生食注意

まもなく生食「可」のピセッリとファーヴェがはじまるのだが、あえて書くことにする。というか書かねばならない。それが生産者としての責任だからである。以下のようなことを読解力に問題のあるひとが読むと、「じゃあ出荷しなきゃいいだろ(怒」と思われるかもしれないが、そういう御仁にはけっしてお使いいただきたくない食材であることもたしかである。

ファーヴェのほうが有名だが、ピセッリも、イタリアやフランスではごく若どりのものを生食する。もっとも、ピセッリのほうなどは、生食できるタイミングで収穫したものはあんまりマーケットに出回らず、もっぱら「菜園のおたのしみ」になっているみたいだ。

どちらもとってもおいしい。だが、たくさん食べるものではない。そのあたりはぜひともご注意ねがいたい。ごくごく若どりのものを、とっても新鮮なうちに、ちょっとだけ楽しむのである。フランス語だがふたつばかりリンクしておく。ページの下のほうに、おいしいけど食べすぎちゃダメよ、と書いてある。もうひとつはコチラ

サヤインゲンやエダマメなんぞは、ほぼ確実に生食不可である。豆にはレクチンという蛋白質が含まれていて、それが消化不良をひきおこす。とりわけインゲンにはPHA(フィトヘマグルチニン)というレクチンがあって、蛋白質だから加熱すれば栄養になるんだが、生だとお腹をこわしかねない。これはサヤインゲンでも程度の差こそあれ同様で、だからこそこのBLOGでもゴリゴリの火の通しの浅いサヤインゲンをさんざっぱら非難してきているのである。

食べものというのは何らかのリスクはつねにあって、ジャガイモの芽にふくまれる毒素ソラニンなんか有名だろう。あるいはホウレンソウはとっても身体にいい野菜だが、シュウ酸というのが含まれているから、あんまりたくさん常食するのはよくないとされている。

ピセッリとファーヴェもそれとおんなじなのである。

そもそも人類の「文明」というものの成立にあたって、火をつかうようになったということが大きいことは誰もが知るところのはず。なのに、昨今はなんでもかんでも生食したがる傾向があるようだ。ビーツ(キオッジャ)なんかはアクがすくないから生食「可」だが、ほんらいはきちんと加熱調理したほうがおいしい野菜である。なのに、WEBにしろ雑誌にしろ、でてくる調理例は生の薄切りばっかり…。生産者としては泣きたくなってくる。

10数年以上まえ、フランスで寿司屋に行くとかならずサーモンの握りがあって、閉口した記憶がある。いまでは日本の寿司屋でもサーモンはあたりまえのようだが、かつて日本ではシャケは生食しなかった。寄生虫の危険があるから、いまでもノルウェー・サーモンとかアトランティック・サーモンのように寄生虫のリスクがないものしか生食しないはずである。寄生虫は冷凍すれば死滅するから、ルイベというのがまことに理にかなった調理法だというのは知っている。でも、オジサンとしては、やっぱり生のシャケは気持ちが悪いと感じる。

ホタルイカなんか論外である。これも寄生虫リスクがあるから、どうしても生食するなら、冷凍モノか、新しいうちに内蔵をきれいに除去しなければならない。平成12年に厚生省(当時)から通達がでている(リンクは農水省)。

淡水魚にしてもおなじである。養殖のニジマス、ヤマメなどは寄生虫リスクがほぼないと言われてはいるが、野生のものについてはやっぱり相応のリスクがあると考えたほうがいいらしい。

自己責任で、その結果について誰にも迷惑をかけないという確信があるなら生食すればいい。それは個人の自由である。だが、おカネをとって、食べものを提供する立場にある人間は、こういった問題についてはどんなに慎重であってもありすぎることはない。

だいたい、「こういう食べかたはしない」という「習慣」は、長い年月をかけて培われてきた「知恵」なのである。それもまた食文化の重要なファクターである。逆にいえば、そういったイレギュラーな食べかたをして「おいしい」と感じるのはどこかおかしいのではあるまいか。食べかたが不適切であるか、味覚がおかしいか…。いや、こと「安全」にかんして言うなら、個人の味覚なんてたいしてアテにならないのである。キノコの食中毒が毎年後をたたないことを考えればわかるだろう。だから、釣ってきたヤマメだかイワナだかを生食でおいしいと得々と喧伝するのは褒められたはなしじゃないどころか、無責任きわまりない行為なのである。

ピセッリとファーヴェにはなしをもどすと、ごく若どりきわめて新鮮であることは、生食のための最低条件である。ファーヴェなんぞはかなり誤解がひろまってしまっているようだが、コリコリ、ポリポリするようじゃアウトである。だいたい、そんなんじゃおいしくない。わざわざ苦労して日本に導入したって、広まるわけないのである。バカバカしいはなしだ。「えっ、こんな若どりじゃ食べるとこなんかほとんどないじゃん」ってくらいじゃないといけない。しかも食べすぎはよくない。たいしたリスクではないが、よくないものはよくないのである。

ちなみに、写真のピセッリは「超」若どりである。ここまで極端に若どりしなくてもいいだろう。もうすこし豆を肥大させていい。これにかんしては、粉っぽくなったら生食不可と考えたらいいだろう。だいたい、粉っぽかったらおいしくないからすぐにわかる。いずれにしても食べすぎないようにしていただきたいものである。あと、サヤがもったいないなどと思わないでいただきたい。キヌサヤじゃないのである。安全上のリスクはないはずだが、キヌサヤ用の品種じゃないんだから、サヤを食べる前提にはない。廃棄率90%くらいの「ぜいたく品」とご理解ねがいたい。

Posté par makimonoya le 29/05/10 Leave comment (0)

まめーるくいずぃーぬどぅろーるもんびえんとぅせ

追記:環境によっては発音記号が化けちゃってるかもしれません。その場合はご一報いただけると幸いです。

タイトルは、とっても昔のフランス語教材 C'est le printemps のディアローグの一節。もう手元に本がないのに、よく憶えているなぁ…。

Ma mère cuisine drôlement bien, tu sais!

マルセイユでロコのお兄ちゃんが北欧娘をナンパする場面(!)である(1)。「ブイヤベースって何」というおねいちゃんに、「マルセイユの名物料理だよ。オレのお袋は料理がとっても上手いんだよ!」というところ。ポイントは、このお兄ちゃんの発音が南フランス訛りをかなり忠実に再現したものということ(もちろん録音、当時はカセットテープだった)。

言語学者じゃないのであんまり立ちいったことは書かないが、南フランスの「方言」では一般的に、"r"がいわゆる「巻き舌」、ほとんどイタリア語の"r"にちかいということと、母音、とくに鼻母音の口の開きが大きめになるとされている。

現実には、どの地方の出身であっても、われわれ外国人に対しては、いわゆる「標準フランス語」で発音してくれることが多い(というか、方言がどれだけ生きのこっているのかという問題だったりするようだが)ので、南フランス訛りというのはフランス語初学者がマスターしなければならないようはものではない。ただ、知識として、ちょっと違う発音をするんだなぁ、とわかっていればよい。

ようするに、言語とくに音声というのは相対的、個別的な側面があるということなんだが、そんなことを言いだしてもしょうがないので、フランス語を「学習」する際には「標準語」ということになる。

そのなかで、上にも書いた鼻母音というのが初学者を混乱させる厄介者だったりする。口を開けたまま鼻に息を抜くようにして「アン」とか「オン」などと発音する。本来は4つあって、

ɛ̃
œ̃
ɑ̃
ɔ̃

このうちの[œ̃][ɛ̃]とおなじものとしていいことになっている。なので事実上は3つということになる。問題は、イマドキは発音記号を憶えてくれる学習者もそうそうはいない、というか辞書でさえもカタカナ表記があたりまえになってしまったせいで、[ɛ̃][ɑ̃]がどちらも「アン」で区別ができなくなっていることだろうか。

日本でフランス語をカタカナ表記するとき、[ɑ̃]は慣習的に「アン」と書く。そういう習慣なのである。

"vin blanc" [vɛ̃ blɑ̃] 白ワイン

このふたつの単語の鼻母音は違う音なのに、カタカナだと「ヴァン・ブラン」と書く。ところが、音としては「ヴァン・ブロン」のように聞こえるから、学習者は混乱するのである。

じゃぁどうするか…。もう教師じゃないのでそんなことはまったく考えてやる必要はないんだが、とりあえずはカタカナというものを忘れて、身体に音をたたきこむべきなのである。でも、よっぽど熱心な学習者じゃないかぎり、そこまではやらないだろう。

でもまぁ、カタカナは忘れるべきである。日本語でフランス語をカタカナ表記するといいうのは、いろんな立場、主義主張もあるんだが、けっきょくのところカタカナという日本語の文字にしたとき、それはすでに「日本語」になっているという事実を忘れてはならない

そうそう、鼻母音の習得方法だが、じつは[ɔ̃]の音をマスターするのがポイントである。日本語の「オン」とくらべると深い、よく響く音である。やや口を丸めて、力を入れて発音するとそれっぽくなると思う。あとは、3つの鼻母音の違いを発音で表現できていればとりあえずはよい。あえて言うなら、[ɑ̃]は、だらしなく口をひらいて「オン」というとかなりイイ感じなるだろう。「アン」という意識は捨てたほうがいい。[ɛ̃]はできたら唇をちょいとばかり横にイーっと引くようにして発音できるとなおよい。

  • 注1) この教科書、じつにナンパの場面が多い。「五月革命」の名残たっぷりの教科書なのである。二十数年前、某首都圏国立女子大のフランス語の授業でメイン教材に採用されていたってんだから、それもまたオドロキである。

Posté par makimonoya le 29/05/10 Leave comment (0)

ビブリオフィルじゃないのに…

愚痴である。

そこそこの「読書家」ではあるが「ビブリオフィル」じゃないのである。菌の類ではない。ビブリオフィル "bibliophile"というのは、稀覯本なんかを収集する趣味人のことで、仏和辞典だと「書籍道楽」なんて訳語もでている。

この趣味、まことにおカネのかかるもので、それこそ伝統的な「オークション」の対象だったりする。書画骨董、美術品の類というわけである。

料理関係の古書ってのは、ビブリオフィルの収集対象になることが多いらしく、気絶しそうなほどに高価だったりする。このあたりのことは辻静雄のエッセイにもでてくる。いまはさらにエスカレートしてしまって、ものによっては個人ではとてもじゃないが手がだせない。

読みたい本がこういうビブリオフィルの収集対象だったりするとじつに具合がわるい。「本なんてのは読めりゃいいんだよ!」という立場だから、図書館にあれば、それを利用できればいいのである。が、僻地暮しで、アカデミズム(大学)とも無縁になっちゃったから、けっこう不便である。

Posté par makimonoya le 27/05/10 Leave comment (0)

ピセッリとファーヴェの着莢

第1弾ですが、けさ確認できたのはコレをふくめて3つだけ。まだ「キヌサヤ」状態です。だんだんと開花も増えてくるので、もうしばらくお待ちください。昨年の品物の写真はコチラでご覧いただけます。イタリア系の品種です。

ファーヴェのほうは写真がピンボケになってしまいましたが、3本写っているのがおわかりいただけるでしょうか…? ヨーロッパでは一般的なスペイン系の品種です。ごく少量生産なのでいまのところ市場出荷の予定はありませんが、やや余裕がでそうなので、ご興味がおありでしたら、正規の流通ルートを介してお問いあわせください。

Posté par makimonoya le 20/05/10 Leave comment (0)

ピセッリの花

ようやく花が咲きはじめました。春の低温の影響で「遅れ」となっております。

Posté par makimonoya le 18/05/10 Leave comment (0)

タルト? それともプリン?

フラン"flan"のことである。いわゆるプリン(crème caramel)のことを"flan au caramel"と呼ぶ。フツーにそうである。どちらもあたりまえの言いかたである。WEB検索でもいっぱいでてくる。

さて、甘いものにあまり興味がなく、ちょいとばかりマジメにフランス語を勉強しているだけだと、この事実に戸惑ってしまったりもする。というのは、Le Petit Robert 1 だと

Crème à base de lait, d'oeufs et de farine, que l'on fait prendre au four.

「牛乳、卵、小麦粉でつくったクリームをオーヴンで焼き固めたもの」としかでてこない。プリンって小麦粉つかったっけ? 何かちがうものを指しているんじゃないか…。

TLFiだとくわしく出ている。

PÂTISS. Crème sucrée à base d'œufs, de lait et de farine que l'on fait prendre au four; p. méton., tarte garnie de cette crème. [...]
− P. anal. Préparation analogue, mais salée. La « quiche » (Lorraine), délicieux flan au lard (Menon, Lecotté, Village Fr., t. 1, 1954, p. 90).

基本的にはおなじような定義だが、このクリームをアパレイユにしたタルト、ともでている。さらに、甘くないタルトのことも「フラン」と呼ぶとなっている。

このタルトのほうの意味はもはや古い用法なのだろうか? WEB検索で"flan de foie-gras"(de ではなく au のこともある)などもたくさんでてくるんだが、まぎれもなくフォワグラ入りの甘くないプリンのようである。

さすがに『ロワイヤル仏和中辞典』は過不足なく説明してくれていて、

(1)カスタードクリームをフラン型に流して焼いた菓子;カスタードクリーム入りパイ(タルト);カスタードプリン (2)野菜・魚介類をソースと一緒に詰めた前菜用パイ

となっている。なーんだ、仏和でいいじゃん、となるんだが、この定義だけでは「フランとは何ぞや?」はいまひとつピンとこないような気もする。ちなみに、フラン型"moule à flan"はいわゆるプリン型のこと。

いずれにしても、フラン=プリンでいいんだが、タルトのほうの意味もわかっていないと、たとえば Le guide culinaire なんか読むには困ることになる。たとえば「ニンジンのフラン」

タルト用セルクル(1)にパート・フイユテを敷きつめ、これに軽く砂糖で甘みをつけたニンジンのピュレを流しこむ。このピュレを半月型に切ったニンジンで覆う。これはニンジンのグラセと同様に加熱したものだが、適度に固くあげておく。一般的なフランと同様に焼く。 (Le guide culinaire, p.735)

ようするに「ニンジンのタルト」なのである。ここではすくなくとも「ニンジンのプリン」ではない(ちなみに Le guide culinaire では"crème moulée au caramel"というのがでていて、これがまさに「プリン」だが、そのほかにも英国式の"pudding"のルセットがたくさんある)。

ところで、フラン=プリンのほうだが、「フォワグラのフラン」のような甘くないものの場合、以前にこのBLOGでしつこくとりあげたロワイヤル=茶碗蒸しと、結果的にはどこがどう違うのか、それともフラン=ロワイヤルということなのか? よくわからんので、用語統一をしていただきたいものである。

  • 注1) 原文は"cercle à flan"。これは"cercle à tarte"とおなじものを指す。

Posté par makimonoya le 17/05/10 Leave comment (0)

ホンモノという名の陥穽

陥穽は「かんせい」と読み、「落し穴」のこと。

日本で西洋野菜を栽培するということは -- おそらくは西洋料理についてもまったくおんなじことが言えると思うんだが -- その目的というか目標とするところにじつは大きな落とし穴がぱっくり口をひらいている。

目指すところはもちろん「ホンモノ」である。フランス語で"authentique"と言ってもいい。技術的、物理的要件による可能、不可能については別のはなしなので、とにかく目指すということで話をすすめるが、"authentique"であることの基準は何か、誰がそれを判定するのか。

第一義的には、作り手つまり自分自身が基準を設定し、それを判定するわけだが、これがダイモンダイなのである。

なにぶん、自分が体験したものだけで世界が成り立っていると思うほどナイーヴ(1)じゃないのである。

ちょっとわかりにくいだろうか。たしかに自分はフランスに留学した、イタリアにも何度も足をのばした。だが、そのとき体験したものだけでフランスやイタリアの野菜というのはこういうものだ、などと断言できないのである。ましてや、文学の勉強をするために留学したのであって、野菜の勉強をしに行ったのではない。だから自分の体験はあくまでも「個人的な体験(2)」にすぎない。

料理もおなじかも知れない。ある雑誌で読んだんだが、イマドキの若いフランス帰りの料理人さんのなかにはキャロット・ラペをご存知ないという人もいるらしい。

いっぽうで、以前にお取引先のシェフから聞いたハナシなんだが、フランス修行中にまかないでキャロット・ラペをつくったら、居合わせたフランス人数人がアセゾネをどうするかで喧々諤々、そりゃもう楽しい議論になったという。そのシェフ曰く、そのくらい食文化の根っこにちかいところにある食べものである、と。

せっかくだから、キャロット・ラペを知らないフランス帰りの料理人さんという架空の存在を例にして話をつづけてみる。このお方がフランス料理のシェフであるなら、"authentique"を志向するか、和洋折衷をえらぶか、いずれにしても「フランスでは…」というのがついてまわる。「ホンモノ」を謳う場合は要注意である。なにしろフランスの食文化についての根本的なもののひとつが欠落しているかもしれないのである。それで「ホンモノ」とはどういうことなのか?

こういう書きかたをすると、中途半端なヨーロッパ体験では意味がないなどといった論旨にとられかねないが、違うのである。キャロット・ラペは極端な例にすぎない。自分が体験しなかったもの、未知のものはたくさんある。既に知っているものであっても、その理解が正しいかどうか、断言はできないはずである。だから、つねに「知らないんじゃないか、誤解してるんじゃないか」と自分に疑問をもっていたほうがいい。「ホンモノ」を目指すというのはそういうことなのである。

安易に「ホンモノである」と謳うのは、とくにこのところ、自分では避けるようにしている。道義的に好ましくないと考えるからである。もとより「知ったかぶり」もしない。知らないものは知らないと言うことにしている。だいたいが、なんでも断言するというのは、かえって無知無教養をさらけだしているようなものなのである。世の事物、とくに文化にかかわるものは、知れば知るほどおいそれとは「断言」できない、そいういうものなのである。

もう何年も前のことだが、日本で「イタリア料理」の看板の店にいって前菜、パスタ、セコンドを、家人はコレとコレとコレ、わたしはコレとコレとコレという具合に注文したら、全部の料理が一気に運ばれてきたことがあった。あんまりにもビックリして、お店のひとに 聞いたら、「イタリアではこういうふうにするのがフツーですっ!」と言いきられて目が点になった。文句を言う気にもならなかった。

おわかりいただけるだろうか? 「陥穽」という語には、「ひとを陥れるための策略、ワナ、詐欺的行為」といった意味もあるんだが。

  • 注1) フランス語の"naïf"を辞書でご確認されたい。英語の"naive"でもいい。まちがっても「デリケート」の意味ではないことに注意。
  • 注2) ノーベル文学賞ですな。

Posté par makimonoya le 14/05/10 Leave comment (0)

雨の中チポを植える

雨です。でもかまわず定植作業です。雨よけハウスだから。露地だったらこうはいきません。レタスをやっていたころはやりましたよ。雨合羽を着て、かじかんだ手で。でもロクな結果にならんのです。雨の中の作業が辛いとか、そういうことはどうでもいいんですけど、無理して植えてもいいレタスが獲れないことが多いんですよ。そういうことを考えると、雨よけハウスってのは偉大な発明品ですな、コストはかかるけど。

ちなみに、今日植えたチポロットは赤白あわせて約3000本。家人と二人で6時間かかかりました。多そうにみえます? でも1袋5本入なんですよ。それが20袋で1ケース。つまりは、100%の歩留まりでも30ケースにしかならんのです。実際の歩留まりはもっと低いわけですから、たいした数じゃないんですよね。そう考えると、いかに単価の低い商品かおわかりいただけるんじゃないかと…。

Posté par makimonoya le 11/05/10 Leave comment (0)

三十六間

パイプハウスの4棟めにようやく着手。まだこんなことやっているくらい、どうしようもなく作業が遅れています。ところで、このハウス、全長36間 = 64.8m です。長っ! アーチパイプが片側で145本。合計290本です。

てっぺんをジョイントパイプでつなぎます。いちおうそれっぽい格好にはなりましたが、このあと直管パイプや「ビニペット」というポリを留めるための部材を組みます。打ち付ける金具だけで約1000ヶ。そのあと防虫ネットとポリを展張して、灌水部品を組んで…。

Posté par makimonoya le 08/05/10 Leave comment (0)

ファーヴェの花

ようやく花が咲きました。きれいな花ですよね。今年はマーケットにファーヴェが大量に出回るって予想してたんですけど、いまのところ耳にしないですね、ファーヴェの話題。予想が外れたか、情報収集不足なのか…。

Posté par makimonoya le 08/05/10 Leave comment (0)

オカヒジキは風に吹かれて転がる?

小ネタです。むかしの西部劇で、枯れ草の玉みたいなのが風でコロコロ転がっているのってよくありますよね。「タンブル・ウィード」っていうんだそうです。

オカヒジキはこれの一種で、学名 Salsola komarovii です。イタリアのアグレッティは Salsola soda ですな。イタリア版オカヒジキってところでしょうかね。

まきもの屋ではアグレッティの栽培はしておりません。個人的にあんまり興味がないってのもありますし、どなた様からもリクエストなりサジェスチョンなりをいただいておりませんので。アグレッティの国内栽培ってのは話にきいたことがありますけど、あんまり売れないってことだったんでなおさら…。

Posté par makimonoya le 07/05/10 Leave comment (0)

野草ってのは、「君が袖振る」のがいいんです

なんかまたヘンなタイトルですな。ところで、そろそろフランス産のアスペルジュ・ソヴァージュの季節でしょう。今年はちょっと遅めなんてハナシもあるようですけど。さる筋では今年は5月7日に築地に「初荷」ということらしいですな。

すでにだいぶ人口に膾炙してきたと思いますけど、アスペルジュ・ソヴァージュは正確には「アスパラガス」Asparagus L.じゃないんですよね。学名Ornithogalum Pyrenaicum L.といいます。「別種」ということになっています。たしかに見た目がちょっと違いますよね。

じつは食べたことないんで、よく知りません。それに、興味もあんまりないんです。だって野草ですから

イタリアだとアスパラージ・セルヴァーティチってのもありますね。こちらは「野生のアスパラガス」そのものです。見た目は貧相な細いアスパラガスですな。これが自生してるってんだからイタリアってのはスゴいところです(フランスでも自生しているらしいですけど)。こちらももちろん「野草」ということになります。

イタリアでも地域によっては、ルッポロつまりホップなんですけど、その若芽を「野生のアスパラガスだ」なんて言ったりもするようです。別名ブルスカンドリ。ちなみに、ルッポロ(和名セイヨウカラハナソウ)の亜種「カラハナソウ」は日本でもそこいらで自生しています。若芽の見た目はブルスカンドリそっくりです。味のほうは、日本のは食べたことありますけど、ご本家のブルスカンドリを知らないんで、評価できません。はっきり申しあげてかなり「ビミョー」です。

さて、いずれも栽培しようと思えば栽培可能です。どれも種子あるいは根株を入手することは不可能じゃありません。じっさい、アスペルジュ・ソヴァージュの栽培にとりくんでいらっしゃる生産者さんもおられますし、イタリアのアスパラージ・セルヴァーティチも去年でしたっけ、根株を日本に輸入した業者さんがいらっしゃったので、ごくわずかながら日本でも栽培があるはずです。ルッポロにいたっては、東北あたりでビール会社との契約栽培でたくさん栽培されているわけですから、若芽の出荷はないにせよ、存在はしているわけです。

で、まきもの屋ではどれも栽培する予定がありません。だって野草ですから

野草ってのは、「君が袖振る」のがいいんです(1)。そういうもんなんです。

ちょと脱線しますけど、タラの芽ってありますよね。マーケットには11月後半か12月くらいから出回ってますけど、あれはみんな栽培モノですね。もともとは山に自生しているものですんで、倉渕だと4月下旬から5月初旬にかけて野生のものが採れます。写真がないんで申しわけないんですけど、野生のものと栽培モノははっきり言って似て非なるものなんですよ。ボリューム、香り、ぜんぜん違います。

いえ、野生礼賛ってわけじゃないんです。そうじゃなくて、「栽培」するってのは、英語、フランス語だと"culture"つまり耕作するってことで、畑を耕して肥料を施し、種をまいて育てる、そういうことなんです。かなり人間の手がはいります。というか、人間の手によって、食べものをつくっているわけです。放っておいてできるもんじゃありません。

その「栽培」するものとして野菜があるわけです。レタスにしろトマトにしろ「原種」ってのは、植物図鑑をみただけでも、とてもじゃないけど「食べ物」じゃないです。それを長い年月をかけて、品種改良して、いまのヴァラエティーってのがあるわけです。

まきもの屋の仕事は「採集」ではなく「栽培」なんで、「野生」のものには興味がないというのは当然なわけです。それに、栽培するのは人間が ーー 西洋野菜の場合は異国のひとたちが ーー 長い年月をかけて築いてきた「食文化」の結実だと考えております。だから、あえて「野生」のものを「栽培」しようなんてことも思わないんです。

うーん、まわりくどいですね。ようするに「野草」は「野生」だから意味がある、「栽培」するのはいささか野暮なんじゃないかという考え方なわけです。よく、コゴミとか行者ニンニクとか、タラの木とかを山から根ごと掘ってきて庭に植えたりするんですけど、これっていちいち山に採りにいくのが面倒くさいからなんですよね。

しばしば野菜について「大地の恵み」なんて表現をしますよね。それはそれでたしかに真理なんですけど、でも、野菜てのは人類の叡智の結晶のひとつなんですよ。それを「文化」というんです。もちろん野草の採集も「文化」です。ただね、だからといって、日本に自生していないヨーロッパの野草を日本で栽培することの意義がどれだけあるのか、そのへんはちょっと疑問なわけです。

そうですね、たとえばフランスだとサンドルとかブロシェなんて魚がいます。これを日本で養殖する意義がどれだけあるのか? ミもフタもない言い方になりますけど、けっきょくはフランスから空輸したほうがいい、って結論になっちゃうんじゃないでしょうかね? 野草もそれとおんなじだと思うんですけどいかがでしょうか?

でもまぁ、これをあんまり突き詰めちゃうと、ウドもピサンリも栽培モノを否定しなきゃなんなくなるんですけど、軟白モノはもとは野生のものであってもやっぱり別ですし…。ありゃりゃ、かえってグダグダになってきた…。

  • 注1) 「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」。『万葉集』額田王の歌ですな。

Posté par makimonoya le 06/05/10 Leave comment (0)

雨よけハウスの中のサヴォイ

ハウスのサイドに張ってある防虫ネット越しなので、写真はちょっと見づらいかもしれません。定植後50日ほど、まだまだ生育途中です。サヴォイってのはとにかく面積がいるので、こういう方法は営利栽培としてはじつは成立しません。なにしろ露地でも1a(100平米)あたり320株しか植えられないんです。ハウスだとちょっと減って、270株くらい。ハウスの償却費がコストに反映されちゃいますんで、まともに計算するとものすごいお値段になっちゃいます。はっきり書いちゃいましょうか、「とろわみりえぬ」くらいです。とてもじゃないけど商売になりませんので、市場出荷はしません。

じゃぁ、なんでこんなことしているのかって? もちろん趣味ですがな。趣味だからコスト度外視です。そのかわり、防虫ネットのおかげで虫害ゼロ。結球がはじまったら病気の可能性もないわけではないんですけど、ボルドーだけで大丈夫なはず(これは露地でやっていたときに実証済み)なんで、その気になってやったら「有機JAS」だって夢じゃありませんね。

いえね、"chou blanc"タイプ、ようするに日本で一般的なキャベツ、グリーンボールだったら、年間で1ヶ月くらいはまるっきり防除なしで収穫できる時期があるんですよ。でもそれだけ。すごく短期間です。防虫ネットを活用すればもうちょっと長期間できるんで、有機農家さんのなかには、そういうやりかたをなさっているところも少なからずあるようですね。

ただね、上で書きましたように、防虫ネットもコストなんです。でも価格に反映されにくいんですよ。なにしろ防除なしでできる期間が多少なりともあると、そちらはけっこう低コストなわけです。やりかたにもよりますけど、まぁ、倍以上 ちがってくるでしょうかね。

そもそも、有機がいいとか減農薬がいいとかというニーズと、長期間安定的に供給されてあたりまえ、というのは矛盾しているんです。しかも、「旬」の時期はコスト的に安くできるんで、その安いほうが基準になっちゃう。なので、真面目にやろうとしたら赤字覚悟、社会奉仕みたいなことになっちゃいます。イマドキは「有機」「特別栽培」モノもお安いですからねぇ。

一般野菜はいいんですよ、それぞれの産地の「旬」つまり低コストでなおかつ防除なしでできる時期が短かくても、日本全国の産地をリレーしていけばいいんですから。

西洋野菜だとそういうわけにはいきません。そもそも生産者が少ないですから。

サヴォイの場合ですと、日本で一般的なキャベツと比較して、種子代もかかりますし、肥料もたくさん必要です。さらに生育期間は倍。栽植密度、つまり上で書いたような100平米で植えられる数は6〜7割程度。すくなくとも倉渕では防除なしでできる時期はありません。だって生育期間が長いってことは、害虫が動きだす前に収穫ってのができないわけですから。

そもそも夏ってサヴォイの需要がないんですよね。いや、夏だけじゃないですね、冬場の需要もたいしたことないんです。サヴォイ=「煮込み料理」って思い込みでしょうかね。そりゃ、かなりの時間、加熱しなきゃならないですから、大変なのはわかります。あの有名な「エイとキャベツ」だってフランス語の料理名には"chou vert"とありますからねぇ。それに、フランスやイタリアの料理本をみていると、じつにいろんなレシピがあるんですけどねぇ。でもあんまり需要がないんですよね。

やっぱりあの「ちぢれ」がはっきりわかるような調理法じゃないとダメなんでしょうかね? 個人的には刻んで炒めてから煮込んじゃうのが好きなんですけど。こういう野菜って、 それとわかるような、存在をアピールできる仕立じゃないと訴求力がないってことなんでしょうか? 本質は「味」にあると思うんですけど…。

Posté par makimonoya le 04/05/10 Leave comment (0)

「なんとかしろっ!」って言わないで

連休でアクセスも少ないでしょうから、ちょっとばかり愚痴をこぼさせていただきます。 孫引きになるのでソースは割愛。ある天麩羅屋さんの言らしいです。

だからどんなことがあっても「魚がない」なんて言わせない。馬鹿言うな、冗談じゃない。テメーが海潜ってでも捕ってこいってね。だから、ハゼが一匹も入ってこないっていうときはね、問屋が羽田で舟出させるんですよ。それでハゼ捕ってくるんだ、その日のうちにね。え?そりゃ高くつくよ。ところがね、それで持ってきたハゼをうちに売るときは、いつもと変わらない値段にする。お互いプロとプロとしてもプライドがあるからね。それが問屋と店の関係なんだよ

似たようなことは野菜でもあるんですよね。料理人さん、あるいは仕入れ担当の方が八百屋さんに「なんとかしろっ!」ってケース。

そりゃ、一般野菜なら問題ないかもしれない、でも、たとえば輸入が植物検疫でひっかかっちゃって「燻蒸」とか「廃棄」処分になったらゼロなわけですよね。あるいは、まきもの屋の商品のなかには、国内でそれを生産しているのが他にいない、そういうケースもあるわけです。代替品がないことだってあるんですよね。

で、コチラに品物がないときに、「なんとかしろっ!」と言われた八百屋さんからのオーダーが築地をとおしてはいってくる。そりゃもうタイヘンなんです。品物がない=「終了」ってときは勘弁していただけるんですけど、前のロットが終了して、次のロットの生育が遅れて いるときなんか、許してもらえません。「小さくてもいいから出荷しろ!」となります。

品目によっては「一斉収穫」を前提とした栽培方法だったりするので、こういうパターンはかなり困ります。「拾いどり」ってわかります? 葉茎菜の多くは端からとるのがフツーなんですけど、それができないときに、すこしでも生育のすすんだものをピックアップして出荷する。これって作業時間も通常の倍以上かかりますし、圃場を「荒す」ことになるんです。後に残ったものの生育が乱れるんです。その結果、ありていに申しあげて「損」をすることになります。

上にひいた魚の例とおんなじで、使い手の方と八百屋さんの信頼関係ってのがあり、八百屋さんとまきもの屋の信頼関係ってのもあるわけです。だから、損をするとわかっている場合でも、そうそうは通常より高く買ってくれなんて言えません。

でもね、「なんとかしろっ!」の場合、たいていは使い手の方とコチラとの信頼関係ってないんですよ。直接面識のある料理人さんでそういうことをおっしゃる方はいらっしゃらないんです。でもしばしば、使い手の方は八百屋さんの「向こう側」にいる生産者のことなんか想像だになさらない。だから、正直なところ、ストレスになるんです。上で引用させていただいたようなことを言われたら、かなりイラっときます。「生産者はアンタの奴隷じゃないんだよ」って思っちゃいますね。

ある料理が「売り切れ」になったとします。フリのお客様から「それを食べたくてわざわざ来たんだから、なんとかしろっ!」って言われたらどう思いますかね? あと半日はマリネしなきゃならない、あと3時間は煮込まなきゃならない、そういう仕込み段階のものをお出しするんでしょうか? それを無理に出さされるとしたら、どうでしょう? プロとしてどんな気持ちになるでしょうね? そもそも、常連のお客様はそういうことはまずおっしゃらないでしょうしね。「売り切れなら、今度にしよう」とおっしゃって、また来てくださる。そういうことなんですよ。

現状ですと、雨よけハウスへの移行作業が遅れていて出荷が「不安定」になっておりますんで、「メニューオンしないでくださいね」と市場の担当氏には伝えてあるんです。プロモーションとかバンケットは、通常ならもちろん対応させていただいてるんですけど、いまは難しいんです。「もうすこしお時間をください」とお願いしてあります。いえ、通常だって、メニューオンするときにはお手数でもその旨お伝えくださいとお願いしております。プロモもバンケットもご予約をお願いしております。

そもそも市場に同一品目、類似品さえ入荷がないときに、ウチしか作っていないものを「なんとかしろっ」っておっしゃるんなら、作付前に予約していただきたい、というのが生産者としての本音だったりします。そもそもが小規模なんですから、「売り切れ御免」になりやすいし、現実的にいって、そうじゃないと商売にならない、そういう構造になってるんですよ。野菜なんてどんな高級品だってたいした単価じゃないんですから、余剰はそのまま赤字につながっちゃうんです。

街場の個人店の方はこういう「なんとかしろっ!」ってあんまりおっしゃらないんでしょうかね。もちろんとてもありがたいことなんですけど、逆に、「あるときだけでいいや」って感じだったりすると、コチラには「売れなかったらどうしよう…」という恐怖がありますから、やっぱり使い手の方とのあいだに信頼関係を構築できるのがいいんですよね。オーナーシェフさんの中には「安売り圧力」がすごい方もいらっしゃって、これもけっこう辛いんですけど、それとこれとは別のはなしですから。

Posté par makimonoya le 02/05/10 Leave comment (0)