"Oi"のこと(語学ネタ注意)

ひさびさの語学ネタです。しかもちょっと専門的というか、初級フランス語のクラスじゃほとんど話題にしないことだと思いますんで、知識のひけらかしということになりましょうか。

タイトルですけど、"oie"のスペルミスじゃありません。いえ、"oie"もあとで例にだしますけど。

ところで、先日、Anonymus 4, Love's Illusion -- Music from the Montpellier Codex 13th-Century, Harmonia mundi, 1994.というCDをひっぱりだして聴いていたんです。

13世紀フランスの世俗歌曲で、たとえばこんな歌詞です。

Puisque bele dame m'eime,
destourber ne m'i doit nus;

すごいですよね。とてもじゃないけどフランス語とは思えないくらいです。さすがに対訳がないとわかりません(1)。なかなか不親切なCDで、英訳と独訳しかついてないんですよ。現代フランス語はナシ(泣。英訳は"Since a beautifl woman loves me, no one should trouble my peace."

で、ですね、2行目の"doit"はカタカナで「ドゥエ」みたいな発音なんです。おわかりでしょうか? "Oi"の綴りは現代フランス語だと「ォワ」のように発音することになっています。発音記号で書くと[wa]です。"Trois"(トロワ=3)とか、"roi"(ロワ=王)とか。ところがですね、

むかしは"oi"の綴りは「エ」と読まれていたんですよ。

フランス語の時制に「半過去」ってありますよね。"Il mangeait"(イルマンジェ=彼は食べる)みたいな"ai"が語尾にはいる時制です。この"ai"は「エ」と発音しますね。これ、むかしは"oi"の綴りだったんですよ。たとえば16世紀、ラブレーの『ガルガンチュワ(2)』冒頭。

A ceste fin, avoit ordinairement bonne munition de jambons de Magence et de Baionne, force langues de beuf fumées, abondance de andouilles en la saison et beuf sallé à la moustarde, renfort de boutargues, provision de saulcisses, non de Bouloigne (car il craignoit ly boucon de Lombard), mais de Bigorre, de Lonquaulnay, de la Brene et de Rouargue.

こんなに長々と引用する必要ないんですけど、食べ物のハナシなんでサービスしときます(16世紀にバイヨヌのジャンボンとか、ボローニャじゃなくてビゴールのソシスなんて言ってるんですから、うれしくなっちゃいますよね)。で、さいしょから4つめの単語"avoit"ですけど、これ、動詞"avoir"の半過去。いまだったら"avait"と綴りまして、「アヴェ」のように読みます。もちろん、"avoit"もおんなじように読むことになってます。この、半過去の語尾の"oi"という綴りは18世紀まではあたりまえのように使われていました。

さて、冒頭の"oie"(ォワ=鵞鳥)ですけど、手許のLe Petit Robert 1という辞書によりますと、13世紀にこの綴りになったようで、12世紀だと"oe"または"oue"だったそうです。「ォエ」あるいは「ゥエ」みたいな発音だったようです。さきほどの、むかしの"oi"の読みかたを考えると、"oie"も 「ゥエ」みたいな発音だったと考えられますね。

鵞鳥をだしたらフォワグラに触れないわけにはまいりません。問題は"foie"ですけど、12世紀には"fedie"または"feie"だったそうです。後者はとうぜん「フェ」みたいな発音になりますね。さらに遡って8世紀には"figado"という綴りだったと。おっと、何かに似てません? そう、イタリア語の"fegato"そっくりですね。語源がまったくおんなじだということがよくわかります。ちなみにその語源、もともとは「イチジク」いまのフランス語だと"figue"(フィグ)ですけどラテン語の"ficus"です。「イチジクをたんまり食べさせて太らせた鵞鳥のレバ」(iecur ficatum)、ということらしいですね。そう、ラテン語の表現にあるくらい、フォワグラってのは古ーい食べ物なんですねぇ。まったく、人間の欲望というのは底知れずおそろしいものです(笑。そうそう、生のイチジクをイメージしちゃうと「どうしてそんなんでフォワグラができるの?」ってなっちゃうでしょうけど、乾燥イチジクというはなしですんで、念のため。乾燥イチジク、おいしいですよね。

初級フランス語で「王」は"roi"(ロワ)、王妃は"reine"(レヌ)と習うと思うんですけど、「男女で対応してないじゃないかゴルア!」とお思いになりませんでしたか? じつは"roi"はその昔は"rei"とか、"roy"あるいは"réなんて綴りもあったと記憶していますが(ごめんなさい、ちょっとうろ覚えです)、ようするに「レ」とか「ㇽエ」みたいな発音だったんですよ。「レ」と「レヌ」だとうまく対応しますよね。それが時の流れとともにいまみたいにちょっと似ていない語に分かれちゃったんです。いつごろ「ロワ」みたく発音するようになったのかは知りません。ご興味がおありのむきはご自分でお調べくださいな。ちなみに、語源はラテン語の"rex"。あの有名な"T-Rex"の"rex"ですね。

ちょっと今日のはムズかしすぎましたか…。まぁ、テストには出ないと思うんで安心してくださいな。

  • 注1) いえ、"nus"が否定の"personne"の意味だとわかってさえいれば、あとは音から意味がとれるハズなんですけど。
  • 注2) コレ、「ガルアンチュア」と表記していたんですが、渡辺一夫訳だと「ワ」なんですよね。個人的には「ア」のほうが好きな気もするんですけど、ラブレーといえばやっぱり渡辺一夫訳は参考にせざるを得ないわけですから、長いものには巻かれたほうがいいですね。

BLOGで「レシピ」を書かないことについて

ときおり「おうちフレンチ」「おうちイタリアン」のエントリを書いてますけど、ここしばらくはいわゆる「レシピ」は書いておりません。いろいろ思うところはあるんですよ、これでも。

ひとつは、このBLOGをお読みくださっているのが流通業者さんと料理人さんばかりということです。ほかの業種の方もいらっしゃるようですけど、コチラで把握しているかぎり、みなさん「食」にかかわる職業の方ばかり。そう、「プロのためのサイト」になっちゃってるんですよ…。

レシピサイトとかレシピブログが流行なのは知っています。そこから出版に至るケースなんかあると知ったら、そりゃ、ちょっとはイロケもでなくはないんですけど、立場というか主義というか、プロの料理人さんの仕事を尊重したいワケなんです。もちろん、料理人さんにもいろいろいらっしゃって、まきもの屋の商品なんか即座に素晴しい料理になさる方から、「ナニそれ、どうやって食べるの?」というような方までイロイロです。でもプロはプロ、素人は素人なんで、釈迦に説法なんてトンデモナイと謙遜せざるを得ないんですよ。所詮は素人料理なんですから。

このBLOGの読者が一般の野菜好きの方々ばかりだったら、ちょっとは違うかもしれません。でも、やっぱり素人はどこまでいっても素人なんですよね。ましてや、このBLOGをご高覧くださっている諸賢がプロのみなさんじゃぁ、おかしなイロケは厳禁でしょう。

だから、某カリスマ6次産業経営者氏とか、注目度急上昇中のT氏みたいに、お手製料理のレシピをサラす気はないんですよ。もっとも、6次産業経営者氏は早々にレシピは商品だということにお気づきになられたようで、WEBではなく雑誌とかご高著だけに限定なさっているみたいですね。

異文化と接するうえで、相手にたいする「尊敬」の念をわすれてはいけないと思っています。「尊敬」、カタカナでいうとソンケ…じゃなくてリスペクト。これは大事なことです。これは、ジャンルの異なる仕事をなさっている方にたいしても同様です。自分には真似のできない仕事なんですから。

そう「マネできない」というのが重要なポイントですよね。「もっとおいしくなるハズ」と古今の原書を読みあさり、技術を磨き、いい素材を探し、お客様の嗜好や体調まで考慮し、調理はもとより盛り付け、提供のタイミングまで心を尽す。とてもじゃないけど「おうちフレンチ(イタリアン)」じゃマネできませんがな。

辻静雄はレシピを音楽の「楽譜」にたとえました。実際の調理は「演奏」ということになりますね。みなさんお読みでしょうから詳述しません。で、たいして違いませんけど、ちょっと、概念をスライドさせていただきまして、「レシピは塗り絵の輪郭線である」という珍説をたてたいと思います。みなさんご幼少のみぎにりに愉しまれた既製品の「塗り絵」のことです。おなじものから出発して、どの子も似たような色づかいをするんだけど、やっぱり個性がはっきり出る。そういうものなんですよね。

まるっきりおんなじレシピでつくっても、作り手がちがえば結果は相当に異なります。これは大事なことですよね。なのに、「自分らしさ」でしょうか、いろんな制約のせいでしょうか、無知のせいでしょうか、古典的な、オーソドックスなはずのものが、不思議と「創作料理」になっちゃってる現実ってあるんですよね。

クラシックでもなんでも、まるっきりレシピ通りに作っても、やっぱり作り手の「自分らしさ」はでるはずです。それを「解釈」というんですよ。「解釈」フランス語だと"interprétation"ですけど、この名詞のモトになった動詞"interpéter"からの派生語に"interpète"という名詞があります。「通訳」のことですね。解釈ってのは本来的には「代弁する」ことなんですよ。文学テクストの解釈なんか、ひとつの作品にたいして無数にあるという現実ですから、読み手の数だけ解釈は異なる、なんて言われることもありますけど、タテマエとしては正解はひとつじゃないといかんのです(あくまでもタテマエですけどね)。よく、古典料理を「解釈しなおす」と言いますけど、あれは「読みかえ」、換骨奪胎、翻案というべきものと思うんですがいかがでしょうか?

まぁ、こんなこと書いても、たいていの方には当然至極というところでしょうし、このエントリ自体の存在理由はあんまりないかもしれませんが。

そうそう、よく知られているように、現行の著作権法だとレシピそれ自体の権利保護はされません。文学でもストーリーというかプロットそのものは著作権の対象外なのとおなじですね。著作権というのは「表現」にかかってくるんで。なので、オリジナルのレシピを公開するけどマネされたくないという場合にはパテント(特許ですな)をとるのがよろしいんでしょうね。料理名も商標登録するとなお良しでしょうか。

料理雑誌を拝見していると、当然のようにレシピが載っているわけで、なんとも太っ腹だなぁと感心することがあります。このへんのハナシも辻静雄が書いていたと思いますけど、ようするに「真似できるもんなら真似してみやがれ、コッチのほうが上にきまってる」という自信の表れらしいですね。いい意味での職人気質というんでしょうか。心の狭いまきもの屋にはとてもできない発想です。

チポロット、セミドライにしたプリンチペ・ボルゲーゼ(冷凍)、カスベ

はじめにおことわりさせていただきますが、チポロットの出荷はまだです。生育遅れとなっております。。写真でおわかりのように、まるっきり太っておりません。事前に味見という次第ですので。

いちおう「おうちイタリアン」ということになりますか。手順としては、カスベをオリーブオイルでポワレして、チポロットと水で軽くもどしておいたトマトを入れてすこし煮こむ。それだけです。でも、けっこうウマーなんですよ、これが。家人大喜びです。ハーブをくわえたらもっとよかったかもしれないんですけど、チポロットの香りの評価が問題なんで、今回は却下しました。

やや煮詰め気味に仕上げたので、うまい具合にソースになっています。ただ、カスベの「プルプル」もちょっとはそれに溶けだしちゃってるんで、ムニエールにしたときみたいな具合にはいかないのがちょっと残念なところでしょうか。

こういう、あんまりにも手抜きというか単純な調理のとき、プリンチペ・ボルゲーゼは真価を発揮するといいましょうか、いわゆるプチトマトの自家製ドライなんかまるっきりメじゃありません。まったく別モノ! と自画自賛しちゃいますね。

魚料理がイタリア風でしたので、プリモも用意しました。「締めパスタ」じゃございません。ちゃんと魚のまえに食べました。ご覧のとおり、スパゲッティ・アッラ・カルボナーラ。全卵バージョンです。全卵でやるのは難しいから好きじゃないんですけど、卵黄だけだとショートパスタじゃないとうまくいかないし、それに、卵白が余ると困っちゃうんですよ。しょうがないから、溶きほぐした全卵にペコリーノとパスタの茹で汁をくわえてエマルジョン化させて、なおかつあわせるときにフライパンで火にかけながらあおっちゃってます。フライパンの鍋肌の熱でちょっとだけ「炒り玉子」みたくなっちゃうんですが、しょうがありませんね。ボウルであわせる方法は、火口からの輻射熱で暑くなった厨房じゃないと難しいんでしょう。おうちイタリアンじゃシャバシャバの玉子かけご飯みたくなっちゃいます。まぁ、ウデということもあるんでしょうけど。そうそう、グアンチャーレでもパンチェッタでもなくて、イノシシの脂身の塩漬なんで、ちょっと風味はきつめです。

チポロットの味見の結果? どうぞ出荷再開をたのしみにお待ちください(ニヤリ。

四半世紀かぁ…

この曲を知ったのはフェルナンド・ソラナスの映画『タンゴ -- ガルデルの亡命』。挿入歌につかわれておりました。この映画、あらためてネットで調べたら1985年の作品、もう四半世紀も前なんですね。音楽は歌以外はアストル・ピアソラ。この映画の日本公開からしばらくして、ピアソラがミルバとともに来日公演をしまして、五反田まで聴きにいきました。その後、ピアソラが亡くなってから、97年か98年にミルバが来日公演、ピアソラ+ミルバのときとほぼおなじプログラムでした。こちらは渋谷のBUNKAMURAで聴いたのを思いだします。

一点豪華主義のスゝメ

21日にようやく「月刊 専門料理」の最新号が届きまして(この雑誌、毎月19日発売なんですよね、定期購読だと19日か20日には届くことになってるんですが、このところ2ヶ月つづけてチョイとばかり遅配なんですよ)、早速ページを繰ったわけです。すると、先日このBLOGで悪口雑言、誹謗中傷をさんざっぱら展開しちゃいました「○○種の野菜」的なお皿が妙に目につくんですよ。

で、批判ばっかりじゃよろしくないと思ったわけです。ここはひとつ建設的に、ちゃんとコチラからもご提案しないとバランスが悪いというか、反感ばっかり買いかねません。そうじゃなくたって、料理人諸氏の怒り心頭に逹っするようなことをしょっちゅう書いてるんですから。

ストレートに「費用対効果」という視点からはじめましょうか。原価がおなじ、たとえば1皿に100円分のお野菜をのせるとしましょうか。で、10円のものを10種類盛りこむのと、100円のものひとつのせるのと、どちらがいいか、そういうハナシです。

いろんな考えかたがありますし、業態ごと、客層とかいろんな要素がありますから、いちがいにどちらがいいとは言えないでしょうね。ただ、雑誌1冊にこれだけ「○○種の野菜」という、いってみれば「多品目主義」みたいなのがでていると、もはやとりたてて目をひくものでもなくなってきている可能性もありますよね。そういうふうな状況になっているとしたら、野菜の「多品目主義」というのがお客様にたいしてどれだけ訴求力をもつか、考えたほうがいいかもしれません。

野菜料理としては、もうとっくにシーズンがはじまっていますがホワイトアスパラガス。これなんかシンプルだけど訴求力がけっこうあるもののひとつですよね。やや陳腐化したキライもあるかもしれませんが、季節感のある数すくない素材のひとつですから、お客様の食指をうごかすにはじゅうぶんな力があるでしょう。あるいはあの有名な「ベトラーヴの塩竈焼き」。あんまりにもシンプルすぎて、なかなかお店ではやりにくいかもしれませんね。調理に時間がかかるというものすごい欠点もあります。でも、インパクトはありますよね。

ひとつの野菜を主役にするなら、結果としてどうかはべつとして、相当数の料理を創造できますよね。これにたいして「○○種類の野菜」というプレートはどんな素材をもちいようと、やっぱり「○○種類の野菜」という料理になっちゃいます。数あるレパートリーのなかのひとつとしてはアリでしょうけど、けっきょくのところ「野菜サラダ」あるいは「温野菜サラダ」の看板をちょっとすげかえただけのものになりかねませんから、これだけ流行っちゃうと他店との差別化がタイヘンかもしれませんね。

「つけあわせ」の場合ですと、ようするに副素材なわけですけど、これを絞りこむということは、主素材との関係が考えやすくなりますよね。つけあわせの理想はただオマケでくっついてるんじゃなくて、皿のうえで主素材、その調理法、ソースと最良の組みあわせで存在しているということ、ひっくりかえしていうと、この料理のつけあわせはこの野菜と決めている! みたいなものでしょうか。「つけあわせおいしい」んじゃなくて、つけあわせをふくめて「一皿の料理ぜんたいがおいしい」というのがいいんだと思います。

そんなことを考えると、あれやこれやと複数種の野菜を添えるよりは、1種類かせいぜい2種類くらいに絞りこんだほうが、皿のうえのロジックは構築しやすいですよね。そのほうが調理の精度があがるということも期待できるでしょう。

イタリア野菜の陥穽

西洋野菜のなかでもイタリアものは目をひくというか、とかく注目されやすいですよね。そのこと自体はまことに結構なことなんですけど、どうも発想というか理解が「おもしろ野菜」的な印象がありまして、なんだかなぁ、という感じもあります。

「おもしろ野菜」的発想、と申しますのは、たんに「イタリア料理で使われる」というところ以上に踏みこんで需要を捉えていないところなんです。そう、十把一絡げに「イタリア料理」なんですから。これってかなり安易な認識なんですよね。

ひとくちに「イタリア料理」と言っても、北部と南部ではかなり違うことを知っているのは、プロの方々をのぞくと、外食好き、イタリア料理好きなひとたちだけですね。一般的にはやっぱり「イタリア料理はイタリア料理」という認識だと思います。ましてや、個別の食材の地域性を意識するなんて、かなりのマニアだけでしょうね。

だから、たとえばプンタとタルディーボがおなじ皿のうえにのっていたとして、違和感をもつなんて人は、一般にはまずいないハズです。いえ、ホントウのところは、いまどきのイタリアでもこの組みあわせはあり得ないとはいいきれないんですけどね(IGPモノに代表される特産野菜ってのは都市部であれば全国レヴェルで流通しちゃってますから)。でも、ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾ(=タルディーボ)はヴェネトの野菜、プンタレッレはローマですから、この2種のチコリエがいっしょにあるというのは、やっぱり違和感がなきゃおかしいんですよ。すくなくともプロの方々はそうですよね。

専門誌を読んでいると、イタリア料理とフランス料理では圧倒的にフランスのほうが多いですよね。じっさい、調理師学校の学科構成にしたって、「フランス文学科イタリア分科」みたいな感じのところが多いでしょう。ホテルのダイニングにしろ、街場のレストランにしろ、ある程度の専門性があるお店でいえば、やっぱりフランス料理のほうが数は多いと思います。

ところがですね、統計上は、あるいはクチコミサイトなんかで見ると、イタリア料理店のほうが数が多いことになっています。おわかりのようにスパゲティー屋さん、ピザ屋さんが含まれちゃってるからなんですよ。いえ、スパゲッティやピッツァがイタリア料理じゃないなんて申しあげるつもりはございません。ただね、看板に緑、白、赤を配色しているお店であればどこでも専門性の高いイタリア野菜を使ってもらえるとはかぎらない、そういうことを申しあげたいんですよ。

もちろん、フランス料理でもイタリア野菜は使ってもらえます。というか、イタリア野菜の実際の需要の多くはフランス料理だったりします。これはけっこう重要なポイントです。そもそも伝統的なフランス料理の文脈というかロジックに組みこまれていない食材というのは、悪い言いかたをすれば、しばしば一過性の、目新しいだけのものだったりするんですよ。そういうのって、意味あいとしては、レストランのお客さんへの「特別な食材をつかっている」というアピールが主だったりしますから、流行が去ってしまうと使ってもらえなくなる可能性もあるんです。

具体的に挙げちゃいましょうか。ひところフランス料理でけっこうもてはやされたフィコイド・グラシアル(バラフ、アイスプラント)なんかいい例じゃないかと。もともとフランスの野菜じゃなくて、南アフリカ原産ですけど、フランスの有名シェフがお使いになられたのをきっかけに注目されまして、日本では佐賀大学が栽培方法を確立して広まりました。いまではどこのスーパーでも安売りしてるくらい生産量が増えましたけど、この1年くらいの料理専門誌で使用例を探すのは至難の業でしょう。その前はあんなにもてはやされていたのにねぇ。

イタリア料理にハナシをもどしますと、そこそこ高価格のお店でも、野菜にかんしては和モノというか日本の一般野菜をベースになさっているところは非常に多いんです。が、このことをして、イタリア野菜が手に入らないからだ、国産化すれば使ってもらえる、と思うのは浅薄です。イマドキ、手にはいらない西洋野菜なんてないんですよ。国産がなくても、ほとんどのものは輸入されていますから。有名シェフのなかには、徹底的に輸入野菜にこだわる方もいらっしゃるんです。でも、おそらく多くのお店ではそうはならない。なぜだと思います?

なにか「新野菜」を仕掛けてくるときって、生産サイド、といっても農家よりは農協や公的機関の農業関連部署が主になることが多いようですよね。とくにM県は熱心にやっておられる(わが群馬県はそういうことはいっさい興味がないんでしょうかねぇ。って言うか、まきもの屋にとってはM県はすくなからず脅威です)。ぜひともご留意なさっていただきたいのは、その品目、商品を「専門野菜」と「一般野菜」のどちらで売りたいか、というところです。専門野菜であれば、現状の輸入をリプレイスするのが至上命題になりますね。一般野菜としての普及をめざすのであれば、低コスト化と利用法をふくめた啓発、需要開拓が重要になります。で、このふたつ、そもそも両立しにくいものなんですよ。だいたい、専門と一般って対立概念ですからね。

ですから、イタリア野菜の産地化の取り組みなんてよく耳にしますけど、いろいろ落とし穴といいますか、リスクはありますんで、生産者が「ダマされた」と思わないようにやっていただきたいものです。旗を振る団体職員さんや公務員さんはリスクを負わないでいいから気楽でしょうけど、生産者は生活がかかっていますから。まぁ、安易に甘言にのっちゃうほうにも問題はありますから、当事者はいいんですけど、「陳腐化」による価格の暴落はよそにも迷惑をかける可能性があるってのをお忘れなく。

フィノッキオの種子

お世話になっているタネ屋さんから試作用にいただいた、トキタ種苗さんの「フィノッキオ」の種子です。まだ「予告」の段階らしく、袋のウラに非売品と表示してありますね。せっかくなのでさらさせていただきます。以下、ちょっとキツいことも申しあげますが、誹謗中傷等の意図はまったくございませんので、関係各位におかれては、怒らないでくださいね。

ネット上にある写真や、種袋の生育日数の表示等から、もとになった品種は"Ch..."あたりじゃないかと推測していますがいかがでしょう? "M..."とか"N..."の系統とはちょっと見ためもちがいますから、そのなかから早生性のあるものを選抜したというのもちょっと考えにくいんで。

推測が正しいかどうかはまったく別として、おなじ生育日数の品種を試したことがあるんで、その経験を申しあげますね。まきもの屋が試した品種についていえば、家庭菜園用としてはいいでしょう。でもプロ向けとしてはイマイチでした。輸入モノとおなじくらいのボリュームにしようとすると「割れ」がでます。というか、そもそもそんなボリューム感は期待できません。それに、収穫適期がかなりシビアで耐寒性も晩生品種とくらべれば劣りますから、そのあたりも問題になるでしょうね。

いえ、今回いただいた品種はまだ蒔いてもいないからわかりません(推測どおりならおなじ系統ということになりますけど)。おなじ生育日数のイタリアでとてーもポピュラーな品種を栽培した感想なんです。

現状では、フェンネルの需給はわりと飽和状態にちかいらしいんで、早生品種で青果のマーケットに投入しても、ただ「価格破壊」をして終っちゃう可能性もありますね。試作用の種子をいただいておいてこんなことを申しあげるのもナンですが、生産者を煽るのはもうちょっと待ったほうがよろしいかと。青果のばあいは輸入をリプレイスするだけの品質を狙えないとなかなかキビしいと思いますね。

とはいえ、国内の種苗会社から、ちゃんとした肥大茎部ができる品種が手にはいるようになるというのはまことに慶賀すべきことです。これまで、ヒドいもんでしたから。

上で申しあげたように、早生系は家庭菜園用としてはとてもいいと思いますので、ここはひとつ晩生品種で耐寒性のつよいものをプロ用としてぜひぜひ育種なさっていただきたいものです。

N.B. 直接ブリーダーさんにお尋ねする機会がありましたが、もとになった品種は"Ch..."じゃないそうです。思いっきり予想がハズレました。

圃場視察は有料にしてみる? (笑

「有料」てのはもちろん冗談ですが。30分なり1時間なり時間を割いてご案内して、その場で試食してもらったりもするんです。いいお取引につながればいいんでしょうけど、かならずしもそうじゃないんですよね。売れりゃなんでもいいって考えじゃないもんで。

お取引がない状態で、圃場を見せろというのは、「アンタの店で食事をしようか検討中だが、ついては事前に厨房を見せていただきたい」というのとおんなじことなんです。で、仕込み中の料理の試食までさせろ、と。

それを受けちゃうんですから、どんだけ農家ってのはお人好しなんでしょう。

技術的なことなんかで同業者つまり商売敵の農家に知られたくないものってのはありますけど、お取引先様に隠さなければならないようなことは何もありません。ぜんぶオープンにできます。むしろ、生産現場を見ていただきたいという気持ちはつよいです。が、時間的にも負担になることですので、よい結果が期待できない場合はご遠慮いただきたいと思います。

というワケで、圃場視察は既にお取引があるか、築地等を介してまきもの屋の商品をお使いくださっている方に限らせていただきます。取引をご検討くださっておられるレストラン様におかれましては、事前に築地市場等でご入手いただき、品質評価なさったうえでご連絡ください。

ついでに申しあげますと、「使ってやる」というような態度の方とのお取引はご遠慮させていただいております。使っていただかないで結構です。ビジネスはつねに対等の関係であるべき、というのがポリシーですんで。

料理人さんにもいろんな方がいらっしゃって、知的でディースントな方から、典型的なDQNまで、幅ひろく、みなさん個性ゆたかでいらっしゃることはよく存じております。ですから、一度や二度、不快なことがあったからって、こういうことを申しあげるのは過剰反応だということもわかっております。

でも、しょうがないんですよ、どうかご勘弁ください。

文化に優劣はないんよね

いささか、いや、かなーり抽象的なハナシでごめんなさい。野菜のはなしも料理のはなしもでてきません。だから、もちろん読まずにスルーしちゃって結構です。読んでください、なんてお願いするつもりは毛頭ございません。

フランス料理、イタリア料理のことを「異国の食文化」だから「きちんと理解すべき」なんてよく申しあげております。でも、誤解していただきたくないんですが、なにもとりたててムズかしいものでもないし、ましてや高等なものじゃございません。たんに、現代の日本で生れ育った日本人にとって未知の、あるいは誤解しやすい要素がたくさんあるから、そういうのを理解するのは大切だ、と申しているだけなんです。

フランス料理がイチバン! とか、イタリア料理が最高! なんてのは個人の好き嫌いとしてはOKでしょうけど、そういうことを公に言うのはあんまりスマートじゃないというか、クレバーじゃない印象ですよね。じっさい、昨今はそういうご仁はさほど多くはないと思います。

でも、昔はけっこうあったんですよ。俳句を欧米の詩とくらべて低級だときめつけたり、漢字カナまじりの表記は文明的じゃないからローマ字表記にすべきだ、なんて論調がかなり力をもっていた時代があったと聞いております。

いまでも、多少はそういう意識ってのこってるんでしょうね。「オシャレなフレンチ」とか、腹立たしい表現ですが「オシャレな西洋野菜」とか。こういうときの「オシャレ」って、洗練されていて素敵な、上等のものってニュアンスでしょうか。でも、「オシャレな鮨」とか「オシャレな茶懐石」とはあまり言いませんよね。鮨も茶懐石も洗練されていて素敵な、上等の食文化ですけど。

いまヨーロッパでは、日本文化ってのは「オシャレ」なものらしいです。もっとも、上のパラグラフでつかったような意味とはちょっと違って、たんに「カッコイイ」とか「自分たちと違っていることが素敵」といったニュアンスだと思います。いや、フランスなんかですと、マンガの影響もあって、メンタリティのうえで「自分たちと違っている」という意識はあんまりないかもしれません。かなり生活のなかにアジアティックなものがはいりこんでいるらしいんで。ただ、やっぱりエキゾティックなものではあると思います。

えー、このエキゾティズム=異国趣味なる概念ですけど、近世以降のフランスでの中国文化や日本文化の受容とかブームといった比較文化史的な問題では大切なキーワードになります。たとえば、19世紀末から20世紀はじめにかけての美術界におけるジャポニスムなんてのがそうです。いえ、ジャポニスムがたんなる異国趣味だったというのではありません。異国趣味というのはこれを理解するうえで大切なキーワードだと申しているのです。

ハナシが脱線しちゃいましたが、ヨーロッパ文化は上等な立派なもので、自分たちの日本文化は低級な、恥ずかしいものだ、なんて考えは、はっきり申しあげてかなりおバカチンです。文化の価値に軽重はありません。価値は等価なんです。レヴィ・ストロースが何十年も前に喝破してくれています。ただ、違いは厳然としてある。だから、いいとか悪いとかまったく別問題として、違うもの、知らないものはわからない。そのまま放置するのか、知り、理解しようとするのか、そういうことなんです。

差し障りがあるかもしれませんけど、ハッキリ書いちゃいますね。料理でいいますと、「皿のうえにちりばめられたエスプリ」なんて表現をみると、なんとも背中がかゆくなっちゃうんですよね。まぁ、それはいいんですけど、この語を好んでお使いになられる方々は、いま申しあげているような 文化の等価性みたいなことってあんまりご理解なさっていないんじゃないかな、って気がしております。

ついでに「エスプリ」という日本語の定義を家人が「新解さん」で調べたところ「(機知に富んだ)精神(の働き)」だそうです。うーん、どうなんでしょ? もしこの語をお使いになるのがお好きでしたら、いちどLe Petit Robert 1での定義くらいは目をとおしておくことをおすすめしたいですね。たぶんこういう意味でお使いになりたいんでしょ?

Aptitude, disposition particulière de l'intelligence / Qualité, valeur intellectuelle / Vivacité piquante de l'esprit; ingéniosité dans la façon de concevoir et d'exposer qqch.

さいごのが、いわゆる「エスプリに富んだ会話」みたいな意味ですかね。

でもね、この単語、そもそもが「父と子と精霊」の「精霊」の意味であり、『法の精神』の「精神」の意味なんですよね。英語の"spirit"ドイツ語の"Geist"にあたりますね。「ポルターガイスト」の「ガイスト」です。

そんなこともふまえて復習しますと、「皿のうえにちりばめられたエスプリ」ってのはイヤですねぇ。イメージしてみてくださいよ。精霊って擬人化されたり、天使と同一視されることがあるんですけど、胴のない芽キャベツくらいの大きさのQPちゃんの頭に羽のはえたのが料理に散らしてある(1)…。そんな料理食べたくないですよ。

ちょっとわかりにくかったですかねぇ。そのうち書きなおすか、稿をあらためますんで、ご勘弁くださいな。

  • 注1) QPちゃんって、ホントは首の下というか肩甲骨のあたりというか、ちいさな羽があるんですよね

文芸大食

このところぽつぽつとリヨン料理について書かせていただきましたが、コレ、はっきり申しあげて流行りだからです。もちろん、ポリシーをもってリヨン郷土料理を看板に掲げていらっしゃるお店は流行なんてあまり関係ないと思うんですが、とくに地方料理、郷土料理といったことも謳わない、あんまりいい表現じゃありませんが「ごくふつうの」ビストロさんでもリヨン風サラダなどがメニューオンしていたりといった状況ですから、これを流行と呼ばずして何と申せばいいでしょう。

で、群馬の山奥から眺めておりまして、その流行がやや飽和しかかってきたんじゃないか、こういうタイミングで「より本格的」なリヨン料理を素材のレヴェルからお考えになられるお店も増えていらっしゃるんじゃないか。そんなことを思いまして、たとえばシコレ・フリゼ(1)、とかリヨン種のブレットの話題なんぞちょっと書いてみたわけです。ようするに商売上の下心みたいなものですな。で、自分もすっかりリヨン料理な気分になっちゃってタブリエ・ド・サプールに挑戦してみたり…。

が、まきもの屋はガール・ド・リヨン(2)は何度も利用しましたが、リヨン=ペラシュで降りたことは一度もございません。というワケのわからん冗談を以前に書いた記憶がありますけど、ようするにリヨンに行ったことがないんですよ。みなさんご存知のように、ガール・ド・リヨンはパリにある駅でして、リヨンにある駅はリヨン=ペラシュという名前なんですよね。

そんなわけで、リヨン料理についてはよく知らんのです。そう、美食の都リヨンを知らんのです(泣。

じゃあ、郷土料理なら何を知っているかって? 知っているというほどのことはないんですが、トゥーレーヌの料理には親しみを感じております。ワインはシノンの赤が好きですし、川魚ならブロシェよりはサンドルやウナギになじみがあるわけです。有名な料理ですと、ウナギの赤ワイン煮とかですね。夏にトゥーレーヌに行くと魚料理といえばサンドルばっかりのような印象をうけます。肉料理だとやっぱり豚肉のリエットですかね。これは好きでたまーに「おうちフレンチ」します。

リエットといえば、19世紀の文豪バルザックの小説『谷間の百合』の一節が有名です。かんたんに申しあげると、リエットがいかに魅力的な料理かということを延々1ページ以上にわたって滔々と語るんです。ちょっと古い本ですが、辻静雄編著『フランス料理の本 1 オードヴル・スープ』講談社、1981、p.30.で紹介されてます。フランス語の原文はネットで読めますし、日本語訳も本屋さんで入手できると思います。

いまどきはパンにつけるバターのかわりにリエットを突き出しのように出されるお店も多いようですんで、サーヴィスの方がこういうハナシをちょっと頭に入れておかれるのもよろしいかと。

バルザックといえば食にかんする逸話は数知れません。なにしろデュマ、ブリヤ=サヴァラン、ロッシーニの同時代人なんです。そのバルザックの故郷がトゥーレーヌなんですよ。

トゥーレーヌのシノンという町の郊外に生まれた16世紀の作家(本業は医者)フランソワ・ラブレーも食という点では忘れることのできない存在です。主著『ガルガンチュワとパンタグリュエル』をお読みいただくとおわかりのとおり、フランスで「内蔵料理」がかくも好まれるその文化的源流といったものが、これでもかというくらいふんだんに描かれております。

いまどきは文学なんて流行らんのでしょうけど、フランス料理を異国の食「文化」ととらえるのであれば、やっぱり無視できないと思うんですがいかがでしょうか。

ところで、タイトルの「文芸大食」ですけど、みなさんご存知のように、「舌が肥えているひと」のことをフランス語では"gourmet"とはあんまりいいませんで、"gourmand"と言いますよね。この"gourmand"はそもそも「大喰らい」の意ですよね。あるいは"gastronomie"、この語はギリシア語起源ですけど、これも「胃」とか「消化」を意味する"gastro"に「学」をあらわす接尾語がついて成立した語だというのは有名なハナシです。ようするに、フランス語ですと、こういった語は「おいしいものをチミチミ食べる」というよりは、いまどきの表現をつかえば「ガッツリ食う」感じなんですよね。

で、ウチではトゥーレーヌのことを勝手に「文芸大食の地」と呼んでいるわけです。この表現、家人のオリジナルらしいので、再利用はご遠慮くださいね(笑。

  • 注1) リヨン風サラダの話題でどうして"pissenlit"じゃなくシコレ・フリゼに言及したか書いておくべきでしょうな。かんたんに申しあげると、いまのところウチで栽培する予定がないからです。そのときの本文でも「これが本式」とか「正統」という言いかたはしていないつもりですんで。なにしろこのエントリで申しあげているようにリヨン料理については「あまり知らん」のです。それに、安易なダイヨウはいけませんが、絶対というのもないんじゃないかと。読みなおしてみると意図的なミスリードみたいにも思えるんでちょっと反省してますが、あえて放置しておきます。
  • 注2) 東京にそういう名前のレストランさんがあるようですが、ここで話題にしているのはパリの駅です。念のため。
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