メランザーナ、それともメランツァーナ?
たまにはイタリア語ネタでも。地域によってもちがうから、とくに迷うのが"z"の読みかた。そう、方言がゆたかということもあるから、「ズ」の音でも「ツ」の音でもどっちでも正しいということがよくあるみたいである。
そんなこと言われたって、どっちかで覚えないと困るのが外国語学習者の常である。イタリアのひとたちが実際にどう言おうと、いちおうは「イタリア語辞典」というのがあるわけで、なんというか標準語があるわけ。だから、とくに地域を限定しなければ、やっぱり「イタリア語」として学習するわけで、そうなると必然的に「標準イタリア語」ということになる。
いや、フランスだって方言はたくさんあるんだけど、歴史的な事情から、「標準語」の成立がはやかったし、国策としてその普及をすすめたということもあって、「フランス語はフランス語」というふうになっているわけ。ただ、それって公式というか、あくまでも教科書的なものだから、じっさいにはそれぞれの地域性というのははっきりのこっている(はず)。
さて、「標準イタリア語」のばあいだが、ナスつまり"melanzana"はどっちの発音が標準か? 手元のIl Grande Dizionario Garzantiだと[me-lan-ʒà-na]という発音記号が記されている。この[ʒ]はこの辞書の凡例によると"gigolo"(ジゴーロ)、"casual"(カジュアル)の「ジ」というか「ズ」というか「ジュ」の音ということになっている。
じゃあ、ブレット(ビエトラ)をもちいる料理として有名(?)な"seppie in zimino"はどうだろう? 上記の辞書だと[ʒi-mi-no]となっている。カタカナで書くと「ジミーノ」がいちばんちかいだろうか…。どうも習慣として「ズィミーノ」と書いちゃうんだが…。
もちろん「ツィミーノ」でもいいわけで、個人的にはその発音を聞いたことはないんだけど、地域によってはそう呼ぶところもあるはずだから、それでいいのである。
だいたい、Zerlina (モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の登場人物名)を「ゼルリーナ」って発音しちゃったらかわいくないでしょ? やっぱり「ツェルリーナ」じゃないと。「ゼルリーナ」だと コメディア・デ・ラルテのドットーレとかブリゲッラがしゃべっているみたいでどうもよろしくない。ツェルリーナは役柄としてはコロンビーナの系譜に属するわけだから、やっぱり濁らないほうがいいと思う(ちょっと説明がたいへんだから、そういうふうに個人的に思っているということでご勘弁)。
ごくごく大ざっぱな傾向として、"z"の読みかたが北は「ズ」が、南は「ツ」が多い傾向にあるみたいではある。でも、ほんとに「大ざっぱ」なわけ。しょうがないよね。外国のひとが日本語を勉強するときに、東北弁と関西弁と標準語をぜんぶまとめて覚えるわけじゃないでしょ? それとおんなじ。「現地」にいないんだったら教科書的な「標準語」を覚えるのがいちばんいい、そういう「実用上」の理由で覚えることを少なくしていかないと、とてもじゃないけど外国語の習得はあんまりにも大変ですよね。
イタリア語の"s"を「ス」と読むか、「ズ」と濁らせるかもおんなじ。モーツァルトのオペラ"Così fan tutte"は「コシ・ファン・トゥッテ」か、それとも「コジ」か? 日本ではけっこう錯綜というか混乱していた時期が長かったみたいだけど、多くの上演で「コジ」の発音で歌われているわけだから、いまでは「コジ・ファン・トゥッテ」で定着したみたい。
"S"の場合、イタリア語では"s impura"というのがあって、こういうときはかならず濁るというのがある。Svevo(作家の名前)とかそう。これは「標準イタリア語」の教科書のさいしょのほうにかならずのっているから、しっかり理解はしておいたほうがいいと思う。まぁ、単語ごとに発音を覚えればいいだけのことなんだけど。
言語というのは「絶対」のないもので、それはフランス語でも日本語でもそう。時代や地域によってつねにいろんな「相」をみせてくれる。どれが正しいとか間違っているとかということはない。でも、外国語を学習するときには、やっぱり「正しいもの」を学ばなければならない。ただ、それが「絶対」じゃないということは頭のどこかにあったほうがいいかもしれない。言語というのはコミュニケーションの道具なんだから、偏狭な原理主義はその妨げになるだけ、「寛容」がいちばん大事なんだと思う。コトバなんて通じりゃいいのよ。ただ、じぶんの知っている発音とちがうものを聞いてそれを理解できるということは、それだけ語学習得レヴェルが高いということでもあるからなかなか大変ではある。
って言うか、まきもの屋が「コトバにうるさい」っていうのは、こういうことも含めたうえで、コトバが文化そのもののひとつの表れだと考えているから。つまり、ある「スタンダード」にたいして逸脱があったとして、それがどういう背景を持っているかが問題なわけ。背景なしの無知、無理解、うっかりミスというのはそれこそ絶対に許されないものだと思う。
なんだか農家のオサーンのBLOGらしからぬエントリがつづいてしまった。次回はできたら野菜の話題に戻したいとは思うので何卒ご容赦の程(笑。
追記:外国語を学習するときにわれわれはつい「規範」にとらわれてしまうんだけど、規範=正しい、のはいいけど、かならずしも、正しい=規範、じゃないってことは大切だと思う。