バカネタである。「ラーメンをすすったら怒られました」。
ラーメンの食べかたについての是非はともかくとして、「友人」に「マナー違反」と言われてその場はだまってひきさがり、あとでヨソで自信なさげに云々することがなんともなぁ、である。例によって「釣り」なのかねぇ。そもそも、自分なりに言い分があるなら、どうしてその「友人」ときっちり議論しないかね。この程度の議論もできない相手を「友人」とよべるのかね?
この数年は似たような話題を目にすることが多いから、すくなくとも食事をめぐる珍説は増殖しているのだろう。スパゲティーを
箸で食べることの是非とか、スプーンをつかうのがどうだとか…。好きなように食べればいいじゃん。あきれて物も言えないが、スイーツ(笑)のみなさんもまきもの屋の言うことなんて難しくって相手にしてくれないだろうからどうでもいい。
どうでもいいんだが、そもそもロングパスタだってイタリアで「手づかみ」で食べていた時代もあるんだよね。つーか、いまみたいな使いかたをするフォークが普及したのが18世紀以降でしょ?
フランスにフォークがもたらされたのは16世紀。このBLOGの読者諸賢はご承知のとおり、カトリーヌ・ド・メディシスのお輿入れにともなってのことといわれている。それまではどうしていたかって、ナイフだけ、あとは手づかみですな。王様の主宰する宴会でそうなんだもん。
あと、スイーツ(笑)のみなさんは「おとりわけ」がお好きで、しかも「取り皿」におとりわけして各々が食べるというのを「マナー」だと信じていらっしゃるむきもあるようだけど、フランス料理史をみていると、「取り皿」"assiette"が客人ひとりひとりに用意されるようになったのもせいぜい16・17世紀から。それまでは、切りわけた料理をずーっと持っているのもなんだからと、スライスした大きなパンにのっけていたんだそうな。
中世から19世紀前半までのフランス料理の正餐つまりは宴会料理の華といえばやっぱりロティ(わかりやすくいうと「焼き肉」か?)で、ソースの発達していなかった中世では、切りわけた焼き肉の肉汁がパンにしみこんでウマウマということもあったかもしれない。
そうなんだよね。みなさんあんまりフランス料理史なんかご興味ないかもしれないけど、歴史的にみたら「おとりわけ」はべつに不自然でもなんでもないことだもんね。ただ、現代のヨーロッパの習慣は一人一皿の「個人主義」だし、イマドキの日本で好んでおこなわれている「おとりわけ」は、そもそも一人分としてつくられた料理を複数でわけるということをしているから、昔のフランスの宴会料理が「おとりわけ」を前提にした大皿料理だったということとかならずしもストレートにリンクはしない。それから、いまでもたまにあると思うんだが、数十年前のレストランのメニューなんか見ていると「お二人様分」というのがアラカルトでけっこうあったりする。こういうのは「おとりわけ」が前提で、「デクパージュ」などと言って、サーヴィスの人がやってくれることになっていたりする。
いろんなものを食べたいという欲求じたいは当然のことだと思うからそれは否定しない。否定はしないけど、だったら、昔のフランスの王侯貴族、大ブルジョワみたいな宴会を主宰すればいいじゃん。街場のレストランやビストロに数人で行ってちみちみ「おとりわけ」なんてやっていたら、しみったれていて恥かしいだけのような気もしないではない。
マナーなんてものは、ある時代、ある地域、ある階層で共有されているものにすぎない。日本料理や茶事の作法を、フランス料理のテーブルマナーをほんとうに知るべきひとは、成長過程でとっくに身につけているものである。マナーの本質は「他者を傷つけない」ことである。これは品性の問題だから、それができるのであれば、細かいことなど気にせずに好きなように食べてダイジョブなはず。
一人分の料理を数人で「おとりわけ」するのは、つきつめて言うと食べ手の勝手である。ただ、取り皿を要求するということはそれだけで店の側にはコスト増としてのしかかってくることになるし、マジメな料理人さんや食材の生産者を傷つけることだってあり得るということだけは知っておいてほしいと思う(って、このBLOGの読者諸賢は「食べ手」の側じゃないか…)。逆に、「ウチはシェアは認めていません」ってのもまた傲慢かもしれない。いや、そういうお店はさすがにないか。
日本ではフランス料理、イタリア料理の食べ手にあんまりにも知識と経験がないことがあるから、ともすればこういったことまでも問題になるみたいだけど、料理を提供する側だって、自分が直接に見聞きしてきたことだけを基準にしているようじゃ「啓蒙」なんておこがましいとは思わんかね。小説、映画、食事の場面はたくさんあるけど、けっこうみんな好き勝手なやりかたで食べてるんだよね。