フランス・イタリア料理と地産地消
たまには、微妙なテーマに挑戦。すくなくとも、まきもの屋が農業をいとなんでいる倉渕では、このテーマは現状として実現不可能である。なにしろ、イタリア料理店もフランス料理店もないのである。高崎の市街地までいけばあるが、片道40kmくらいはある。40kmはなれた店に少量の野菜を配達するのは、コスト的にも現実的ではないし、環境問題のことをかんがえても、農協便のトラックでほかの品物といっしょに東京の市場に送ったほうがよっぽどいいんじゃないか。じっさいのトラックの走行距離をきいたわけではないが、倉渕の農協から築地市場まで、200kmあるかないかくらいである。ちなみに、安中榛名駅から築地市場駅まで鉄道でいくと130kmくらいである。もちろん、市場から使い手、消費者のもとにとどくまでに、さらに距離がかかるわけだが、物流の発達した東京であれば、たとえば大量のほかの野菜といっしょにレタスをはこぶための燃料も、排出されるCO2やNOxも、高崎市内のレストランに少量の野菜といっしょにレタスはこぶのにくらべれて、レタス1ヶあたりにすれば格段にすくないはずである(1)。
倉渕の面積は127.26km²、人口は4000人ちょっとである。ちなみに、高崎市ぜんたいだと401.01km²、34万人である。倉渕は過疎化がゆるやかに進行している典型的な中山間地なのである。こういうところでは、直売所だってなかなかうまくいかない。「地元」という範囲をひろげて、たとえば高崎市内であればいいということにしても、上に書いたような理由から、あんまり現実的ではない。けっきょくのところ、「地産地消」という耳に心地よいことばも、むなしく響くのである。「地産地消」がなりたつのは、観光地とかそれなりの「町場」だけで、倉渕みたいな「とりのこされた」辺境の地では「キレイ事をいうのもいいかげんにしてくれ」とさえ思うのである。
だいたい、イタリア料理にしてもフランス料理にしても、どれだけ地元の食材をつかえるというのか。野菜だって、ひとつの品目を周年で安定供給するのは相当に困難なのだ。ブーケガルニの材料だって揃いやしないのである。ましてや、小麦とその加工品、肉や魚介類、オリーブオイルやひまわり油、乳製品、そのほかの調味料etc...そのうちの半分でもつねに「地元」のものをつかえるのなら、その「地元」は国家として独立できるんじゃないかね。
イタリア料理もフランス料理も「異文化」なのである。だから、「地元」で食材を揃えられないのはあたりまえなのである。無理矢理に「地元」の食材をつかうと、「異文化」の軽視になりかねない。実家が農家だとかいうリストランテで、巨大化したチンゲン菜をバターで強火でソテーしたものがつけあわせにでてきたことがある。ものすごく不幸な体験だった。友人の家に夕食にまねかれたというのならまだしも、けっこうな金額を払って「イタリア料理」を食べにいったのだから。どうみても出荷できる品質にない野菜を、どうかんがえてもイタリア料理にはならないであろう組みあわせで料理したものにカネを払いにいったのではないのだ。たぶん、料理人さんのイメージとしては、ビエートラかなにかなんだろう。それなら、まだホウレンソウのほうがよかったかもしれない。
とはいえ、倉渕で「地産地消」ということじたいがおこなわれていないわけではない。いわゆる「自給的農家」もおおいし、たいていの家では家庭菜園なり自家用の野菜やらコメをつくっていたりする。あまれば近所におすそわけとなる。そういう意味では「地産地消」はりっぱにおこなわれているのだ。ついでにいうと、まきもの屋は「地産地消」それ自体に反対しているのではない。やっぱり大切なことだと考えている。ただ、まきもの屋の身のまわりの現実からすると、イタリア・フランス料理となじまないと言っているだけなのだ。
「地産地消」はスローフードとからめて語られることもおおいが、そもそも、スローフード運動というのは、地域の伝統的な食文化をたいせつにしよう、というところからはじまったんじゃないか。つまり、食材もふくめた郷土料理、地域の食文化のみなおしなのである。対極にあるのはグローバリスムの産物としてのファストフードである。日本の「ファミレス」もファストフードにふくめてもいいかもしれない。それはともかく、スローフードというのは、イタリアではイタリア料理そのものだし、日本ではとうぜん日本食なのだ。日本の食文化のなかでは、イタリア料理もフランス料理も本格的なものであればそれだけ「異文化」なのであり、そもそも概念としてのスローフードや地産地消とはなじまないものなのだ。本格的なものじゃなければいい? スパゲティ・ナポリタンとか○○のペペロンチーノなんて、もはや立派な日本固有の料理だし、そういうものが定着しているからにはそれも食文化といっていいかもしれない。でも、硬質小麦なんてつくれるところは日本にどれだけあるというのだ。乾燥パスタは「うどん粉」じゃできない。逆に、うどん粉でもなんとかなる生パスタを中心にする? 生パスタになった時点で「本格度アップ」まちがいない。それよりは「お切りこみ」のほうがいいんじゃないか? ほら、けっきょく郷土料理にもどっちゃうでしょ?
そんなわけで、「地元の食材をつかっています」とか、「実家の野菜をつかっています」なんていうレストランは警戒することにしている。「無農薬」云々は論外だ。そんなことをいうよりも、コストのゆるす範囲で高品質の食材を高度な技術で料理する店に信頼をおきたい。 ざんねんながらそういう店はなかなかないのが現実である。40kmはなれた「地元」で信頼のできる取引先をさがすよりは、やっぱり築地に送ったほうが、まきもの屋の野菜も幸せなんじゃないかと思う。
- 注1) こういう考えかたは経済効率優先のように見えるかもしれない。でも、そうではなくて、「現実的」に環境負荷というものを考えているだけのことである。それに、言いたいのは「地元」とか「地産地消」という概念のあいまいさについてだから、この一文をもってまきもの屋をプラグマティスト=功利主義者と断じないでいただきたいものである。
