サヴォイ

サヴォイである。フランス語で"chou vert"あるいは"chou de Milan"、イタリア語は"cavolo verza"またはたんに"verza"。需要がありそうでなさそうな、まきもの屋の野菜のなかでは、ちょっとかわいそうな野菜である。なにしろ、いまの栽培環境だとあまりにもコストがかかりすぎて、市場出荷できない。たんに「まきもの屋」というヘンな屋号の原点である結球野菜として唯一のものというだけの存在になってしまっている。ようするに、なかば意地みたいに、結球野菜の技術を維持するためだけにやっているという感じである。

サヴォイの不幸は、日本の調理現場でなかなか切り刻んでもらえないというところにあるかもしれない。どーしてもあの「縮れ」を目にみえるかたちでつかいたくなっちゃうんだろう。あるいは、日本の一般的なキャベツをつかうのがフツーになっちゃってるというのもあるだろう。日本のキャベツはタイプとしては"chou blanc"の系統から出発して、独自に育種されて発展したものである。で、みなさんもご承知のとおり、"chou blanc"というのはフランスだと「漬物用」ようするにシュークルートくらいにしかつかわないというのがトラディショネルな考え方である。

たとえば『ル・ギド・キュリネール』の「キャベツのブレゼ」の項では、「弱火で2時間ブレゼする」とある。誤植でもなんでもない。それくらい加熱しなければならないのである。「シュー・ファルシ・アンティエ」にいたっては3時間加熱しろという指示である。日本の一般的なキャベツを2時間も加熱したらすっかり溶けてしまって葉脈のスジくらいしかのこらないんじゃないか。そのくらい性質のちがうものなのだ。

「素材の持ち味を生かす」などといってなんでもかんでも生煮えにする傾向があるようだが、こと西洋野菜にかぎって言えば、素材のもつポテンシャルをひきだすには、適切な火入れが必要であって、それは、日本人の一般的な感覚からするとかなりきつい加熱であることが多いと思う。いまどきはなんでもかんでも「生食」志向なのか、まきもの屋もピセッリ・クルーディなんて生食「可」の商品をやっているからうかつに批判はできないが、野菜なんてものはおしなべて加熱調理するのが基本なのである。日本でもかつては生野菜は食べなかったという。生野菜=サラダが普及したのは第二次大戦後、USの影響だという。

ところで、生野菜の代表というか、「まきもの屋」という屋号の由来のひとつであるレタスだが、日本で一般的なものはクリスプヘッドといって、US系である。フランス料理の古典で「レタスのブレゼ」とか「エテュヴェ」がよくでてくるが、こういった調理には"laitue grasse"というタイプがいいとされている。代表的なのが"Sucrine"という品種。ちなみに、ここでの"grasse"は「脂」の意味じゃなくて「肉厚」という意味である。ちょとわからないのは、手元にある2007年版の『ラルース・ガストロノミーク』ではオークリーフ系(feuille de chêne)やロロ・ロッサ、ロロ・ビオンダもこの"laitue grasse"に分類されているような表になっていること。これらは"laitue à couper"ようするに「リーフレタス」というタイプである。

加熱調理にむいたフランスの「正統派」のレタスってのも必要だと思うんだが、いかんせんまだ機は熟していないように感じている。「プティ・ポワ・ア・ラ・フランセーズ」でよくつかうものだから、ウスイマメじゃないヨーロッパ品種のプティ・ポワ、ピセッリの需要が顕在化して、なおかつ採算ベースにのってくれるのがひとつのめやすだろうか。そのくらいビミョーでむずかしい食材のような気がする。そんなわけで、サヴォイより始めよ、と言いたいところなんだが、むずかしい素材なんだろうか、あんまりフィードバックいただけないまま数シーズンすぎちゃったから…。とくに夏サヴォイはじぶんではかなりイイ線いってると思うんだけど、ご案内のしかたが悪いのか、やっぱりこちらの栽培技術の問題なのか、気候風土のせいなのか…。ノーリアクションというか、沈黙ってヘコむんだよね。そもそも訴求力のない野菜なのか…。シャルトルーズなんぞはカレームいわく「アントレ(1)の女王」だというんだけどねぇ。あ、あれは冬の料理か。

  • 注1) 「前菜」の意味じゃなくてあくまでも「アントレ」。くわしくは料理史の本を参照のこと。

Posté par makimonoya le 29/06/10 Leave comment (0)

ピセッリ・クルーディの出荷期間延長に挑戦してみる

写真は本文とは関係ありません(笑。サルヴィア=セージの花、もちろんこれもエディブル・フラワー。さて、ご好評いただいているピセッリ・クルーディであるが、本質的には、というかエンドウマメそのものなので暑さと湿気によわい。なので、6月いっぱいで終了というご案内をさせていただいてきたわけである。が、着莢状況をみていると、技術次第ではなんとか7月も出荷できるのではないかという気になってきた。

ただ、はたして可能かどうかは、それこそ「お天道様次第」なのである。もちろん対策をきちんとやって、ということになる。ポイントは病虫害防除と気温を下げることである。そう、さらっととんでもないことを書いたわけで、気温を下げるなんて、フツーだったらできるわけがない。が、雨よけハウスだと遮光をすることで、ちょっとは可能なのである。そのための資材の見積りも依頼したところだ。

遮光をして温度を下げるということは、当然ながら「徒長」するリスクがあるわけで、これを回避するには、水分コントロールなどの技術にかかってくる。はっきりいってかなーり困難である。だってやったことないんだもの。

成功するかどうかはまったくわからない。とにかくやってみるだけである。だから「お約束」はできない。その旨ご了承いただきたい。

Posté par makimonoya le 26/06/10 Leave comment (0)

フヌイユの花

エディブル・フラワーである。パスティスのような風味でけっこうおいしい。が、あんまり流通していないと思う。どうしてかは知らない。写真は"fenouil de Florence"いわゆるフローレンス・フェンネルの花だが、ハーブとしては"fenouil officinal"をつかうのが正式だと思う。

そんなフヌイユの花だが、お世話になっているH氏をとおして問いあわせをいただいた。ハナシはちょっと複雑で、H氏とある有名レストランさんのあいだにさらに甘木氏(1)という方がはさまっているという。まぁとにかく、有名レストランさんでお使いになる意向があるとかいうことで、コチラとしては花を咲かせてしまったのはしばらくしたら処分するつもりでいたから、もしお使いくださるんであれば、その期間と数量についてお報せいただきたいとお願いした。

いちおう1週間以内にお返事くださるということだったのだが、別件でH氏から電話をいただきたときにたずねてみたら、「やっぱりいらない」だと。その前の段階では、毎日けっこうな数量を秋までというようなハナシだったからすっかり拍子抜けである。

たいしたことじゃないからいいんだが、ようするに、数量と期間を「約束」するのがイヤだったのだろう。それが有名レストランさんの都合なのか、甘木氏の都合なのかは知らない。

が、こういう流通のきわめてすくないものは、都合のいいときに好きなだけ手にはいるようなものじゃない。ある野菜の売れゆきがいいからと安心していたら突然売れなくなることがある。きくと、「メニューが変わったから」と言われることが多い。そんなの言いわけにもなっていないのにねぇ。そうやってハシゴをはずされた野菜は、畑で廃棄されちゃうわけで、そんなことがつづいたら生産そのものをやめるしかなくなっちゃうんだから。

流通量がすくないというのは、需要がすくないからである。ヘタに在庫をかかえても、野菜の場合はすぐに畑でダメになってしまう、つまりそのままロスになる。一般野菜ならツブシがきくからいいかもしれない。でも、フヌイユの花なんてのは、産直のセットだってなかなかにお入れするのがためらわれる品物だったりするのだ。

なので、今回はハナシが実ることはなかったから、圃場の都合で時期をみてかたづけることにするわけだが、もしもこういうものをお使いになりたいのであれば、できたら1年以上まえに、数量と価格を「約束」していただきたいものである。突然の思いつきなんぞでふりまわされちゃかなわないというのが正直なところだ。

それにしても、また"étoilé"だって。よくよくもって、まきもの屋はそちらの方面とはご縁がないらしい。さらにべつの"étoilé"のお店も、圃場視察に来るとか、野菜を予約したいとかといったおハナシをいただいたことがあったが、ハナシだけでその後はなしのつぶて。なんだかなぁ。

  • 注1) 実名じゃないので念のため。「某」をバラしただけ。内田百間がよくつかっていた表現である。

Posté par makimonoya le 25/06/10 Leave comment (0)

おいしさの閾値

天気のせいもあって、モチヴェーション下がりまくりである。なにしろ天候とマトモにむきあう仕事なんだから、多少のところはいたしかたない。かててくわえて、生来の「お天気屋」ときたものだから始末がわるい。

お取引先様からとても嬉しいお言葉を頂戴した。「世の中こんなおいしいものがあったのか」と。さすがに、ニーチェの『ツァラトゥストラ』にでてくる「ああ、この一瞬があるなら私はまったくおなじ人生をもう一度繰りかえせる!」(1)とまではいかないが、とんでもなく高コストな西洋野菜を、高いと非難されながらつくっている甲斐もあろうというものである。というか、「おいしい」というひとことのためにこの仕事をしているといっても過言ではない。ただ、ショーバイだからどうしてもいろんなことで頭を悩ませることはある。

「おいしさの閾値」と勝手に名づけた概念がある。味覚はひとそれぞれなわけだから、あるおなじモノを食べてどう感じるかは十人十色である。ただ、たとえば日本の食文化というものが共通のベースとしてあれば、あるいはフランス料理、イタリア料理という食文化を前提とするならば、おいしい、おいしくないという基準は存外、社会階層とか文化的素養とリンクしていたりする。

「おいしさの閾値」がそこそこ低いひとたちを相手にしたとき、求道者的に「もっとおいしくなるはず」とさらなる高みを目指してもムダである。ひとりよがりになりかねない(エッチなコトバだねぇ)。すでにじゅうぶんおいしいからである。おいしいものはおいしいんだから、それで充分なのである。それ以上は理解できないと思ったほうがいい。

逆に、この閾値が高いひとたちに対して、「この程度でじゅうぶんだろう」というようなナメた態度もいけない。せいぜいが「フツーにおいしい」という、「美味しくない」よりもひょっとして屈辱的な評価をいただくことになりかねない。

この閾値をクリアした先で、さらに「おいしい」と言ってもらうのは至難の業である。すでにじゅうぶんおいしい、というのがひとつ。もうひとつは、その食べ手にとって未知の領域だからである。

まるっきり未知のものは、むしろ「おいしくない」という結果をまねきかねない。これはマーケティング上たいせつなポイントで、どのていど既知のものと共通項があるか、類似性があるか、そういうことも意識する必要がある。

わかりやすい例のひとつが、たとえばフランスの地方の大学に留学して、毎食を学食で食べる経験をする。ある種のカルチャーショックである。学食はしょせん学食なんだから、おいしいということはそうそうないわけだが、パリの学食だとそこそこおいしいからショックというほどのこともないかもしれない。が、たとえばアンドゥイエット+フリットとか、カイユのロティとか、鱒とジャガイモとか、そういうのがあたりまえのようにでてくるわけで、日曜のデジュネはたいていクスクス。それだけでもじゅうぶん「異文化体験」だが、それがおいしくないとしたら?

正直なところ、学食やビストロでアンドゥイエットは何度も食べたが、おいしいと思えたのは一度きりである。それも匂いがイヤというのではない。ある程度食べなれた結果としておいしいと思えるようになったというのであればかんたんだが、その一度きりのおいしいアンドゥイエットから以後何度もおいしくないのに出会ったのだから始末がわるい。いや、アンドゥイエットについていえば、答えはわかっているのである。ただ、おなじく「おいしくない」ものにフランスで出会ったこと多数のステーク・フリットとは次元がちがって、そうそう挑戦できない、それだけのことなのだ。

ところで、「おいしさ」のファクターには、味覚そのものに訴えるもの以外に、雰囲気とか印象、見た目といったさまざまなファクターが複雑にからみあっている。それでも、料理ひいては素材のもつ「おいしさ」のちからというものを信じたい。

手前味噌だが、まきもの屋の野菜を気にいってお使いくださる料理人さんはすくなからずいらっしゃる。まことにありがたいことである。おいしさの閾値がそれなりに高いというのは、文化をあつかう立場という意識があるので、ほんとうにうれしい。

そんなことも考えると、まきもの屋の西洋野菜の真価というのは、やっぱり産直の「おまかせ」にあるのだろうか。市場出荷はビジネス的な要素が多分にからむから、どうしても品目は限定されるし、コスト的にもシビアにならざるを得ない。「おまかせ」であれば、そのへんはある程度は融通がきくし、こちらからの提案もいろいろさせていただきやすい。

とはいえ、料理人さんにとって「未知のもの」ばかりだとはなはだ具合が悪い。ここで「おいしさの閾値」が問題となってくるのである。客を選ぶなんておこがましいといわれればそうなんだが、なんとも悩ましいところではある。

  • 注1) 本をひっぱりだすのがめんどうから記憶だけで書いているが、だいたいこんな記述だった

Posté par makimonoya le 18/06/10 Leave comment (0)

間違った倹約

したがって、間違った倹約をいいわけに、調理技術の根幹をなすこのフォンをけっしておざなりにしてはならない。(Gringoire & Saulnier, Le Répertoire de la Cuisine, Flammarion, 1986, p. 1. )

『レペルトワール』のフォンの章、冒頭の注意書きである。エスコフィエのLe guide culinaireにも似たような記述がある。

ひどい浪費にはまったくもって反対だが、あまりにケチケチした倹約もすべきでない。これは、才能を伸ばすのを阻み、意欲ある職人を意気消沈させ、一直線に失敗へと導くものだからだ。(Le guide culinaire, p. 1.)

『レペルトワール』はそもそもが『ル・ギード・キュリネール』をもとにした本だから、似たようなことが書いてあるのは当然といえば当然のことである。

さて、これはフォンのはなしだが、どんな仕事でもコスト削減というのはつねに考えておかなければならないことである。だが、そのときに、食材の質を落すということはあってはならない、そういうことを読みとるべきなのだろう。

このことじたいにはまったく同感である。「原価を抑える」ために安いものやダイヨウ品ばかりつかっていてはおのずと限界があることを、料理の素人に指摘されたら料理人諸氏はお怒りになるだろう。安い材料でもお客さんによろこんでもらえるために、これだけ努力しているんだ! 素人が聞いたような口をきくんじゃない! と。

まったくもっておっしゃるとおりである。でもね、どんなに努力なさったって、「なんちゃって」は「なんちゃって」でしかないような気がするんだが。

この逆で、高いものについて、「この値段じゃウチの店じゃつかえない…」というのもある。それが10円、20円、せいぜいが100円、200円の差だったりするからオドロキである。客単価が一万円とか二万円のフレンチやイタリアンの場合、料理が一皿あたり数百円高かったとしたって、高いから注文しない、という行動をとるお客さんはそう多くはないんじゃないか。

このあたりのことはいろんな意見があるだろうから、あまりつっこまないことにする。が、ある八百屋さんがおっしゃるには、先般、まきもの屋の商品を値切られたらしい。半値以下に! それだけでも信じられないことなんだが、なんとその料理人さん、"étoilé"だっていうんだからオドロキである。

値切るくらいなら、さいしょから安いものをツマんでりゃいいじゃん。どうせ「野菜は安いもの」って思いこんでいるのだろうから、高い野菜の存在を理解できないのだろう。で、「ぼったくりだ!」などと毒電波をひろっちゃう。

ちゃんとコストを反映させた野菜ってのは、マトモであればあるほど、そりゃ高価なものになるのである。小ロットというのはそれだけで高コストになる。ましてや設備、資材、手間を惜しまず最高のものを目指したら、高価になるのはとうぜんなのだ。「ぼったくる」余地なんかまったくない。だが、そのあたりまえのことを理解できないんじゃしょうがない。

「良いものを安く」なんてキチガイの戯言にすぎない。安いということは、安かろう悪かろうであるか、さもなくば誰かが泣いているにほかならないのである。

いえいえ、いいんですよ。安い一般野菜ばっかりお使いになれば。ミニ・ズッキーニの揃いが悪いなどとイチャモンをつけて無知をさらしていればよろしいのである。ちなみに、ミニ・ズッキーニ、1本あたりの価格を考えてみたらいい。あれば「摘果」だからできる値段である。はじめからミニ・サイズをねらってつくるなら、1本あたりの値段はかぎりなくフルサイズのものと同じになる。

国産の西洋野菜が安値に見舞われるにつけ、このあたりのことさえ理解なさっていない方が多いことに愕然とする。安値がつづいたら農家は生産をやめちゃうのである。そんなに経営体力はないのがふつうだから、新商品が定着するまで何年も待てないことはしばしばである。こうして生産がなくなってしまう西洋野菜はすくなくない。いや、それ以前に、一般野菜だって安値の連続で廃業するところもでてきているのである。このままだと、国産の野菜なんてマーケットから姿を消すことになりかねないんだが。

おわかりいただけるだろうか。値切るのは論外として、「この値段じゃウチの店じゃつかえない…」というのも、すくなくとも国産西洋野菜については間違った倹約につながると思っていただいきたいものである。もし価値があると思うのなら、高かろうが何だろうが買ってくださらないと、来年は生産がないである。

だいたい、野菜なんてどんなに高いといってもタカが知れているのである。それでも、商品にそれだけの価値がないと思うのなら、無視すればいい。逆に言えば、「この値段じゃウチの店じゃつかえない…」というのは、価値がないと判定したことと結果的におなじである。そうやって、日本の市場から西洋野菜が姿を消していってよいのであれば、まったくもって無問題だが。それは、かえって高くつくことになるんじゃないかなぁ。

それ以前に、西洋野菜をよく知らない、まともに使ったことがロクにない料理人さんの多いこと多いこと。もとめがあればお教えするにやぶさかではないが、それだってコストである。そうやって単価が上昇すると「この値段じゃウチの店じゃ…」。これを悪循環という。

いや、いいのか。ラーメンや餃子が中国料理じゃないのと同様に、カレーライスがインド料理じゃないのと同様に、日本のイタリアンやフレンチも"cucina italiana"、"cuisine française"とはまるっきり別物と考えればいい。 それなら西洋野菜なんかいらないんだから。「キュイズィーヌ・フランコ=ジャポネーズ」ってコトバもあるくらいだからねぇ。

Posté par makimonoya le 18/06/10 Leave comment (0)

予定外だがファーヴェを築地に出荷する件

そもそもが産直でしか出荷しない予定の作付だったのだが、2010年6月12日販売分から、ごくごく少量を築地に出荷してみることになった。「フリー」での出荷となるだろうから、あるいは築地の店頭に並べてもらえるかもしれない。おおむね6月いっぱいの予定である。

今シーズン、さんざっぱらマーケットが荒れてしまったことにいたたまれなくなっての出荷である。いや、ヨソ様がどんなものを出荷しようが関係ないので、何も申しあげるべきことはない。ただ、食べ手のみなさんが「ファーヴェ=おいしくない」と思ってしまうこと、料理人諸氏が「やっぱり日本のはダメだ」とお思いになることが、万が一にもあっては我慢がならないのである。

ことしファーヴェのマーケットが荒れるであろうことは去年から何度かこのBLOGでも書いてきた。が、まさかここまでマイナスイメージが広がるとは夢にも思わなかったのである。

われわれ生産者は食べ物を提供しているのである。商品としての食べ物は「おいしい」ことが正義である。「外国じゃこんなんをよろこんで食うんかねぇ?」なんてレヴェルで、自分がおいしいとも思っていないものを生産、出荷してはいけない。西洋野菜というのは西洋の食文化の一部である。「一部」とはいえ、それだけ知っていればいいということではない。西洋野菜を日本で栽培し、食べてもらうのは、まさに異国の文化をあつかう仕事にほかならぬということを肝に銘じるべきだろう。

今回の出荷については、西洋野菜生産者としての「矜持」みたいなものである。もし、「どうしてもまきもの屋のファーヴェを安定的に使いたい」という声を多数いただき、ビジネスとして成立する見込みがあればべつだが、いまのところは来年も市場出荷を前提にした栽培はしないつもりである。

通常は1ケースに1枚しかお入れしておらず、ときとしてサボることもある「販促用チラシ」だが、これにかんしては多めにおつけするつもりである(これだってコストなのである)。じつはファーヴェを出荷する目的は、このチラシをひとりでも多くの方に見てほしいということだったりする。PDFでアップしておくので、よろしかったらご高覧の程。

Posté par makimonoya le 10/06/10 Leave comment (0)

食べ物の順は、もっとも栄養のあるものからもっとも軽いものへ

現代フランス料理の「軽さ」のはなしをしようというのではない。このところフランス料理の古典の勉強(といっても、実際に作ることはないのでもっぱら書物だけだが)をしていて、たとえばこのタイトルのような概念について、みなさんどのようにお考えなんだろうかと思っただけである。

これはブリア=サヴァランの言葉で、エスコフィエのLe Livre des Menusにも、グランゴワールとソニエのLe Répertoire de la Cuisine、あるいはそのほか料理史の本にも引用されている有名なものである。献立の構成のはなしである。原文は

L'ordre des comestibles est des plus substantiels aux plus légers.

このエントリのタイトルの「もっとも」は最上級の訳である。通常は複数形が最上級をとるときは"superlatif absolu"といって、「とても」の意味に解することが多いのだが、「その献立のなかでもっとも軽い」などということは、献立を構成するうえで考えることだろうから、最上級として解してみた。

それから、"substantiels"だが、じつはこの語がポイントだったりする。後半は「軽いもの」となるわけだから、対義語なら「重い」とあっておかしくないだろう。でも「栄養たっぷり」なのである。「栄養たっぷり」=「重い」ということはもちろんあるだろうが、しかしこの文の"substantiels"を"lourds"(文字どおり「重い」)の言いかえあるいは同義語とみなすのはちょっとねぇ。

さて、世の料理人諸氏のみなさんは、この一文をどう解釈し、どのように説明なさるのだろうか? じつのところ気になってしかたがないのである。

素人考えだと、いまのフランス料理って、アミューズ、前菜、魚、肉…とだんだん「重く」なっていくじゃん。どうして逆なの? そう思うわけである。

いや、いちおう勉強しているんで、自分なりの解答はあるが、で、みなさんどうなの? と挑発しているわけ(笑。

じつはこの問題、批判なさる方も多い「少量多皿構成」とか「シェア=おとりわけ」の問題とも深い関係があるように思うんだがいかがだろう?

Posté par makimonoya le 07/06/10 Leave comment (0)

1ミリメートルの攻防

しつこくピセッリ・クルーディのはなしである。出荷規格はおおむね決まったのだが、市場・流通サイドと細部をつめなくてはならない。

何のことかというと、豆そのもののサイズである。直径5mmと6mmでしばらく議論がつづくことになりそうである。コチラとしては食品として安全性を保証できる範囲での「ごく若どり」が前提で、小さければ小さいほどリスクは減るから安心である。食べものとして認知できる ギリギリの大きさがいいと思っている。なにしろフツーのピースじゃないのである。とっておきの、スペシャルなものなのだ

サヤを割ってみて、「えっ? たったこれだけ?」という印象と、その小さな豆を口に入れたときにひろがる香りと甘みとのギャップを期待したいくらいなのである。

わずか1mmで何を大げさな、とお思いであろう。が、1mmというのはとんでもなく大きい単位なのである。ましてや球形のもの(正確には、若どりのピースの豆は扁平であるが)は、わずかな直径の増加で体積はびっくりするほど大きくなるのはご存知のとおりである。球の体積は4/3・π・r3だから、直径が5mmなら0.065ml、6mmだと0.113mlである(πは3.14にしてみた)。なんと倍ちかいのである。ピースはさいしょ扁平だった豆が成長するにしがたってより球にちかづいていくわけで、じっさいにはこれよりも極端な差がでてくる。

やっかいなことに、豆はサヤの中だから、外から見て判断するのはサヤのふくらみぐあい、手でさわった感じにたよるしかない。さらにやっかいなことに、5mmまでであれば豆のサイズとサヤのふくらみ具合がほぼ比例関係なんだが、そこから先はサヤがふくらむほうがどうも先行する。はっきり言ってしまって、5mmを越えたところから7mmまでのあいだはサヤをぱっと見ただけじゃわからないのである。とはいえ「勘」というわけにもいかない。なので、とんでもなく収穫に技術が要求されることになる。精神的負荷ははかり知れない。そんな難しいサイズでやるんだったら、技術料の割増料金をくださいな、と言いたい。ただでさえ、早朝3時からの収穫である。圃場での労働時間を8時間に抑えることを目標としているのにこれはキツい(現状だと14〜15時間だから、そんなの「夢」みたいなものだが)。

ちなみに、7mmまでいくと、もやは生食不可である。これは「ピセッリ・フレスキ」の商品名で、加熱専用として売りたいサイズだ。

6mmというのは収穫する立場としても、さんざっぱら味見をした結果の判断としても、一種のグレーゾーンである。生食できなくはないけど、5mmのときほどの風味のインパクトはなく、むしろ豆っぽくなってくる。5mmのときはほとんど皮の内側は液体なんじゃないかと思うくらいジューシーである。6mmになると固体としての豆を感じるようになる。もちろんジューシーさは減る。逆にいえば、小さいながらも食べものとしての実体がはっきりわかるくらいだから、加熱調理にもつかえるということになる。

ここが問題なのである。どうも先方は「生食も、加熱調理も」という売りかたをしたいらしい。二兎を追う者一兎を得ずと言いたいところだが、生産者は立場が弱いのでそんなこと言えない。お客様のご要望にお応えするのが第一なのである。

そうはいっても、「生食も、加熱調理も」というのは、国産のファーヴェが「生食専用」に耐えないくらいの「とり遅れ」のせいだからじゃあるまいか? と、八つ当たりしたくもなってくる。「生食用」を謳ったパッケージなのに、実際に売るときには、「さっと火をとおすとおいしいですよ」といってるくらいなんだから。

すくなくとも今シーズンつかっている品種で言うなら、生で食べたときの味のピークは5mmである。6mmは限界にちかい。でもきっと、6mmで出荷することになるんだろうな…。買ってもらえないとどうしようもないんだから。

それとは別に、このBLOGをお読みの好事家諸賢にはどうでもいいんだか悪いんだかわからないお知らせであるが、たぶんこの商品、黙っていたら築地の仲卸さんの店頭には並ばないかもしれない。というわけで、ピセッリ・クルーディにご興味がおありの方は、仲卸さんにオーダーを入れていただくか、メールフォームからお問いあわせいただきたい。

Posté par makimonoya le 05/06/10 Leave comment (0)

ピセッリ・クルーディ、あるいはふたたび商品名の憂鬱

写真は省略。まもなく出荷スタートなので「商品名」を発表させていただく。ピセッリ・クルーディ (piselli crudi)。フランス語だと"petits pois crus"。そう、あえて生食を前提にした商品名である。販促用チラシのPDF

なやましいのは、「クルーディ」などというカタカナをみて意味を理解してくれるひとがイタリア料理人さん以外だとそう多くはないだろうということ。形容詞"crudo"(クルード=生の)の男性複数形が"crudi"なのである。しかも「ピセッリ」である。「ピゼッリ」と「ピセッリ」、どちらの表記にするか日本でコンセンサスが得られていない単語である。「濁るのか濁らないのかはっきりせんかいっ!」と思われてもしかたのないものである。べつに、フランス語ベースで「プティ・ポワ・クリュ」でもよかったんだが、一般的にいえばこちらのほうがわかりにくさという点では絶望的かもしれない。

そもそもは「ピセッリ・フレスキ」にする予定だった。が、加熱を前提にした仕立のものを将来的に商品化する可能性を考えて、そのときのためにとっておくことにしたのである。

ほんとうは超若どりだけじゃなく、適度に豆を大きくしたのも出荷したいのである。でも、日本のグリンピースとピセッリ / プティ・ポワとのちがい、国産のフレッシュと輸入の冷凍との差、どれだけの人がそういったことを正しく評価して使ってくださるだろうかと考えると、現状ではあまり期待しないほうがよさそうである。

ちょうど今日届いたばかりの雑誌にいい例がでていた。『料理通信』7月号、p.65. こういう料理をするひとって日本にはあんまりいらっしゃらないような気がするんだが、どうだろう? なにしろ核になっているのは、バターでエテュヴェしただけのプティ・ポワとタマネギなのである。日本のグリンピースは論外として、フランス産の冷凍モノだとどうかなぁ…? おいしくできるんだろうか?

何度も書いてきたんだが、日本のグリンピースとヨーロッパのピセッリ / プティ・ポワはそもそも品種が違う。それにくわえて、日本のはサヤがパンパンになってから収穫するのが一般的だから、こういう料理にするには、完全に「とり遅れ」なのである。

聞いたはなしだと、国産のファーヴェはあいかわらず豆を大きくしてしまっているらしい。「おはぐろ」がまだ着色していないというから、それがせめてもの救いか。だいたい、きちんと味見をしていればわかると思うんだけど、「こんなんじゃまだロクに食うとこなんかねーだんべ」という先入観もあって出荷規格を決めてしまったんだろうか。

西洋野菜をたんに「珍しい」「おもしろ」野菜という見方でしか捉えていないからこうなるのである。理解というものが欠けている。まったくもって始末がわるい。

「商品名」のはなしのはずが、あらぬ方向にいってしまった。ようするに愚痴なので、生温かくスルーしていただきたいものである。

Posté par makimonoya le 04/06/10 Leave comment (0)

リゾットってミネストラだよね

とあるBLOGによると、リーズィ・エ・ビーズィはリゾットではなくミネストラ、なんだそうな。Le Ricette Regionali Italiane のヴェネトの章では、いろんなリゾットも、リーズィ・エ・ビーズィも、ポレンタも"minestre"の項にまとめられてるんだが、どう説明するんだろうか(1)? まぁ、"minestra"をどのように定義するかって問題にかかかわるから、先のエントリと同様にいろんな書きかた、言いかたがあり得るのは認める。

だが、こういう書きかたは、混乱のもとでしかないのである。

つくりかたからすると、日本で一般的にイメージされるリゾットとはちょっと違うんですよ、くらいの表現じゃマズいのだろうか?

つーか、 Le Ricette Regionali Italiane だと、これはピースが大量にはいる。コメよりも多い。だから、ピースのスープにコメがはいったというようなイメージじゃないんだろうかね? ま、ヴェネトでこの料理を食べたことないからヘタに断言はできなし、料理なんてのはいろんなつくりかたがあって、どれが正しいとか間違っているなんてこともないわけだが。でも、「豆ごはん」みたいにちょびっとピースがはいっているようなのを「これはリゾットではない」といってもねぇ…、わかりにくいだけじゃないかと。

ところで、そのリーズィ・エ・ビーズィでつかっているピースはまさか日本のものじゃないだろうかと余計なことまで気になってくる。日本のピースであれば 品種の違いが大きいからイタリアとくにヴェネトのリーズィ・エ・ビーズィとは似て非なるものになんじゃなかろうか。フランス産の冷凍モノであれば 品種の違いはほぼクリアできるから、味はそれなりに近くなるだろうが、だとすると季節感を前面にだすことはできないだろう。年中、季節を問わず 入手可能な冷凍モノで「グリンピースの旬ですね」なんて言うのはちゃんちゃらおかしい。いずれにしても「なんちゃって」でしかない。ひょっとしてフレッシュの輸入? そりゃスゴい! ヨーロッパのピースと日本のものとの違いをぜひとも語っていただきたいものである。

ちなみに、カナ表記を変えてあるので、キーワードでの検索はいささかむずかしいはず。そのくらいの気はつかうのである。

まぁ、素人に何か指摘されるとすぐにブチ切れる料理人さんもすくなからずいらっしゃるので、口は禍いのもとなのである。

  • 注1) 巻末の総索引だと"minestre"は項目としてパスタやリゾットとは分離されている。"minestre"という語にはそういうあいまいさがあるのも事実。

Posté par makimonoya le 03/06/10 Leave comment (0)

清と濁

いや、なにも政治のはなしをしようというのではない。イタリア語で"s"と"z"は濁るときとそうでないときとあって、 地域差もあるから大した問題ではないのだが、これまで「ピセッリ」の表記をつかってきていて、どうもさいきん「ピゼッリ」のほうが目につく気がするので、半可通なお方から「間違っている」などとクレームがこないか心配になっただけなのである。

結論からいって、上にも書いたように地域差があるから、「ピセッリ」でも「ピゼッリ」でもどちらでも正しい。だいたい、カタカナにした時点で、もはやイタリア語じゃなくて日本語なのである。そういう意味では、日本で「ピゼッリ」の表記のほうが優勢であれば、それにしたがうというのもひとつの見識かもしれない。

いちおう手元の辞書 Il Grande Dizionario Garzanti della lingua italiana, 1993. と『小学館 伊和中辞典』を確認したところ、どちらも濁音ではなく清音となっている。「ピセッリ」の表記のいちおうの根拠ということになろうか。じつはずーっと濁らないほう、つまり「ピセッリ」で憶えていたから、そうしただけのことなんだが。

もうひとつ、「セッピエ・イン・ズィミーノ」の"zimino"もそうである。料理関係の雑誌などを見ていると「ツィミーノ」の表記のほうが多いようだ。いっぽう、手元の辞書2冊では濁音ということになっている。『小学館 伊和中辞典』の清音濁音の指示はちょっとわかりにくいところがあって、"s"は下に点があるとき濁音つまり「ズ」の音、点がないときは清音「ス」の音。"z"も下に点があると濁音で「ズ」、点がなければ清音で「ツ」である。日本語のローマ字の影響か、どうも"z"は濁るというイメージがあって、かえってわかりにくいかもしれない。もちろん、これも地域によってどちらの発音もありだろうから、日本語のカタカナにするときにどっちを採用してもいいということになるだろう。

ただ、イタリア語の知識がある人だけを相手にしているならいいんだが、現実問題として、イタリア語をかじったことのある人はそんなに多くはない。ふたつの表記があると混乱してしまう可能性もあるから、そういう意味ではまったくもって不親切である。どちらかに統一したほうがいいのかもしれない。

もっとも、アカデミズムの側では、学問的に厳密にすればするほど多様性を許容せざるを得ないわけで、こういった食べ物がらみのものについては、関係する業界でなんとかすべきことではあるだろう。いろんな表記がゴチャゴチャあると一般消費者のみなさんに不便だし、こうした混乱がイタリア料理、イタリア食材の普及の妨げの一因となる可能性だってないわけじゃない、と余計な心配をしてみる。

Posté par makimonoya le 03/06/10 Leave comment (0)

メニューの本

昨日読みはじめた A. Escoffier, Le Livre des Menus である。5月25日に注文して、ドイツの(!)古本屋さんから6月2日に届いた。なんとも便利な時代になったものである。それはさておき、まだ "Introduction"を読んでいるところだが、目から鱗というか、じつに発見が多い。数ページでこれなんだから、きっちり全部読んだらかなりいい勉強になるに相違ない。べつの本屋さんにフランス料理史の本と、ニニョンの Eloges de la Cuisine Françaiseも注文してあって、発送済みとのメールをもらったから、こちらも楽しみである。

Posté par makimonoya le 03/06/10 Leave comment (0)