するうえで必要だと考えたからです。それに、エスコフィエが序文のさいしょにユルバン・デュボワの名前をだしてるもんですから。あ、そもそも Le guide culinaire を読んでいること じたい、生産者として商品開発、調理提案の役にたてようという目的というか下心があるんです。なにも趣味でやってるわけじゃぁありません(笑。

ユルバン・デュボワってひとは、いまのフレンチの料理提供方式の原型である「ロシア式サーヴィス」を19世紀に推進したひとりとして有名で、そのへんのはなしは辻静雄『フランス料理研究』にもでてきますね。

で、そのことは本のタイトルおよび、第1章が「フランス式サーヴィスとロシア式サーヴィスの比較」にあてられていることからもよくわかります。これについては、上述の辻静雄『フランス料理研究』で要領よくまとめられているので、そちらをご参照いただければと思います。

つづいての「献立」(menus)の章では、ロシア式、フランス式、イギリス式で提供された献立の実例がたくさん挙げられています。このあたり、じつに興味深いものですね。ちょっとまえに流行った(今もか?)「多皿構成」なみの、ものすごい品数だったりします。

さて、はじめのほうを読んだだけなんですが、ちょっと語学レヴェルで面白い文がありましたので、引用しますね。

Maintenant, qu'il nous soit permis d'ajouter que si nous avons cru la description du service à la Russe nécessaire, c'est que nous l'avons sérieusement étudié(1).

フランス語の中級以上で「重要構文」といいますか、わりと有名な構文がこの本のはじめの20ページくらいでも目白押しなんですけど、そのひとつです。いかがですか? とりあえず答えは書かないでおきますね。おわかりの方はメールあるいはコメントでどうぞ。この引用文の内容じたいはさして大したことじゃないんで、読んでみてガッカリかもしれませんけど、それはワタクシの責任じゃありませんので(笑。

でっかい「釣り針」ですけど、どうです? これに関してはメールも捨てアド、匿名でいいですよ。あえてかかってみようとお思いになられる猛者もひとりくらいはいらっしゃるんじゃないかと思うんですけど。

  • 注1) Urbain Dubois, La cuisine classique, p.X.

読者拡張キャンペーン?

昨日にひきつづき懲りもせずエスコフィエ L'Aide-Mémoire culinaire の序文からです。

Il est de nécessité absolue que le personnel servant puisse répondre à toute interrogation d'un client au sujet du composé de tel ou tel mets, sans avoir à recourir continuellement aux explications du personnel culinaire. Pour le faire, il lui faut des renseignements concis, précis, et tel est le but de ce petit ouvrage(1).

サーヴィス・スタッフが、調理スタッフの説明にいつも頼る必要なく、お客様からの、かくかくしかじかの料理の要素についてのご質問にすべてお答えできるというのは、絶対に必要なことであります。それをするためには、簡潔かつ的確な資料がスタッフに必要です。そしてこれが、小著の目的なのであります。

今日は雨なので訳をつけてみました(笑。いえ、みなさんにとってはごくあたりまえのことですよね。なにもこんなBLOGで田舎の百姓がもったいぶって講釈垂れるようなことじゃありません。ワタクシだって身の程はわきまえております。

何が申したいかって、みなさん西洋野菜をお使いになられてお料理をつくられる。その素材についてサーヴィスの方がどのくらい理解なさっているんだろうか、ってことなんです。コチラで把握しているかぎりですと、このBLOGをお読みくださっている圧倒的多数(といっても全体の数は少ないですけど…)は料理人さん、流通関係者のみなさんで、サーヴィスの方がお読みくださっているというようなハナシは一度も漏れ聞いておりません。いえ、こんな嫌味で皮肉だらけのBLOGなんかお読みくださらなくてもいいんですけど、日本語で書かれた西洋野菜関連の記述のあるものって、けっこう間違いが散見されるんで、そういうことが気になったわけです。

もしかしたら、サーヴィスの方が食材について資料をご覧になる機会ってのは、お店にある専門誌や本をアイドルタイムにお読みになるくらいかもしれませんね。だとすると、西洋野菜専門でやっております生産者としてはおっかなくてしょうがないんですよ。日本語で書かれた料理関係のものって、西洋野菜にかんしてはアヤしげなものが多いんです、残念なことに。知らず知らずにお客様に「ウソ」の説明をなさっちゃう、その結果、巷にまちがった知識が流布しちゃかないません。

それに、たとえばですよ、お客様に「つけあわせはブレットという珍しいお野菜です」なんて説明をサーヴィスの方がなさっちゃったら、生産者としてはたまりませんがな。フランス(イタリア)でとてもポピュラーであること、ビーツのごく近縁であること(ベビーリーフの「デトロイト」と兄弟みたいなものなんですから)、有名な調理法、今回お出しする調理法とそのねらい、そういったこともお客様の求めに応じてご説明していただきたいというのがワタクシの本音なんです。

だいたいが、客の立場としてですよ、なんだかよくわからない食材を「珍しい」のヒトコトで喰わされちゃかないませんがな。

レストランのサーヴィスの方ってホントに大変だと思います。食材、料理、飲物、歴史や文化についてひと様に説明できるだけの知識、外国語力、そういったことまで要求されるんですから。そんななか、西洋野菜について勉強しろってのが酷だってことはわかるんです。

わかるんですけど、サーヴィスの方がきちんとお客様にご説明してくださらないと、せっかく料理人さんが西洋野菜をお使いになって、とても素晴らしいお料理をつくっても、アピールできないんですよ。本来期待できるはずの訴求力が発揮できない。多くのお客様にとっては、「珍しい」=「得体の知れない」野菜が皿に載っているだけ、なんてことになりかねないと危惧しております。コレけっこう大切なポイントだと思うんですよ。「稀少」なものって訴求力ありますし、それが持続してくれるんですけど、「珍しい」ってのはせいぜいが一過性の価値しか持たないんです。

だから、サーヴィス担当のみなさんにも西洋野菜の知識をぜひとも深めていただきたいと思うんですけど、こんなBLOGはかならずしもお薦めできませんし、日本語の文献、資料は不正確なものが多い…。きちんとしたものが出版されればいいんですけどねぇ…。

ワタクシの乏しい経験ですと、圃場視察にいらっしゃるのは料理人さんばっかり、サーヴィスの方がいらしたことは一度もないんです。いま、圃場視察はおうけしておりませんが、再開できるようになりましたら、ぜひぜひ料理人さん、サーヴィスの方ご一緒にいらしてください。その際には、当方の野菜をお求めいただいている業者さんを通してご連絡くださいね。

  • 注1) Auguste Escoffier, L'Aide-Mémoire culinaire, Flammarion, 2006, pp.XI-XII.

カブの菜花にかんする補足

もはや日課となりつつある「エスコフィエ・シリーズ」ですが、またまた小ネタでご勘弁。

「カブの菜花」のエントリで「いずれにしても、当時のフランス料理というかフランスの食文化では一般的ではなかったということだけはたしかですね」と断じたんですが、ツッコミがはいるかと思いきや、まったくもって静かなものです。

ロジックとして、ある命題が否定文のとき、それが「正」であることを証明するのはきわめて困難です。よく「悪魔の証明」っていいますよね、アレです。

そりゃ、以前からご高覧くださっておられる好事家諸賢は、このBLOGが皮肉とトラップをちりばめたものということくらいご承知でしょうから、なにもわざわざご自分から地雷原にとびこむようなことはなさらないんですよね(笑。こうして不発に終わるトラップってけっこうあるんですけど、たいていはそのまま放置しております。でもまぁ、このネタは自爆させてみましょうか。

傍証のひとつはすでに書きました。 Vilmorin の1914年のカタログに記載がない、ということです。 Vilmorin というのはフランスを代表する一大種苗会社です(いまは Limagrain 傘下ですけど)。野菜、というか園芸作物の歴史を調べているとしょっちゅう Vilmorin の名にでくわします。種苗のかなりのシェアをにぎっていたわけですから、ここで扱いがあるかどうか、どういう紹介のされかたをしているかで、ある野菜、ある品種のその時代のフランスでの位置づけの見当がつくということになります。

もうひとつの傍証、これが今日のメインなんですけど、ほかならぬエスコフィエが書いてくれています。Le guide culinaire と一緒に、1919年初版の L'Aide-Mémoire culinaireの複写版(1)も買ったんですよ。この本、 Le guide culinaire のダイジェストといいますか、実用一辺倒にコンパクトにしたような内容です。説明ぬきでひたすらルセットが並んでいます。で、UKモノの素材とかは省かれちゃっています。ここがポイントです。

さて、この L'Aide-Mémoire culinaire から「カブ」の項目をまるまま引用させていただきますと

NAVETS

Se préparent: Glacés et à la Crème, comme «carottes». En caisses, garnies de purée, de semoule liée au fromage, d'épinards, chicorée, etc. En purée. Les jeunes feuilles de navets se préparent comme «Choux à l'Anglaise»(2).

問題は最後の一文です。ちょうど原文でイタリックになっているところ、"les jeunes feuilles de navets"とありますね。"pousses"がないんですよ。「カブの若い葉」としか書いてありません。「花芽」については言及なし。これ大事なポイントです。

なにしろ、この本の序文の冒頭でエスコフィエ自身がこう書いています。

Il y a bien longtemps que j'eus l'idée de faciliter la tâche du personnel de restaurant (cuisiniers, maîtres d'hôtel et garçons) en mettant à sa disposition un ouvrage de petit format réunissant en des exposés brefs, et cependant explicites, la plus grande partie des recettes culinaires qui figurent sur nos Menus du jour(3).

「訳」じゃなくてもいいですよね? ようするに、当時のメニュー(4)をなすルセットの大部分をコンパクトかつわかりやすいかたちで、レストランのスタッフが利用できるような著作の構想を前から持っていた、ということです。

つまり、この本では、一般性、実用性がものすごく前面にでているわけです。その本で「カブの花芽」について言及がないってのはけっこう傍証としては重要じゃないでしょうか。

コレ、さらに文献をあつめたら、学術的な手法できっちりと、20世紀はじめのフランスではチーメ・ディ・ラーパは一般的ではなかった、という命題の証明はできるでしょうから、もしかしたらイグ・ノーベル賞を狙えるかもしれませんね(笑。いや、あんまり笑えないからダメかな…、まぁ、そんなことする気はさらさらないんですけど。

だから何?って、いえ、それだけなんです。文章は長くなりましたが、はじめに申しあげたように「小ネタ」ですんで。

  • 注1) Auguste Escoffier, L'Aide-Mémoire culinaire, Flammarion, 2006.
  • 注2) Ibid., pp.293-294.
  • 注3) Ibid., p.XI.
  • 注4) この「メニュー」の語の解釈はちょっと厄介なんですけど、ユルバン・デュボワあたりを読んでから論じたいところですね。なにしろワタクシ野菜の生産が本業でして、フランス料理史は専門じゃないもんですから。

トピナンブール、エルサレム・アーティチョーク、ようするにキクイモ

トピナンブールの旬もおしまいですが、キクイモは、お取引先様から「冬のマストアイテム」とまでお褒めいただいております、まきもの屋の隠れた人気商品でございます。

さて、このところ連日飽きもせず引用しておりますエスコフィエです。

トピナンブールのアングレーズ

トピナンブールは大きなオリーブの形に丸く剥き、バターで弱火で火を通します。
アセゾネし、薄いベシャメルソース少量でリエします。

註) トピナンブールは水および牛乳で煮ることも可能ですが、バターで火を通すのが望ましい(1)

ここではあえて「リエ」で訳しましたが、通常の日本語だと「あえる」くらいでしょうか。日本語で「リエ」といったときに「つなぐ」「とろみをつける」以外の意味があるかどうかは知らないのですが、エスコフィエは「堅めに茹でる」ときははっきりそう指示するのが通常のようですから、逆にいえば、煮崩れる寸前まで加熱するという前提とも考えられます。その場合は、フランス語の"lier"がしっくりきますね。

ついでに、原文の"sauce Béchamel claire"、コレ読みまちがえちゃダメですよ。"clarifier"という動詞につられて「澄んだベシャメル」とやったらモロ誤訳です。だいたい、それじゃ意味不明ですがな。ここの"clair(e)"は"épais"(ソースなどが「濃い」)の対義語としての用法ですから、「シャバい」くらいの意味です。まぁ、ちゃんと仏和辞典にもでていますから、いちいち注記するほどのことでもないですか(笑。

で、この調理、「アングレーズ」なのに珍しく「塩茹で」じゃないんです。"à l'anglaise"といえば「塩茹で」というのは仏和辞典にもでているくらいですからねぇ(ほかにもいわゆる「パネ」の意味もでていますね)。推測ですが、「バターで火を通す」べきとしているのは、通常のブランシールなどでは水っぽくなってしまうためでしょう。じっさい、皮を剥いてから茹でるとかなり水っぽくなりますから。

素人ゆえに調理技術がないせいでしょうか、個人的には、多少水っぽくなっても、皮つきのまま茹でたほうが香りがいいような気がしています。絶妙のタイミングで茹であがると「エルサレム・アーティチョーク」の名に恥じない香りと風味ですよね。

さて、写真は本日おこないましたトピナンブールの植えつけの様子です。今シーズンは品種変更してフランス系の赤皮です。でも、調理すると見た目はまったく生きませんから、赤皮であることは料理人さんへのアピールくらいしかありませんね。あとは、楕円形のイモが得やすいから調理の作業性、歩留まりがいいことくらいでしょうか。

品種変更にあたって、いちおう事前に味見したんですけど、はっきり申しあげてトピナンブールはキクイモ、キクイモはトピナンブールです(なんか『マクベス』の冒頭みたいですな)。フランス産でしたけど、うーん、正直なところウチでいままでやってた白皮モノのほうが香りがあるんじゃないかって感じました。もっとも、掘りあげた当日のものと、空輸とはいえ遠路はるばる運ばれてきたものを比べるんじゃ不公平ですけど。

コレ、晩秋に地上部が枯れあがってから冬のあいだじゅう収穫できるんですけど、いちど掘りあげちゃったら劣化しちゃうんで、そのまま畑の地面の下に放置して、出荷のたびに掘るんです。真冬は地面が10cmくらい凍るんですけど、それをひっぺがすとちょうどその下にイモがある格好です。なので、雪なんか積っちゃったらもうタイヘンです。地面が凍るまえに掘りあげてムロで保存するとか、一カ所に埋めなおして作業性をよくすることは可能なんでしょうけど、いじると味に変化がでちゃうような気がして、それはやってません。なにしろ、地上部が枯れたら収穫可能だからと11月に掘ったのはやっぱり味がイマイチなんです。なので、いつも12月になってから掘ることにしています。

ちなみに、トピナンブール、アーティチョーク、カルドン、サルシフィ、みーんなキク科です。なので、どれも共通した風味があるのはまったく当然のことなんですよね。レタスやシコレもキク科なのにぜんぜん違うじゃないかってツッコミはなしですよ(笑。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.773.

ホップの芽

食用部分をアスパラガスのように折りとって、硬い蔓を除きます。何度も水を代えて洗い、1リットルあたりレモン半分の絞り汁をくわえて塩茹でします。
ホップの芽は、「ブール」、「クレーム」、「ヴルテ」等にします。野菜として供する場合は、必ずといっていいほど、ポシェした玉子をクローヌ(王冠)形に盛りつけ、その上または周囲に、バターで揚げたクレート(トサカ)形のクルトンと交互に添えます(1)

ちょっと訳しにくかったですね。とくに"Les jets de houblon se préparent au Beurre, à la Crème, au Velouté, etc."のところ。文章じたいはムズかしくもなんともないんです。ようするにソースやスープに入れるということなんですけど、ただ、いちいち「ソース」「スープ」という語を使いたくないんですよ。"Potage"の章、「ピュレ、クレーム、ヴルテ」で節がたっておりますから、それを前提にすればいいんですけど、こういうふうに一部分だけを引用すると、日本語にしたときに何だかわからないものになっちゃうわけです。それに「バターソース」って言っちゃったら、なんだか違うものみたいになっちゃうし…。

あと"en couronne"、"en crète"もちょっとイヤでした。たぶん「クーロンヌ」って書けば料理人さんにはわかっていただけるんでしょうけど、この表記はあんまり好きじゃないんですよ。で、カッコ書きで補足しました。"en crète"のほうは、正直申しあげますと、イマイチ具体的なイメージができなかったんですよね。手元の Le Grand Larousse gastronomiqueには出ていませんし…。きちんと訳すんだったら、もっと資料が必要ですねぇ。まぁ、たんにBLOGネタにしているだけですから、このままでいいんですけど。

さて、ホップの芽ですけど、イタリアでも食べますね。"Germogli di luppolo", "cime di luppolo"あるいはたんに"luppolo"。Le ricette regionali italianeですと、No.81、ピエモンテ ヴァル・ダオスタ州のところにでています(はじめ「ピエモンテ」をどういうわけか書きおとしていましたので修正しました(汗。ヴェネトの"bruscandoli"(ブルスカンドリ)はその野生種ですね。ブルスカンドリはしばしば"asparagio selvatico"と混同されるというか、名称が入り乱れてるんですけど。

ホップは学名"Humulus lupulus"和名「セイヨウカラハナソウ」ですね。これの変種"Humulus lupulus var. cordifolius"(カラハナソウ)は、倉渕だとそのへんに自生してるんですよ。時期は4月後半ですね。みためはブルスカンドリそっくり、というかそのものです。ただ、本物のブルスカンドリを食べたことがないので、味については評価できませんけど(笑。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, pp.751-752.

カブの菜花

マジメに論じるとタイヘンなことになるし、これまでも随分と書いてきたこともあるんですが、今日は小ネタあつかいということで。

イタリア語だと"cime di rapa"ですな。フランス語だと"pousses de navet"。で、Le guide culinaireにも記述があるんです。

カブの若い花芽や葉は英国では「ランチ」の野菜としてたいへん好まれまております。
「サヴォイ・キャベツのアングレーズ(1)」のように調理します(2)

注目すべきは「英国」のところですね。ちなみに、よく参照しております1914年のVilmorinのカタログには菜花専用品種、ようするにチーメ・ディ・ラーパは載っておりません。フランスでは未知の野菜だったと考えたほうがいいと思います。って言うか、ごく最近までフランスにはなかったんですよね。あのオレッキエッテのルセットがいまは一般化していますから、チーメ・ディ・ラーパも"broccoletti"の名でフツーにあるはずですけど。

チーメ・ディ・ラーパは南イタリアの野菜ですね。で、フランスをすっとばしてUKなんでしょうか。このあたり、UKの食文化史についてはまったく無知なのでわかりません。まぁ、時代は違いますが、シェイクスピアも「これでもか」ってくらいイタリア演劇の影響をうけていたことを考えると、あり得ないとは言いきれない、ような気もしますね。

菜花専用品種であるチーメ・ディ・ラーパは冬野菜ですけど、ふつうのカブは、そのまま畑に置いておくと、冬をサヴァイヴァルして春に菜花をつけます。これはほかのアブラナ科の野菜とおんなじですね。エスコフィエが念頭においているのが、イタリア系の菜花専用品種なのか、フツーのカブの春の菜の花なのか、そのへんは調べてみる価値があるかもしれません。いずれにしても、当時のフランス料理というかフランスの食文化では一般的ではなかったということだけはたしかですね。

  • 注1) 語学の「元」プロとしてはこういう訳は忸怩たるものがあるんですけど、イマドキの主流なんであわせてみました。
  • 注2) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.756.

加熱調理用シコレ

Le guide culinaireネタ、しばらく続けさせていただきますね。ホント、ネタの宝庫なんですよ。こんな本、そうはありません。これをもとに研究書1冊くらい書けるんじゃないかって気もしますね。面白くない? うーん、ウケ狙いでやってるBLOGじゃないんで、そのへんはご勘弁くださいな。

加熱調理するシコレには3タイプあります。
1) シコレ・フリゼ、「アンディーヴ」(エンダイブ」と呼ばれることもあるがこれは誤り
2) シコレ・フラマンド(フランドルのシコレ)、本物のアンディーヴの生育初期段階すなわち露地で生えているもの。これはエスカロールとよく似ております
3) シコレ・ド・ブリュクセルまたはベルジック、これはシコレ・フラマンドの根を暗い場所で育てたもの。その品質と調理については「アンディーヴ」の名称で のちに扱います(1)

ここを読んで、2つほど「へぇ!」。ひとつはシコレ(チコリ)とアンディーヴ(エンダイブ)の関係。そのことじたいはあんまりにも有名ですし、このBLOGでも書いたことがあると記憶しています。ちょっと意外なのは、ほぼ確実にフランスではシコレ・フリゼ、英語圏ではエンダイブ、フランスではアンディーヴ、英語圏ではチコリという関係にあるということです。じっさい、写真にありますように、1914年の Vilmorin のカタログではシコレの下位区分というか一品種として Witloof がでております。前のページからのつづきなんですけど、「コーヒー用シコレ」(=根シコレ)の項にふくまれるかたちになっています。で、このアンディーヴ、そもそも1850年に開発されまして、フランスに導入されたのは1874年です。つまり、20世紀初頭にはまだ「新野菜」だったんですね。なので、Vilmorin のカタログではこんなふうに説明されています。

とてもおいしい冬野菜。パリではアンディーヴの名で知られています。栽培方法は種袋に印刷してあります。(ご請求があれば栽培概要を送り主負担でお送りします)

「新野菜」だというのは、「栽培概要」を用意してあるという記述にもよくでています。写真の前のページなんですけどシコレ・フリゼにはそんなことぜーんぜん書いていないんですよ。なぜならフランスではシコレ・フリゼってのはもっと古くからあるんです。つまり、フランスでアンディーヴをシコレと呼ぶことはあっても、シコレ・フリゼを「アンディーヴ」と誤って呼ぶことはまずないんです(アンディーヴはシコレの「一種」ということですから)。なのにエスコフィエはわざわざ注記している。これは、エスコフィエのUKで仕事をしていた時期があることに関係しているでしょうかね。結果として、あくまでも結果論ですけど、現代日本でいつまでたっても混同され、論争のもとになっている名称問題にたいするフランス料理サイドからのわかりやすい解答ということになっていますね。

もうひとつの「へぇ!」は「シコレ・フラマンド」。アンディーヴの軟白前の葉って食べるんだ…。なんかミョーに感心しちゃいます。というのも、アンディーヴってのは初夏に種をまき、秋に根を掘りあげて、葉はすっかり切りおとして保存し、冬に軟白栽培するんです。だから、露地で栽培している段階の葉は捨てるんですよ、フツーは。ま、軟白していないだけですから、加熱すればもちろん食べられるんですよね。そういう意味ではおかしくもなんともないんですけどね。

シコレ・フリゼについては、いまですと、とにかく軟白部のボリュームのあるもの、軟白部の品質のよいものが要求されがちです。でも、Le guide culinaireで示されている加熱調理には、軟白していない葉のほうがよいでしょうね。こういうの、イマドキはあんまり訴求力ないんでしょうかね。国産のいわゆる「エンダイブ」なんかけっこう緑の部分が多いですよね。でもこの本にでているような調理ってあんまり見ないような気がするんですけど。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.740.

やっとブレットをみつけた

もちろんLe guide culinaireネタなんですけど、このシリーズ、自重したほうがいいんでしょうかねぇ。なにしろ Flammarion 社の「版権」はまだいきてるみたいだし、柴田書店の日本語版も現役のようですから…。チョコチョコ引用させていただくぶんには多少なりとも「宣伝」になるでしょうから、感謝されることはあっても、文句は言われないと思いたいんですが…。柴田書店さんの見解をうかがいたいところですが、そんなコネクションもないし、ヘタに藪をつつくのも賢くないでしょうな。ま、クレームがつくようならすべて即削除すればいいんですから。それに、コメントがつかない不人気BLOGですから、書いてる本人が飽きればこのシリーズはやめちゃうでしょうから。

ところで、この本、ブレットが項目にたってないんですよ。それを知っていたから、ずーっと買わずにいたということもあるんです。

で、やっと見つけました。って、たんに斜め読みしていただけなんですけど。

スープ・ア・ラ・ドフィノワーズ(ドフィネ風スープ)

ナヴェ、カボチャ、ジャガイモ各175gをペイザヌにエマンセする。
バターでエチュヴェする。水3/4リットル、牛乳3/4リットルを加え、塩15gで味つけする。
半ば火が通ったら、ブレットの葉5、6枚をシズレしたものを加える。
火入れが終る15分前に、中位の太さのヴァーミセリ40gをスープにパラパラと入れる。
供する際にセルフイユの柔らかい葉をくわえる(1)

それにしてもまぁ、ヘンな日本語にしちゃいました(意図的にね)。レシピサイトに投稿したら総スカンくらうんじゃないでしょうか…。でも、ちょっと極端かもしれませんが、日本語で書かれたフランス料理のルセットってこんな感じじゃないでしょうかね。

ナヴェを「カブ」としなかったのは、学名はいっしょでも、野菜として別物といっていいくらい違うからです。「カブ」って書いたら日本の小カブをつかっちゃうかもしれないでしょ。カボチャはいまの日本では西洋系がメインですし、ジャガイモも近代品種ですけどフランス系のものが出まわってますから、うるさいことは言わなくてもよろしいでしょうね。

コレ、秋の料理ですね。素材の旬を考えたらそうなります。

で、こういうクラシックな野菜のポタージュって、しばしば肉、魚系のダシをまったく使わないんですよね。イマドキはそれに抗えるか、なかなかムズかしいところです。たぶんムリでしょうな。それでも、というなら野菜の味次第でしょうか。あと、牛乳ってのも日本とフランスじゃ決定的な違いのあるものだから、これも壁になっちゃうでしょうね。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.165.

クローヌあるいはチョロギ

お正月の縁起物、チョロギのおはなしです。ウチでは栽培していないので、例によってただの蘊蓄、知識のひけらかしです。ウチの畑はいま端境期なんでそういうのしかネタがないんですよorz...

あれ、エスコフィエ特集のはずなのになんでチョロギ? とお思いになられるでしょうか。思いっきり「和モノ」ですからねぇ。もちろん Le guide culinaire にでてくるんですよ。って言うか、フランスでも栽培があるし、しっかり定着してるんですよ。"Crosnes du Japon"(クローヌ・デュ・ジャポン)あるいはたんに"crosnes"といいます。ものすごくポピュラーというわけじゃないですけど、Le Grand Larousse gastronomiqueにも項目がたっていますし、園芸関係ではGuide Clause-Vilmorinにもでてきています。もちろんほかの本でも言及はけっこうありますね。それに、フランスの種苗会社のカタログにもしっかり載っています。

さて、エスコフィエです。

どのような目的で仕込みをするにしても、チョロギは洗って、少し堅い状態にブランシールし、バターで色づかないように炒めて水気をとばさなくてはなりません。徹底的に掃除し、とても白いチョロギを得たいのであれば、できるだけ新鮮なものを使う必要があります。
皮をむくいちばんよい方法は、丈夫なトーションでグロセルといっしょにくるんで揺する(1)ことです。それから洗って、皮のかけらをすっかりとり除きます(2)

コルニションのイボをとり除く作業と似ていますね。で、こういう下準備を前提として、調理法7種でてるんです。ベニェ、クリーム煮、クロケット、グラタン(「ミラノ風」)、バターでソテ、ヴルテ、ピュレ。

そもそもチョロギというのは中国原産のシソ科の野菜でして、日本には江戸時代初期に導入されたそうです。フランスは19世紀末に導入されました。CrosneというところのPailleuxさんという人がさいしょに栽培したといわれています。だからフランス語でこの野菜、"crosne du Japon"というんですね。種となる塊茎がほんとうに日本由来のものだったかはわかりませんが、19世紀後半というと、1867年、78年、89年、1900年のパリ万国博覧会に日本からも出展があり、ジャポニスムがブームとなった時代です。1900年の万博で川上音二郎、貞奴が公演をおこなって喝采をあびたというのは有名ですね。そういう時代だったんです。

なので、エスコフィエのころ、チョロギというのはいってみれば「新野菜」だったわけですね。それも「異国の香りただよう」、ちょっとオシャレな野菜だったかもしれません。なにしろ小さくて形が面白いですからインパクトもありますしね。

ついでですけど、Le guide culinaireには「日本風」"à la japonaise"って料理名がけっこうでてくるみたいです。ちょっと読んでみると「どこが日本風?」ってのもありますけど。

ところで、フランス料理ってのは「異国趣味」な食材をわりと柔軟にとりいれる印象があります。野菜にかぎっていっても、いまフランスでは日本野菜ブームですし、そうじゃなくたって、Le Grand Larousse gastronomiqueの"légume"の項をみると、ダイコン、レンコン、ナガイモ、タケノコ、ワサビ、あたりまえにでています。でも、注意したいのは、こういうのってたいてい"légumes exotiques"(異国の野菜)なんですよ。

だから、フランスでフランス人シェフが日本の野菜をつかっているからといって、日本のフレンチで日本人シェフがおんなじようにやったら、それは意味あいがまったく違うわけです。フランスの食文化にとっては「異国の野菜」であっても、日本の食文化の文脈では「異国」でもなんでもない、あたりまえのものなんですから。日本ではフランス料理というのは「異国の食文化」なんです。食べ手は多かれ少かれ、それを期待するわけですよね。だから、よっぽどの確信がないかぎり、日本の野菜を日本のフランス料理店でお使いになるのは、やっぱり注意が必要なんだと思うんですよ。

だって、パテに添えてあるのがコルニションはおろかガーキンスでもなくて、「ミニキュウリ」の浅漬けだったりしたら、ちょっと食べなれたひとだったらガッカリしちゃうんじゃないでしょうかね? いえ、わたしがそう思うだけかもしれませんけど。そりゃ、フランス製の既製品じゃぁ、酸味がキツくていまひとつ日本人の舌にあわないかもしれませんけど、だったらご自分のお店でコルニションをお漬けになればいいじゃないですか。そう思って昨年は市場に投入したんですけど、リアクションはさっぱり…。これじゃぁ、キュウリと"concombre"、カブと"navet"、グリンピースと"petit pois"、ホウレンソウと"épinard"…、みーんな決定的な違いがあるんですけど、なかなか受けいれてもらえないんでしょうね。ま、しょーがないですけど。

チョロギからずいぶん遠いところに来ちゃいましたね。でも、好き勝手に書いている個人的なBLOGなんでご容赦くださいな。雑誌連載か何かだったら、もっとちゃんと、わかりやすく書きますけどね。いまのところそういうご縁もまったくないんで。もちろん、オファーがあればお受けしますよ(笑。

そうそう、Le guide culinaireでは"Crosnes du Japon ou Stachys"という項目の立てかたになっていますけど、"stachys"っていうのはチョロギの学名です。正式には"Stachys sieboldii"といいます。

  • 注1) 原文では"sasser"=「篩う」という動詞をつかっていますが、文脈からこのように訳してみました。Le Grand Larousse gastronomiqueでは文字どおり"secouer"=「揺する」という表現になっています。
  • 注2) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.747.

ブロッコリは紫色?

というわけで、予告どおりエスコフィエからネタをいただきます。はじめに申しておきますが、カリフラワーもブロッコリもウチでは栽培しておりません(植えても完全に自家用分だけです)。ですから、このエントリは机上の空論といいますか、たんなる知識のひけらかしです(いつものことですが)。てなわけでエスコフィエの引用からはじめましょうか。

ブロッコリがカリフラワーと異なるのは、花蕾の色がブロッコリでは濃い紫であることと、花蕾の配置がちがっていることである。
[...] カリフラワーとブロッコリはおなじ調理でよろしい(1))。

なーんかひっかかりません? そう、このエントリのタイトルにしたように、「濃い紫」って書いてあるんですよ。「ブロッコリって緑じゃん、ミスプリかねぇ?」 なんて思っちゃいそうですね。でも、なにしろ1902年の初版から4版まで、その都度エスコフィエご自身が序文を書きなおしているんですよ。 こんな目立つ誤植はそうそう放置されるもんじゃないと考えたほうが自然でしょう?

たしかに冬場のブロッコリは「アントシアン着色」といって、寒さにあたって紫がかった色になったりもするんですが、そのことじゃありません。

いまでいうブロッコリは「カラブレーゼ・タイプ」といって、フランスでこれが普及したのは1980年代以降なんです。

じつはこのネタ、このBLOGでもけっこう以前に触れてるんです。要点だけ書くと、フランスの大手種苗メーカー Vilmorin の1914年のカタログでは「ブロッコリ=冬どりカリフラワー」として、大型で白あるいは紫のものを「ブロッコリ」と分類しています。つまり、学術的な問題は置いといて、現代の感覚からいうと20世紀初頭までのフランスでは、ブロッコリ=カリフラワーの一種と思ってほぼさしつかえない、ということになります。あえて違いを言うなら形状がやや異っていること、紫のものがあるということなんですよ。

このことは、野菜栽培の専門書だと、そうとうくわしく書いてありまして、結論だけ引用すると

フランスでは、«brocoli à jet»(2)は今世紀はじめまで蔬菜園芸家によって普通に栽培されていたが、その後すがたを消した。いっぽうで「カラブレーゼ」タイプは、そのころまではとても 目立たない、というかほとんどなかったものだが、1980年以降急激に普及した。本章であつかうのは後者[...]についてである(3)

ご注意いただきたいんですが、"brocoli"というフランス語じたいは16世紀からあるんですよ。だから「むかしはブロッコリはフランスにはなかった」というわけではないんです。ただ、現代でいうブロッコリと昔のものはかなり違う。昔のものは「ほぼカリフラワー」といって差し支えないようなものだったんですよ。

さいきんはカリフラワーの名称で紫やオレンジや、いろんな色の品種がでまわっております。古いルセットに「ブロッコリ」とあったら、そういうのをお使いになるほうがむしろよろしいんじゃないかと思いますね。しつこいようですけど、いま「ブロッコリ」と呼んでいるものは1980年代以降にフランスや日本で普及したんです。

ちなみに、Le Ricette Regionali Italianeでは"broccoli"あるいは"cavolo broccolo"と書いてあるのは多くが、いわゆる「カリフラワー・ロマネスコ」を指しています。イタリアでも「カラブレーゼ」タイプは長いあいだ、たんなる地方野菜の位置づけだったんですよね。いまじゃカラブレーゼがあたりまえですけど、これ、街中にマクドナルドがフツーにあるようなものなんですよね。もともと南イタリアの地方野菜だったカラブレーゼがUSで普及しまして、経済力、軍事力、政治力を背景にUSの文化が世界的に影響力をもった、そのひとつの表れなんです(4)

ですから、フランス料理やイタリア料理で何気なくブロッコリ(カラブレーゼ・タイプ)をお使いになられることも多いようですけど、よほどコテコテな南イタリア料理じゃないかぎり、個人的には「USっぽさ」を感じちゃうんですよ。パテのわきにコルニションじゃなくてガーキンス(ハンバーガーに挟まっている太いヤツです。もとはドイツ系ですね)が添えてあるみたいな印象です。

次回もエスコフィエからネタをいただきまして、「チョロギ」のことでも書いてみますかね。とうぜんのようにウチでは栽培してない野菜なんですけど。

  • 注1) Auguste Escoffier, Le guide culinaire, Flammarion, (1921) 2009, p.744. (初版は1902
  • 注2) 古いタイプのブロッコリ=「ほぼカリフラワー」のこと。
  • 注3) Cl.Chaux et al., Productions Légumières, Lavoisier, 1994, t.2, p.84.
  • 注4) 日本で「イタリア料理」というとピザ、スパゲティーみたいな南イタリア風のものがイメージされやすいのもおんなじ事情です。19、20世紀に貧しかったイタリア南部から移民したひとたちの食文化がUSでものすごい普及をした結果なんですよね。そんなこともありますんで、個人的には「イタリアン」という英語由来のカタカナはあんまり好きじゃないんです。

「ヴィロフレーのヴィロフレー風」をつくるためにヴィロフレーを蒔いてみようか…

このところネタがなくて、注文した本が届くのを待っておりました。

じつは持っていなかったんですよ、この本。Auguste Escoffier, Le guide culinaire. 手元にあったほうがいいんだろうな、とずーっと思っていたんですが、わたくし料理人じゃないんで、「なにもそこまでせんでも…」と放置してたんです。でも気にはなっておりまして、ある方のBLOGで紹介されているのを拝見して、背中を押されたというか、amazon.frに注文したというわけです。

で、パラパラと読んでおりまして、すごい料理名をみつけたんです。Épinards à la Viroflay 「ホウレンソウのヴィロフレー風」。

いえ、単純に知らなかっただけなんで、失笑を買うだけでしょうけど…。確認したらLe Grand Larousse gastronomiqueには料理名としての"Viroflay"で項目がたってるんですよね。でも知らなかったんですから、わたくしにとってはうれしい「新知識」です。

Viroflayってパリ郊外の街の名なんですけど、そのものズバリ、ホウレンソウの品種名で"Monstrueux de Viroflay"通称ヴィロフレーってのがあるんです。西洋ホウレンソウにしてはめずらしく剣葉ですけど、19世紀からある伝統品種です。

えー、恥かしながらViroflayの街とホウレンソウとの関係は知りません。いくらフランス語のものでも野菜の栽培資料じゃそんなことまで書いてくれていませんので。

でもまぁ、「ホウレンソウのヴィロフレー風」という料理をこの品種のホウレンソウでやったら、「ヴィロフレーのヴィロフレー風」なんてワケのわからん料理名ができるんじゃないかとくだらないことを考えちゃうわけです。フランス語にしたらÉpinards de Viroflay à la Viroflay あるいは Viroflay à la Viroflay くらいになるでしょうか。

で、「ホウレンソウのヴィロフレー風」のルセットがまたスゴいんですよ。まさしく「そこまでやるのか?」って感じです。ものすごーく手がこんでいます。説明するのが面倒なくらい。

かいつまんでいうと、水気がなくなるまでバターで炒めたホウレンソウに濃いベシャメルをあわせて、クルトンを加えたものを、スプーンで形にして澄ましバターで焼き(1)、それをブランシールしたホウレンソウの葉で包んで、ソース・モルネーとラペしたチーズをかけ、溶かしバターをアロゼして高温のオーブンで焼く。

はぁ、疲れましたがな。ようするに"subric"という料理がもとになっていて、さらに一手間(どころじゃないと思うけど)というわけですね。

コレ、食べてみたい!

って言うか、「ヴィロフレーのヴィロフレー風」というシャレをやってみたいだけなんですけど。だって、構成要素でいったら、ベシャメルベースのホウレンソウのグラタンそのものじゃないですか…。でもねぇ、そんなミもフタもないことを言っちゃ料理をたのしむことなんてできませんからねぇ。

家人曰く、「エピナ百珍」だってorz...

この本、愉しいです。しばらく連続でこの本からネタをいただいてみようかと思っています。料理人諸賢におかれては「いまさら」でしょうからスルーしてくださいな。でも、野菜がらみじゃ誤訳、誤読しがちなポイントもけっこうあるのは確認済みですんで、次はそのあたりからいきましょうかね。

  • 注1) この工程はかならずしも必要じゃないような気もするんですけど。ホウレンソウの葉で包んじゃうわけですから。 でも、もとになっている"subric"という料理は澄ましバターで焼くことになっています。ちなみに、エスコフィエは"sauter"の語はつかっていませんが、Le Grand Larousse gastronomiqueの"subric"の項で"sauté"となっていますので「ソテ」でもいいんじゃないかと思いますけど、「ソテ」と言っちゃうと、何度もひっくり返して焼くようなイメージもあるようなので…。

"Cipolla da bunching"だって…

WEBで見つけた表現。

Cipolla da bunching

英語で"bunching onion"って言いますからねぇ。

コレ、"bunching"という英語もなかなかのモンですけど、"da"が興味深いんです。名詞+da+名詞というのはもちろんあるんですけど、"bunching"ってもともと英語の動詞"bunch"の現在分詞ですよね。すくなくとも"bunching onion"という表現だとそういう構造です。イタリア語だと、名詞+da+不定詞、というのがあって、そちらのほうが自然な気もするんですけど、そんなこと外国人がいくら疑問に思っても、イタリア語で考えているひとたちにとって自然な表現なら文句のつけようもございません。

この表現をみつけたのはBejo Italiaのサイトなんですよ(以前にも見たはずなんだけど、あんまり気にしなかった)。Bejo ってのはオランダ系の国際的な大種苗メーカーですね。なので、英語の"bunching onion"をそのまま持ってきたということは考えられますね。

国際的な種苗メーカーだと、ほかにフランスのLimagrain、農薬がらみにもなりますけどUSのMonsantoやスイスのSyngentaなんかが有名ですね。

Bejo の種子って一部は日本にも導入されてるみたいなんですけど、Limagrain系はどうなんでしょうか? あんまり聞かないような気がします。モロにLimagrain傘下のメーカーさんはあるんですけどね、日本じゃ売らないみたいです。Syngentaは農薬と種苗でそれぞれ日本法人をもっているみたいで、ちょっとは本家のも扱っているみたいですけど、いまのところウチでは関係のないものばかりですね。

いえ、すごいんですよ、BejoにしろLimagrain系や、Monsanto系のイタリア法人にしろ、たとえばフィノッキオの営利栽培品種のラインナップがものすごく充実してるんです。日本のレタス品種のラインナップを思いだします。そのなかから選べればいいんですけど、こういうところの種子って個人レヴェルじゃなかなか手にはいんないんですよ。扱いのある小売をみつけなきゃならないんで。フィノッキオだとLimagrain系のC...ってのをためしたことがありますけど、これはよかったですね。白くてマルっとして。ただ、大玉になりにくい品種で、しかも時期をえらぶという難点つきでしたけど。その後、おなじ小売でT...というやっぱりLimagrainの品種の扱いもはじまったんですが、こちらはためしていません。だって早生なんだもの。欲しいのは晩生、超晩生で耐寒性のあるものなんですよ。BrandoとかOrfeoとか…。こういうのがすんなり手にはいるんだったら、品種の使いわけで周年栽培しやすくなるんですけどねぇ…。

ところで、上のBejoのカタログにある品種は、Allium cepaじゃなくてA. fistolosumなんだそうです。パっと見で「あ、チポロット」と思うんですけど、コレ、じつはとっても微妙な問題をはらんでおりまして…。英語の"bunching onion"は両方アリなんですけど。

「おもしろ野菜」の耐えられない軽さ

ようこそ、「まきもの屋の生活と意見」へ。
この新聞記事はサービスだから、まず読んで落ち着いて欲しい。 うん、「また」なんだ。済まない。

野菜なんて所詮は流行りモノです。流行に振りまわされているんですよ。流行ってのはとうぜん「流行り廃り」ということなんです。で、このところ「廃れる」のがちょっと早いんじゃないか、そんな気がするんですよ。市場投入からブームが起きるまでの助走期間ってのはけっこうあるものなんですけど、ブーム自体はヘタをすると1、2シーズンで過ぎちゃう…みたいな。需給バランスの問題もあるんでしょうけど、陳腐化するのがあまりにも早いんじゃないかと…。

上でリンクを張った記事にもあるように

テレビなどメディアに出たら、その野菜はもう遅い。 良い情報を早く入手して、形や色、味の面白いものを仕掛けていきたい

たしかにそのとおりなんです、流行現象としては。で、つねになにか次の「新しい」「珍しい」ものを探すんですよね。でも、近い将来の「行き詰まり」がすでに見えちゃってるんですよ。そのことに生産者じしんが気づいているかどうかは別として。

だいたい、野菜の種類なんてのは数がかぎられているんです。まるっきり新しいものなんてそうそうはでてきません(そういうものに力を入れておられる種苗メーカーや試験場のブリーダーさんもいらっしゃいますけど)。ということは、「珍しい野菜」ってのはある集団においてそれまで「未知」あるいは知名度がきわめて低かった、ヨソの野菜、ということになります。世界は広うございますから、ワールドワイドでさがせば、ひとりの生産者が一生かかっても扱いきれない くらいの種類があるかもしれませんし、ないかもしれません。すくなくともイタリア、フランスの野菜については、すぐにネタが尽きちゃうことだけはたしかです。

困っちゃいますよね。でもね、「珍しい」ことに価値をおくからそうなるんです。自分じゃ見たことも食べたこともない野菜に安易に手をだすからそうなるんです。

どんな野菜でも、伝統的なものであればあるほど、その地域の風土、文化を背負っています。軽々に「珍しい」とか「おもしろい」なんて価値観でとらえちゃ失礼なくらい、重みをもったものなんです。そのことを忘れちゃいけません。

なのに、現実には「珍しい」ということだけを消費、いや浪費しちゃってるんですよ。「使い捨て」ているといってもいいかもしれません。ワーっととびついて、飽きたらポイ。ねぇ、いまフランスでは日本野菜がブームですよね。水菜とかカブとか。1年か2年したらブームが過ぎて、誰もかえりみてくれない、なんて状況になるかもしれませんけど、そういうのを想像してどう思いますか? 日本人として嬉しいですか? 平気ですか? それとおんなじことなんですよ。

まえにも書きましたけど、日本で西洋野菜をつくるとき、しばしば本国のものと「決定的な差」があることに気づかされます。その差をうめるというのは、一朝一夕にできることじゃありません。そんなにカンタンなものじゃないんですよ。

いえね、誤解してほしくないんですけど、上でリンクを張った記事に紹介されている生産者さんを批判しているわけじゃないんですよ。記事の生産者氏は外国語もおできになられるようだし、きっと、その他大勢の「おもしろ野菜」屋さんとは一線を画しておられると思います。むしろ、こういう記事を読んで「おもしろ野菜」に手をだそうと安易に思うようなひとびとに警鐘を鳴らしたいんですよ。

そりゃ、ウチの商品だって「おもしろ野菜」的なものはあります。チャードなんかいい例でしょう。きれいですからね。そもそもフランス、イタリアのものじゃないんですよね。US野菜といったほうが正しいと思います。ただ、フランスにも導入されていまして、ガストロノミックなレストランなどで使われているんですよね。それに、何にも考えずに栽培しているわけじゃないんです。ウチのチャードは他産地のものとくらべて色が鮮やかだというご評価をいただくことがあります。そりゃそうです、そういう種子をわざわざ入手しているんですから。

ところで、このエントリのタイトル、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』のもじりです。ちなみに前のエントリはプルーストの『失われた時を求めて』のなかの章題のもじり。まぁ、どうでもいいことですけど。

産地の名前、名前!

以前からその存在は知ってはいたんですよ。で、ある八百屋さんのBLOGで見ちゃったんです。国産の「サンマルツァーノ」を。フツーのひとの感覚からすると「国産カマンベール」みたいなもんでしょうか。

「国産サンマルツァーノ」のスゴいところは、ご本家の Pomodoro di San Marzano dell'agro sarnese-nocerino (DOP) とまるっきり似ていないところです。写真から推察するに Roma タイプの品種ですな。なので、プロの料理人さんが何の疑問もなく「国産サンマルツァーノ」をサン=マルツァーノとしてお買いもとめになられることはあり得ないでしょう。まさか、「日本で栽培すると気候や土壌のちがいで異なった見ためになるんだねぇ」なんて毒電波をひろっちゃったりはしないですよね。

ご本家の正式名称 Pomodoro di San Marzano dell'agro sarnese-nocerino (DOP) をよくご覧いただきたい。DOPなんです。日本語でいうと原産地名称保護をとっているんです。ワインのDOC(フランスならAOC)みたいなもんです。ということは、その産地名をヨソが勝手に名乗ってはいけない、ということです。

有名なケースが「ポートワイン」ですな。いまでは「ポルト」とするほうが多いと思いますけど、ポルトガルの vinho do Porto (DOC)のことを言います。かつては国産の甘口葡萄酒の商品名に「ポートワイン」とつけていましたけど、現在はこのDOCを尊重して「スイートワイン」と名乗っていますね。

で、トマトなんですけど、San Marzano は地名なんです。だから、サルノとノチェーラで生産されているDOP規格にのっとって認証をうけたものだけがこれを名乗ることができるというわけです。それ以外は、たとえおなじ品種、おなじ栽培方法であってもパチモンなんですよ。イタリアではこのタイプのトマトはほかの地域でもたくさんつくられているはずですけど、直接的にSan Marzanoと名乗ってはおりません。だってご本家がDOPですから、ヘタなことをしたら手が後ろにまわるかもしれないし、莫大な賠償金を請求されかねません。

なので、せいぜいが「サン=マルツァーノ・タイプ」くらいしか言えないんと思うんですよね。上の写真右側、去年のウチの「スーパーマルツァーノ」ですけど、これを「サン=マルツァーノ」とは言っていないの、おわかりいただけますよね。わざわざ別の名前(といっても品種名ですけど)にしているわけです。もちろん法的な判断をあおいだわけじゃないので、これだってもしかしたらアウトかもしれないんですよ。でも、コンプライアンスといいますか、DOPを尊重する姿勢だけは示しておかないといけません。

野菜の場合ですと、DOPのほかに、Indicazione geografica protetta (IGP)とIndicazione geografica tipica (IGT)というのもあります。細かいところはいろいろちがうんですけど、ようするに商品の表示にかかわる権利保護がなされているわけです。なので、DOP、IGP、IGTというのがついているものは国産を商品化するにあたっては要注意なわけです。

偶然なんでしょうけど、うまいこといっているのが「タルディーボ」ですね。ご本家はRadicchio Rosso di Treviso IGPです。ぜんぜん違いますね。「タルディーボ」= tardivo というのは「晩生」という意味ですから、これ自体では意味不明なんですけどね。

あんまりうまくいっていなさそうなのが「カステルフランコ」。ご本家はRadicchio Variegato di Castelfranco IGPです。このCastelfrancoがモロに地名なんですよね。だから国産のものを「カステルフランコ」と言って売るのはよくないかもしれません。

イタリア野菜ってのはこういうの多いんですよ、ほかに有名どころは Cipolloto nocerino DOP (ノチェーラ産チポロット)、Pomodorino del Piennolo del Vesuvio DOP (ヴェズーヴィオ産ピエンノロ・ミニトマト)、Pomodoro di Pachino IGP (パキーノ産ミニトマト)あたりでしょうか。フランスですと、Piment d'Espelette AOC (エスペレット産トウガラシ)がとくに有名です。

こうした有名どころは、種苗が一般に流通することはまれです。一般性のたかい品種をつかっていることもあるにはありますけど、その地域で「門外不出」みたいな扱いになっていることが多いですね。

おいおい、まきもの屋は「チポロット」をやっているじゃないかって? ご安心ください。"cipolotto"という語じたいは一般名詞なんです。DOPの対象はその正式名称であり、「ノチェーラ」という地名なんです。だから、まきもの屋のチポロットを「チポロット・ノチェリーノ」と表示したらアウトというわけです。そんなおっかないことできませんがな。

DOP、IGP、IGTといった保護制度は、野菜の場合ですと「青果物」にたいしてのもので、種苗の名称については保護対象となっていないんですよね。なので、San Marzanoという品種のタネはフツーに手にはいります。このあたりがムズかしいんでしょうね。品種名としてはOKだけど、青果物の商品名としてはアウト、ってところが。

日本で西洋野菜を栽培するというのは、本質的には「パチモン」つくりをやっていることなんです。身の程をわきまえなきゃいけません。ご本家にたいする敬意があってこそのものだと思うんですよね。他者を尊重しないというのは、自分が尊重されないということにつながります。ヨソの商品にたいしてぞんざいな扱いをするということは、自分の商品をも貶めることにほかならないんですよ。

"Choucroute"あるいはネオロジーについて(またしても語学ネタ注意)

てなワケでしつこく語学ネタです。じつはこのネタ、フランスの大学にいたとき、言語学の授業でフランス人の学生が発表したのを聴いたというヤツで、ワタクシのオリジナルじゃありませんし、そもそも専門的な辞書を引けばすぐにわかるものです。でも、けっこう好きなネタなのに前職では使う機会がなかったんで、書いちゃいますね(ようするに初級クラスじゃ難しすぎるネタなんですけど)。

アルザスの郷土料理に「シュクルート」(シュークルートのほうが一般的でしょうか…)というのがありますね。ソーセージやらのシャルキュトリーとあたたかくて酸っぱいキャベツの料理です。あ、ジャガイモなんかも入りますか。フランス語だと"choucroute"あるいは"choucroute garnie"です。"choucroute"は女性名詞です。

アルザスというのはドイツと国境を接した地方で、歴史的にはフランスだったりドイツになったりというのを繰りかえしてきた土地ですね。アルフォンス・ドデの『最後の授業』で有名ですね。

で、"choucroute"なんですけど、直接的にはアルザス語(方言というよりはブルターニュ語みたく独立した言語とあつかいたいところです)の"surkrut"が語源です。コレ、いうまでもなくドイツ語の"Sauerkraut"(ザウアークラウト=ザワークラウト)の方言です。

だいたいここまではよく知られたことなんで、読者諸賢には釈迦に説法でしょう。ここからなんですよ、語学好きにとってはたまらない世界が展開されますから。

まず、ドイツ語の"Sauerkraut"が男性名詞だということと、この語には「キャベツ」の意味をもった要素はないってことをアタマに入れておいてください。ちなみにキャベツのドイツ語は"Kohl"ですね。「コールラビ」の「コール」です。で、フランス語ですが、TLFi(Le Tésor de la Langue Française informatisé)をなんとWEBで見られるんで、そこからかいつまんでこの単語の歴史をご紹介させていただきますね。

まずスイス・ロマン語ですけど1699年に"surcrute"という用例があります。フランス語としては1739年"sorcrotes"、1768年"chou-croute"、そして1786年"choucroute"。だんたん現在の綴りになっていくのがよくわかりますね。で、途中から"chou"(シュー=キャベツ)の綴りがあらわれているんですよ。これがスゴイんです。なにしろ大元の"Sauerkraut"の"sauer"は「酸っぱい」くらいの意味なんです。「サワー」のことですね。そこに音の類似と、なにしろ現物がキャベツなわけですから、うまいこと"chou"をはめこんじゃったんです。ちょっと強引かもしれませんねぇ。でも、語学マニアにとってはこれだけでも感動モノです。

さらにおもしろいのは、1786年の用例ですと、コレ、男性名詞なんですけど、19世紀になるといまとおなじように"女性名詞"としてあつかわれるようになります。なんで? って思いませんか。もとの"Sauerkraut"は男性名詞。強引に入れた"chou"も男性名詞です。後半の"croute"ですが、アクサン(山型の記号)がないんで"croûte"(クルート=パイなどの皮、女性名詞)とはちがうはずです。って言うか、たんに音から綴りをくみたてただけみたいなんですよね。なのに、19世紀からこっち、どうも後半の"croute"が女性名詞っぽいからという理由で"choucroute"という語は女性名詞あつかいになったみたいなんです。

フランス語というかヨーロッパの言語の名詞の「性」というのは、われわれ日本人にはなかなか厄介でして、もともと性別のあるものはそれが男性なら男性名詞、女性なら女性名詞となるわけですけど、性別のないものをあらわす語はいろんな理由で男性名詞か女性名詞かが決まっていたりします。自然界のものであれば、アニミズム的な考えかたの名残がうかがわれるものもありまして、"soleil"(ソレィユ=太陽、男性名詞)、"lune"(リュヌ=月、女性名詞)とか"mer"(メール=女性名詞)なんかそうですね。関係ないですけど、フランス語で"mère"(メール=母)という語もありますが、このふたつよく見ると、「母」の中に「海」がありまして、日本語ですと「海」という語のなかに「母」がある、ということになります(すごく古典的なフランス語の授業の小ネタですね)。

それ自体が性別をもたないものや抽象的な事柄を表わす語については、綴りと音の関係で男性名詞か女性名詞かが決定されるというのがフツーです。なので、"choucroute"の場合も後半の"croute"が女性名詞っぽいということなんでしょうね。

合成語の性というのはなかなか厄介でして、たとえば"portefeuille"(ポルトフイユ=札入れ)という単語があります。男性名詞です。が、後半の"feuille"(葉、札などいろんな意味があります)は女性名詞。ところが前半の"porte"(何かを入れるあるいは運ぶもの、人)という意味の接頭辞がつねに男性名詞を形成することになっているので、これは男性名詞となっております。なんとなくイメージ的にも"portefeuille"って女性名詞っぽい気もしなくはないんですけど、男性名詞なんですねぇ。

"choucroute"という語はフランス語の歴史のなかでは比較的あたらしいものなわけですよね。19世紀くらいですと、プロシア人のことを"mangeur de choucroute"(シュクルートを食べる奴)なんて表現してますけど、ようするにパリを中心とした文化のなかにない語、概念だったわけです。そういうのを持ちこんでくる、あたらしい語をつくる、というのを"néologie"(ネオロジー)といい、そういうあたらしい語をつかうことを"néologisme"といいます。

言語は生き物みたいなもので、つねに変化しつづけながら生きています。だからネオロジーというのはしょっちゅう目にするわけです。ブリア=サヴァランはネオロジー好きで有名ですし、このBLOGでもよく名前のでるフランソワ・ラブレーもネオロジーというか造語の大家ですね。新語ですから定着しなかったら辞書にはのっていなかったりする、とても厄介なものです。ヘタをするとわからないヒト続出という表現なんです。でも、そういうのがないと、言語はそれまでなかった現実に対応できないんですよね。日本語でも「政治」「経済」「形而上学」そのほかものすごくたくさんの語が明治期につくられました。ようするに西欧の文明と接してそれに対応するために先人たちが苦労してつくりあげたネオロジーなわけです。その結果、半島はもとより中国語やヴェトナム語にまで明治期につくられた漢語は影響をあたえているといわれています。

ところで、フランスに行くと、日本みたいな平ぺったいキャベツはあんまり見かけません。サヴォイと、いわゆるグリーンボール・タイプばっかりですね。平ぺったいキャベツはヨーロッパではシュクルートみたいな漬物用なんですよ。フランスじゃほかにキャベツの漬物ってあるんでしょうかね? 日本だと「札幌大球」なんて品種は漬物用として有名ですね。あれは"Late Flat Dutch"系で、まさしく漬物のための品種を日本で定着させたものらしいですね。

この料理名のさらににすごいところは、"choucroute"=温かいキャベツの漬物、ですから、"choucroute garnie"は「つけあわせのあるキャベツの漬物」の意味なんですよね。言葉の意味からするとシャルキュトリーは添えものなんです。通常の料理の概念とちょうど逆になっているところが面白いんですね。こういうケースってあんまりないような気がするんですけど、どうなんでしょう?

決定的な差、あるいは「なんちゃって西洋野菜」からの脱出のために

語学ネタじゃないです。さすがにいささか過ぎたかようにも思うんで、たまには野菜のハナシをします。抽象的になっちゃうと思いますけど。

先日あるところでイタリア産のフィノッキオを味見する機会がありました。"Buonissimo!"のヒトコトです。香り、食感、甘さ、すべてがハイレヴェルでしかもバランスがいい。上質の食材というのはこういうのを言うんだとあらためて実感。

あれにくらべれば、まきもの屋のフェンネル(といってもフルサイズは産直限定ですが)なんか、まだまだです。ミニ・フェンネルもさらにいっそう品質に磨きをかけなきゃいけません。現状じゃなんちゃってだと認めざるを得ません。口惜しいけど素直にそう思います。

いちおうプロ、それも西洋野菜の専門家を自称していますんで、ただ「クヤシー!」ってだけで思考をストップさせるわけにはいきません。何が違うのか、どうすればいいのか考えます。いろいろあるんですよ、品種、土つくり、肥料、水分管理、温度 etc...

日本で西洋野菜を栽培するうえで、気候の違いというのはかなり高いハードルのひとつです。日本は雨季と乾季がヨーロッパと逆なうえに、夏と冬の気温差がケタ違いに大きいんです。イマドキはなかなか便利になりまして、WEBでヨーロッパの天気をかんたんに知ることができますけど、イタリアの冬場の最低気温なんか見るとかならずといっていいほど羨ましく思います。そのくらいおだやかなんですよ。

ようするに栽培環境が違うわけですから、それに適応できる品種が開発されればいいという考えかたもあります。じっさい、いまではすっかり一般野菜として定着したキャベツ、レタス、トマト、そのほかいろんな「元」西洋野菜というのは、かなり日本の気候で栽培しやすく品種改良がなされています。各種苗会社、試験場のブリーダーさんたちの努力の賜物です。

ただ、それを同時に、日本人の味覚にあうように、というのもあるんでしょうけど、たとえばヨーロッパのレタスとかキャベツ、トマトとはまったく別物になっています。一般野菜として考えたときはとってもいいことなんですけど、西洋野菜としてはちょっと具合が悪いんです。味が違いすぎるんですよ。

となると、その野菜を日本の気候に適応させるんじゃなくて、その野菜のもつポテンシャルをきちんとひきだせるような気候にしてやったほうがいい、ということになります。以前にも書きましたけど、雨よけハウス栽培に移行するのはその一環でもあるんです。日照時間と空気中の湿度はどうにもなりませんが、温度、水分についてはある程度は野菜本位で考えてやることができるようになります。

ウチではいわゆる「種とり」=自家採種はほとんどやっていません。これもいま申しあげたことと関係があるんです。種とりをつづけるということは、何代にもわたって同じ土地で栽培するということです。そうすると、やっぱりそこの気候とか土壌に適応しちゃうんですよ。で、長い目でみたら、結局は別物になっちゃう可能性が高いんです。

目標は「現地と同等以上の品質、味」ですから、なにからなにまでフランスなりイタリアに近づけていく、そういう考えかたです。だから、技術的な資料は原書に頼りっぱなしです。日本語でそういう文献がほとんどないという現状もありますけど、とにかくヨーロッパでの栽培方法をきちんと理解して、それをどう倉渕の気候条件のなかであてはめていくかというのが問題になるわけです。

野菜なんてのは何も考えずに種をまいても、いちおうそれっぽいものができることもあります。でも決定的な差がどうしてもあるんですよ。よくこのBLOGで「おもしろ野菜」とか「珍しい野菜」批判をしますけど、ポイントはそこなんです。なんとなく栽培しているだけじゃ、やっぱり「なんちゃって」なんですよ。

最終的にはその「決定的な差」をのりこえたものだけが評価してもらえると思います。こんなハナシがあります。いま国内でも栽培がすこし増えてきたある野菜、ある八百屋さんは原則的に輸入しか扱わないそうです。国産については取引先から「こんなの持ってくるな!」と言われちゃうとか。わかります? それが「決定的な差」なんですよ。「なんちゃって」じゃ使ってもらえないんです。使ってもらえないということは売れないということです。

プロとして西洋野菜を栽培するからには、栽培資料くらいは原書できちんと読むことが最低条件じゃないかと思っています。なーに、たいした語学力は要求されません。大学入試程度の英文読解力があるなら、辞書を引けるようになること、基本的な構文を理解することができるようになれば読めると思います。フランス語やイタリア語の初級って、やたらと動詞の時制にスペースを割いちゃってますけど、技術資料を読むには「現在形」だけでほぼOKなんですよ。

ありゃりゃ、野菜のハナシといいながら、また語学になっちゃいましたね。って言うか、フレンチやイタリアンの料理人さんは語学の勉強をなさっておられるわけです(個人差はかなりあるみたいですけど)。そういうプロの方たちに食材をご提供し、使っていただくわけですから、生産者としても、たとえばイタリア野菜をやるならイタリア語の初歩くらいはやっとかないとマズいと思うんですけどねぇ。「決定的な差」の壁をのりこえるには、まずはそのくらいはしないとねぇ。

アリアム・セパ? それともアリウム・ケパ? (しつこく語学ネタ注意)

またまたごめんなさい。フランス語、イタリア語ときて、ついにラテン語ネタです。こんなことばっかり書いていたんじゃお読みくださる方が減っちゃうのはわかってるんですけど、じつはあんまり気にしていません(笑。

野菜も植物ですから「学名」というのがありまして、ラテン語なんですよ。いえ、そのこと自体はいいんです。ただ、学名のラテン語って、日本だとやや英語風に読むのが比較的フツーのようで、たとえば"Pseudomonas"という細菌がいるんですけど、「シュードモナス」といいます。

植物の学名の読みかたをアカデミックに勉強したわけじゃないんで、どうも規則性というか読みかたのルールをよくわかっていないだけなんですが、たとえばタマネギの学名"Allium Cepa"なんかちょっと迷っちゃうんですよね。英語だと"um"の綴りは「アン」や「アム」のようになることが多いですよね。"Umbrella"とか"forum"とか…。ちなみに、フランス語だとこの綴りは「オム」になることが多いですね。"forum"は「フォロム」になります。まぁ、"album"なんかですと「アルボム」「アルバム」両方アリなんですけど。

なので、タマネギですけど、英語風にやるなら「アリアム・セパ」なんでしょうかね? でも、「アリウム」って言いますよね、フツーは。

古典ラテン語の綴りの読みかただと、だいたい「ローマ字読み」なんですけど、"h"は読まない、"y"はちいさい「ュ」みたいな音、"c"と"ch"は[k]、"x"は[ks]といったところが注意するポイントでしょうか。

そうそう、"u"と"v"は区別しないので、"v"は「ウ」になります。"Vinum"(ワイン)は古典ラテン語だと「ヴィヌム」じゃなくて「ウイヌム」みたいな読みかたになりますね。あるいは"via air mail"なんて英語表現がありますけど、この"via"はもともとラテン語で、「ウイア」(道)のことですね。じっさい、"uinum", "uia"の綴りになっているケースもあります。あと、イタリアの高級ブランドでBvlgariってありますよね。この"v"も"u"あつかいですね、現代イタリアの固有名詞だからラテン語じゃないですけど。

意外と"c"がクセモノでして、Cicero(キケロ)なんかわかりやすい例だと思うんですけど。なので、タマネギの"Allium Cepa"を古典風に読むと「アリウム・ケパ」になりそうなもんです。ネット検索するとたしかにあるんですけど、「アリウム・セパ」のほうが圧倒的にヒット数が多いんですよね…。

あるいは、日本の税関のサイトを見ますと、レタスの学名"Lactuca Sativa"は、「ラクトゥカ・サティヴァ」って表記しています。古典風に「ラクトゥカ・サティウア」じゃない。 でも、チコリ類の学名"Cichorium Intybus"は「キコリウム・インテュブス」と古典方式だったりします。

うーん、ようわかりません。上で例にだした細菌で"Pseudomonas Cichorii"(1)は? 「シュードモナス・チコリ」が多いと思うんですよねぇ。古典方式なら「プセウドモナス・キコリイ」なんでしょうけど…。

  • 注1) レタスやチコリ類の「腐敗病」の原因菌。

フィノッキオ・ベイビー? (またまた語学ネタ注意)

すみませんねぇ。なにぶん端境期でして、築地への出荷も一時お休みさせていただいているくらいで、現場のハナシはなかなかネタがないんですよ。で、困ったときの語学ネタなんですよね。

ウチの築地に出荷している商品は、シールや販促チラシにフランス語とイタリア語の表記を書くことにしております。なにもカッコつけてるわけじゃございません。お使いくださるレストランさんで料理名をフランス語あるいはイタリア語でお書きになられるときに、あったほうが便利かな? と考えてのことです。パッケージのシールなんてイチイチご覧にならないとは思うんですが…。

ミニ・フェンネルのフランス語表記は"mini fenouil"にすんなり決まりました。輸入モノの商品名が"Mini-fenouil"ですから。なんとなくトレデュニオン"-"をつけていないんですけど、なくてもべつに間違いじゃありません。

イタリア語で迷ったんですよ。"finocchietta"、"finocchio piccolo"さらには"finocchio baby"まであるんです。で、"finocchio piccolo"を採用しているんです。が、Clause Italiaがミニ仕立用の品種をだすというニュースがありまして、そこでは"finocchio baby"の表記なんです。

うーん、正直なところ迷っています。だって"baby"なんですから。モロに英語です。

イタリア語はフランス語とくらべると、英語をそのまま受けいれちゃう傾向があるようでして、有名どころだと"computer"(コンプータ)、UFO(ウフォ)なんかそうです。フランス語だと"ordinateur"(オルディナトゥール) "OVNI"(オヴニ)ですよね。あるいは、イタリアの列車で"InterCity"ってありますよね。コレはヨーロッパ各国共通の呼称ですけど、フランスのSNCF(国鉄)は"Intercités"としているみたいです(1)

イタリア語では小さいものを表わすのに"-ino"とか"-etto"のような"diminutivo"(ディミヌティーヴォ=縮小辞)を単語のうしろにつけるという、伝統的というか、いかにもイタリア語らしい方法があります。"telefono"(テレーフォノ=電話)にたいしてケータイは"telefonino"(テレフォニーノ)のように(2)。ちなみにフランス語だとケータイは"téléphone portable"(テレフォヌ・ポルターブル)ですね。 なんか"telefonino"のほうがかわいくっていいような…。この"diminutivo"って、かわいいもの、「○○ちゃん」みたいなニュアンスがあるんです。ミッキーマウスは"Topolino"(トポリーノ)と言いますけど、もちろんこれは"topo"(トーポ=ネズミ)が語源ですね。ついでですけど、フランスだと"Mickey"のまんまです。でも発音は「ミケ」でしたね(いまはどうか知りませんが)。

この縮小辞、とってもイタリア語らしくていいんですけど、外国人が使いこなすのはちょっと難しいんですよね。だから不用意に単語を合成するわけにはいきません。ちゃんと用例を確認しとかなきゃ不安で夜も眠れません。

なので、"finocchietta"なんかいいかなって思ったんですが、根元が肥大しないタイプのフェンネルを"finocchietto"と呼びますので、あんまりよろしくないんですよ。で、意味が確実に伝わるということで"finocchio piccolo"をいまのところつかっているんです。

イマドキのイタリア語としてはやっぱり"finocchio baby"なんでしょうね。 ネット検索すると"carota baby", "melanzana baby", "bietola baby"なんてのもでてきます。

ついでですけど「ミニ野菜」のことを"mini-ortaggi"(ミニ=オルタッジ)と言いますので、"mini-finocchio"もアリのハズなんです。このサイトでも初期はそう表記していました。

さらについでに、イタリアの"finocchio baby"、上でリンクを貼ったニュースによると100〜150gだそうなので意外とデカいですね。

  • 注1) いえ、かならずしもフランス語がものすごく意固地なわけじゃございませんで、「在庫あり」を"en stock"なんて表現しています。
  • 注2) "telefono cellulare"あるいはたんに"cellulare"ともいいます。というかコチラのほうが正式みたいですけど。

ある種の「ー」(長音)が気持ちわるい…(いうまでもなく語学ネタ注意)

ヒトリゴトなんでどなた様も気にしないでくださいね。

そもそも外国語の音をカタカナで正確に表わせるワケがありません。そんなことは百も承知のうえでつぶやいているんです。そのこと自体を議論しはじめたらそれこそタイヘンなことになります。もとフランス語教師としては「綴りのままでいいじゃない」とか「発音記号を覚えりゃいいじゃない」という、教師としてはゼッタイに口にできない本音だってあるんです。いまはもう教師じゃないから言っちゃいますけどね。

理屈じゃなく、たんに個人的な感覚としてどうもなじめないカタカナ表記ってのはあるんです。いえ、個人的なものですから、一般性はないと思います。そのままでいいんだと思いますよ。

何かっていうと、たとえば「プーレ」(poulet = 鶏)、「ブーダン」(boudin = 日本じゃ boudin noir が有名ですけど boudin blanc ってのもありますね)。気持ちはわかるんですよ。フランス語の"ou"の音ってのは日本語の「ウ」とはくらべものにならないくらい強い音なんです。カタカナで「プレ」と書いたのをフツーの日本語として読んでそれをさらにフランス語の綴りになおしたらたぶん"pelet"になっちゃいます。(発音記号で書けばいいんでしょうけど、文字コードの問題があるかもしれないんで)

フランス語もイタリア語もタテマエとしては「アクセント」は音の強さ(大きさ)じゃなくて長さで表現します。日本語は音の高低ですよね。フランス語のアクセントは「リズムグループの最終音節」と決まっています。"Poulet"は2音節で、あえてカタカナで書けば「プ」と「レ」ということになります。あとのほうにアクセントがくるわけですから「プレ-」くらいになるわけです(長音を半角にしたのわかります? )

いま「リズムグループ」という言葉をつかいました。これおおもとは言語学の用語だから一般にはなじみがないかもしれませんね。気になる方は東京外語大のサイトでも見て勉強なさってください。フランス語の発音についてとってもわかりやすく説明してくれています。まぁ、かんたんに言っちゃうと、「一息で言うコトバのまとまり」みたいなものです。

すごく昔のフランス語教材で、この「リズムグループ」に徹底してこだわったものがありまして、昔のものだからカセットテープなんですけど、課のさいしょに会話があるわけです。その会話のあとで、リズムグループだけを抽出して「ダダダダー、ダダダー」みたいな録音がはいっているんです。で、教室の学生はフランス語そのものの発音練習をするまえに、録音にあわせて「ダダダダー、ダダダー」とやるわけです。なかなかシュールな光景ですね。

ちなみに、この方式というのはじつに理にかなったものではあったんですが、この教材の場合はいささかやり過ぎというか、学習者が理解できりゃいいじゃん、という流れになったようで、その後これを全面的に踏襲する教材はなかったようです。それでも、各課の一部をこういうリズムグループの把握にあてている教科書はけっこうつくられました。

で、たとえば"boudin noir"ですけど、たとえばこれだけをリズムグループとしてとらえた場合は「ダダダー」なんですよ。「ブーダン・ノワール」ってやっちゃうと「ダーダ ダー」になっちゃう(さいごの「ル」は子音だけなんで「音節」としては「ノワール」でひとつなんです)。日本語のひらがな、カタカナは一文字一音節というタテマエですから、カタカナ書きはそもそも矛盾があるんです。あるんですけど、それでもねぇ。個人的には気持ちがわるいんです。ホント、個人的な感覚の問題ですから、「プーレ」とか「ブーダン」で平気だったら気にする必要はないと思いますよ。たんにクチコミサイトなんかでこういう表記をみて違和感を感じるというだけのはなしなんですから。

イタリア語の場合は、アクセントは語によって位置がちがいますけど、上に書いたように基本的には長音で表現することは一緒です。イタリア語文法で「リズムグループ」と呼ぶかどうかは知りませんが、フランス語とおんなじような性格はあります。たとえ"trattoria" という語。単独だったらもちろん"ri"にアッチェントがきますんで「トラットリーア」になります。が、"trattoria XXX"みたいな店名だと、これ全体でひとつのリズムグループということになるんで、"XXX"のほうにアッチェントがきます。そうすると前半は「トラットリア」みたいな発音になるわけです。

ただ、イタリア語はフランス語ほど「ダダダダダダダダー」みたいな単調なリズム構造じゃないんで、「ダダダ-ダダダッダーダ」といった感じにはなりますね。このへんはフランス語よりも母音の出現頻度が多いという言語の性格にもよるんだと思います(1)

このリズムグループ、あえてゆっくり発話する場合なんかは単語単位に分解されちゃったりしますんで、単語ひとつひとつがそれぞれ独立したリズムグループになって、それぞれに長音があらわれちゃったりします。テレビとかラジオの語学講座で、ナチュラルスピードとゆっくり発音するのと両方聞かされたときになんか違和感を感じたことってありませんか? どっか違うような…という。これ、もっぱらリズムグループのとらえかたによるアクセントの変化が原因なんですよね。

フランス語の"poulet"にもどしますと、コレ、日本のフランス語フランス文学業界にも責はあるんですよね。20世紀の文芸批評家に"Georges Poulet"というひとがいまして、「ジョルジュ・プーレ」と表記するのがフツーなんですから。たぶん、上に書いたようにカタカナの「プレ」だと"pelet"みたいに聞こえちゃう、という配慮だったと思います。そのくらい"ou"というのは強い音なんですよね。ちなみに、この"ou"の音はマンガのタコの口にみたいにして響くように発音します。さらに口をすぼめて思いっきり前につきだして、大昔のマンガの「チュー」をするみたいな口にすると"u"の音になります。"Selles-sur-Cher"(セル=シュル=シェール)ってチーズの"sur"の音ですね。

  • 注1) イタリア語って促音=ちいさい「ッ」があるんですよね。そういうところが好きです。ちなみに、フランス語では厳密にいうと促音はありません。「バルザック」なんて表記してますけど、たぶん「なんとなく」促音をつかって表記してます。というか、ほんとに厳密にいうと、リズムグループの最後の長音てのはたんに長い音だけじゃなくて「休符」というんですか、瞬間的な無音状態もセットになったりするんですよ。