穴の開いた白菜や曲がったキュウリでも減農薬野菜のほうがいい(笑

タイトルはきょうの2chのスレッドのなかから。ちなみに、「(笑」はまきもの屋がつけくわえた。さて、こういうふうに思っているひとっていまだに多いんだろうか。わかりやすいところでキュウリのはなしから。まきもの屋はキュウリは専門外だが、この程度の「毒電波」には常識で対応できる。


キュウリというのは、現状の品種のおおくは、多かれ少なかれほんのすこし(ひどくても1cmくらいがせいぜいか)曲る、逆にいうとそのくらいまっすぐにできるのがふつうである。数学的にかんぜんな直線になるというのはほとんどないと思う。たぶん、ある品種をじょうずにつくったときの出来具合というのは、一般のひとからすると「まっすぐ」なキュウリととらえられる。なにも、プラスチックの筒にはめて無理矢理まっすぐにするとか、重りをつけてやるとか、そんなことをするまでもなくキュウリというのは、きちんとした生育をしているかぎり、ほぼまっすぐな実をつけるものなのだ。

キュウリが曲っているというのは、外的な物理的要因(なにか障害物があったりとか)、植物として栄養バランスが崩れている(病気にかかっているとか、ムシの食害でダメージをうけているとか、肥料のやりかたが不適切とか)、もちろん天候や土壌水分のもんだいもあるが、そういうなんらかの条件によって、うまくできなかったといいうことである。ほとんどは技術的問題なのである。曲りの原因でいちばんのものは、肥培管理の失敗である。だから、キュウリが曲っているというのは、栽培過程でなんらかの失敗があったか、技術的未熟さがあったということを意味するのだ。

曲ったキュウリが生育においてなんらかの問題があった可能性がたかいということは、味についても、ただしく生育したキュウリと同等ということはないはずである。それくらいのことは「有機」とか「無農薬」を無根拠に信奉しているひとにだってわかるだろう。もしも、おなじ条件で栽培され、おなじときに収穫されたキュウリで曲ったものとまっすぐなもので味のちがいはない、と言いきれるひとがいるなら、そのひとは味というものにたいするセンスをお持ちでないと申しあげざるをえない。

じつは、曲ったキュウリのはなしというのは、曲っているのでもまっすぐのでも普通に流通しているものを普通のひとが普通に食べるぶんには「たいして」味のちがいはない、ということが、「たいして」というのを抜いて流布した、いわば一種の都市伝説なのだと思う。「喰えりゃ何でもいい」みたいな乱暴な言説なのだ。

もちろん、どんなにじょうずに栽培しても、100%のキュウリがほぼまっすぐということはない。いくらかは曲ったのもでてくる。それは事実だ。でもたいした量ではない。そういうのは自家用として消費するかB品として出荷されるのである。そういうのでも農薬をつかっていないほうがいいというはなしであれば、それはつまり、多少は味がおちても、農薬はすくないほうがいい、ということになるか。タイトルにつかった表現は中国製の毒ギョウザのスレッドにあったから、そういう意味でいった可能性もある。でも、おいしくない野菜なんて高いカネをだして買うのだろうか。はなはだ疑問である。あるいは、「減農薬」であればかたちや味はどうでもいい、安全がいちばんだ、ということか。だとすればあまりにも無知である。小一時間説教してやりたいくらいである。

こういうひとが○○農園の無農薬野菜、なんてものにかんたんにとびつくんだろうな。そういうひとがいるからなりたっているビジネスだし、そのことじたいはとやかく言うべきじゃないかもしれない。でも、高品質のものを出荷しようと懸命に努力している生産者のことを思うと、ため息ばかりがでてくる。そういうひとにとっては野菜の品質なんか問題じゃないのかね。低農薬とか無農薬とかいって野菜をうっている宅配業者もいるから、そういうところの品物を買えばいいだけゃないか。まきもの屋の商品じゃないから、品質については保証のかぎりではないけど。

かんけいないが、江戸時代までは、キュウリは「下(げ)のもの」とされて、あんまり食べられなかったそうだ。白瓜が主流だったらしい。いわゆる食文化の変遷というやつである。

ハクサイのはなしは結球野菜の生育と味の問題に関連するから、またべつの機会に。

Posted by makimonoya on 04 February, 2008

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