サイトのリニューアル

まだ未完成ですが、とりあえずアップしちゃいましょう。

以前のサイトは見た目はシンプルなんだけど、いろいろつぎたしをやった結果、タコ足配線みたいに妙に複雑な構造になっちゃったので、ここはひとつ思いきって単純化しちゃったというわけ。あんまりゴチャゴチャ書いてあってもうるさいだけだもんね。

トップページのFLASHはフリーのスクリプトをつかっているから、1シークエンスきっかりで終らせる方法がわからず、乱暴だけど90秒という時間で強引に「ごあいさつ」のページになるようにしてしまった。まぁ、みなさんFTTHとかADSLでもけっこう早い回線だろうからいいんじゃないかと勝手にきめつけてみた次第。じつは我が家にきているADSLはISDNなみの低速だから、FLASHの画像を読みこんでいるあいだにジャンプしちゃうんだけど・・・。

Posté par makimonoya le 01/09/10 Leave comment (0)

アフォリズムを書いてみる

I. もとはいかなる外国語であろうと、カタカナにした時点ですでにそれは日本語である。

II. 素材勝負を否定することは、素材の重要性を肯定することにほかならない。さもなければ、自らの技術のなさの告白にすぎない。

III. 野菜は「野」の「菜」ではない。そんなのがよければペンペン草(1)でも食べるがよい。

IV. 難しいのではない。知らないだけだ。

V. 珍しいのではない。知らなかっただけだ。

VI. やみくもに「手間暇かける」暇があればエスコフィエを原書で1ページでも読んだほうがよい。ただし手間が減るとはかぎらない。

VII. ニースはイタリア(2)であったりフランスになったりした。モナコはいまなおモナコ公国であったりミュンヘンだったりする(3)

VIII.食べ物はおいしいことが正義である。だが、おいしいと思えるには教養が必要である。

IX. おいしくもないものをおいしいと思うためには教養は邪魔である(4)

X. 自称文明人は火をきらい生食を好む。

  • 注1) 標準和名ナズナはアブラナ科なので「菜」である。
  • 注2) 正確にはサヴォイア公国、サルデーニャ王国。
  • 注3) イタリア語の初歩である。
  • 注4) 例:ジャンクフード。

Posté par makimonoya le 10/08/10 Leave comment (0)

好きなように喰えっ!

バカネタである。「ラーメンをすすったら怒られました」

ラーメンの食べかたについての是非はともかくとして、「友人」に「マナー違反」と言われてその場はだまってひきさがり、あとでヨソで自信なさげに云々することがなんともなぁ、である。例によって「釣り」なのかねぇ。そもそも、自分なりに言い分があるなら、どうしてその「友人」ときっちり議論しないかね。この程度の議論もできない相手を「友人」とよべるのかね?

この数年は似たような話題を目にすることが多いから、すくなくとも食事をめぐる珍説は増殖しているのだろう。スパゲティー(1)を 箸で食べることの是非とか、スプーンをつかうのがどうだとか…。好きなように食べればいいじゃん。あきれて物も言えないが、スイーツ(笑)のみなさんもまきもの屋の言うことなんて難しくって相手にしてくれないだろうからどうでもいい。

どうでもいいんだが、そもそもロングパスタだってイタリアで「手づかみ」で食べていた時代もあるんだよね。つーか、いまみたいな使いかたをするフォークが普及したのが18世紀以降でしょ?

フランスにフォークがもたらされたのは16世紀。このBLOGの読者諸賢はご承知のとおり、カトリーヌ・ド・メディシス(2)のお輿入れにともなってのことといわれている。それまではどうしていたかって、ナイフだけ、あとは手づかみですな。王様の主宰する宴会でそうなんだもん。

あと、スイーツ(笑)のみなさんは「おとりわけ」がお好きで、しかも「取り皿」におとりわけして各々が食べるというのを「マナー」だと信じていらっしゃるむきもあるようだけど、フランス料理史をみていると、「取り皿」"assiette"が客人ひとりひとりに用意されるようになったのもせいぜい16・17世紀から。それまでは、切りわけた料理をずーっと持っているのもなんだからと、スライスした大きなパンにのっけていたんだそうな。

中世から19世紀前半までのフランス料理の正餐つまりは宴会料理の華といえばやっぱりロティ(わかりやすくいうと「焼き肉」か?)で、ソースの発達していなかった中世では、切りわけた焼き肉の肉汁がパンにしみこんでウマウマということもあったかもしれない。

そうなんだよね。みなさんあんまりフランス料理史なんかご興味ないかもしれないけど、歴史的にみたら「おとりわけ」はべつに不自然でもなんでもないことだもんね。ただ、現代のヨーロッパの習慣は一人一皿の「個人主義」だし、イマドキの日本で好んでおこなわれている「おとりわけ」は、そもそも一人分としてつくられた料理を複数でわけるということをしているから、昔のフランスの宴会料理が「おとりわけ」を前提にした大皿料理だったということとかならずしもストレートにリンクはしない。それから、いまでもたまにあると思うんだが、数十年前のレストランのメニューなんか見ていると「お二人様分」というのがアラカルトでけっこうあったりする。こういうのは「おとりわけ」が前提で、「デクパージュ」などと言って、サーヴィスの人がやってくれることになっていたりする。

いろんなものを食べたいという欲求じたいは当然のことだと思うからそれは否定しない。否定はしないけど、だったら、昔のフランスの王侯貴族、大ブルジョワみたいな宴会を主宰すればいいじゃん。街場のレストランやビストロに数人で行ってちみちみ「おとりわけ」なんてやっていたら、しみったれていて恥かしいだけのような気もしないではない。

マナーなんてものは、ある時代、ある地域、ある階層で共有されているものにすぎない。日本料理や茶事の作法を、フランス料理のテーブルマナーをほんとうに知るべきひとは、成長過程でとっくに身につけているものである。マナーの本質は「他者を傷つけない」ことである。これは品性の問題だから、それができるのであれば、細かいことなど気にせずに好きなように食べてダイジョブなはず。

一人分の料理を数人で「おとりわけ」するのは、つきつめて言うと食べ手の勝手である。ただ、取り皿を要求するということはそれだけで店の側にはコスト増としてのしかかってくることになるし、マジメな料理人さんや食材の生産者を傷つけることだってあり得るということだけは知っておいてほしいと思う(って、このBLOGの読者諸賢は「食べ手」の側じゃないか…)。逆に、「ウチはシェアは認めていません」ってのもまた傲慢かもしれない。いや、そういうお店はさすがにないか。

日本ではフランス料理、イタリア料理の食べ手にあんまりにも知識と経験がないことがあるから、ともすればこういったことまでも問題になるみたいだけど、料理を提供する側だって、自分が直接に見聞きしてきたことだけを基準にしているようじゃ「啓蒙」なんておこがましいとは思わんかね。小説、映画、食事の場面はたくさんあるけど、けっこうみんな好き勝手なやりかたで食べてるんだよね。

  • 注1) まきもの屋がこの表記をしたときは「日本式」を指す。
  • 注2) フランス式のいいかたをカタカナ表記するとこうなる。

Posté par makimonoya le 04/08/10 Leave comment (0)

アフォリズムあるいは解釈の曖昧な対象

ワケわからん文章なんか書いてないで、金儲けの算段でもすればいいんだろうけど、そりゃいくらなんでも、まきもの屋らしくない。まぁね、抽象的だったり専門的だったりする内容をしょっちゅう書いているから、一日の終わりにはパスティスなんか軽くひっかけて、夕食は毎日おうちフレンチばっかりの優雅な晴耕雨読生活おじさんってイメージになっちゃうらしいんだけど、晩酌は紙パックの焼酎だし、きょうの朝食なんてお茶漬と玉子焼きだけだもん。基本的に「よごれ仕事」だしね。でもまぁ、学者気質みたいなところがあるから、どうしても思考が日常生活とは関係のない小難しい興味にかたよってしまうのも事実ではある。

さて、タイトルの解説。後半はルイス・ブニュエルの映画のもじり。アフォリズムというのは、日本語だと「警句」などと訳されることが多い。「警告」ではない。龍之介の「人生は一行のボオドレエルにも若かない」は、好きなアフォリズムである。なにしろ河童忌には個人的に ただならぬ縁もあるから。

いま、ない知恵をひねって考えているのが、ブリア=サヴァラン(1)のアフォリズム。

L'ordre des comestibles est des plus substantiels aux plus légers.

よくわからないので訳をつけたくない。いや、単語も構文も簡単なのである。でもいまひとつよくわからない。それは上に引いた龍之介のアフォリズムと同様である。「一行のボオドレエル」をどういう意味にとるかで全体の解釈がかわってくる。龍之介のアフォリズムといえば『侏儒の言葉』であるが、これは『或阿呆の一生』の一節である。ただ、小説とはいえ『或阿呆の一生』も断章形式だから、いちおうアフォリズムに分類してもいいような気がする。

まぁ、一般的には「人生なんてものは、ボードレールの書いた一行の詩句ほどの価値もないものだ」といった解釈になろうか。おおむねいいんだけど、ボードレールって一行詩ってあったっけ? いや、「ボードレールの書いた詩句の一行」ならわかりやすいわけで、それだったら「人生はボオドレエルの一行にも若かない」でもいいわけでしょ。でもそう書いていない。たんなる語呂の問題? それもあるかもしれない。でも、「一行のボオドレエル」と「ボオドレエルの一行」ではニュアンスがちがうでしょ?

ま、龍之介はおいとくとして、ジャン・アンテルムのアフォリズムである。ポイントは"substantiels"。これをどう解釈するかというのは、じつはかのエスコフィエもからんでくるけっこうやっかいな問題なのである。そんなわけで、ここから先は反響があったら書くことにさせていただこう。いや、なんとなく面倒になっただけである。

それにしても、あの有名な"Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es."(どんなものを食べているか言い給え、君がどんな人間か言ってみせよう)が文字通りのレヴェルだといかにアテにならないアフォリズムか、それは上に書いたまきもの屋の生活からもおわかりいただけるだろう。でもやっぱり、真理を突いてるんだよね。だからこそ、あんなにも引用されまくる「名言」としてのこっているわけで。

  • 注1) 半母音があるからカナ表記は「ブリヤ」のほうがいいかもしれないけど、慣用的には「ア」になっちゃうかな。

Posté par makimonoya le 03/08/10 Leave comment (0)

カジ、プスード、プレスク

おかげさまで、産直の「欠員募集」については、早速、進行中の案件をひとついただいた次第であるが、もう数件はおうけできるので、当該エントリはさしあたり削除しないでおく。現状でカジ・コンプレといった感じであるが、じつのところ余裕というものがほとんど(いや、まるっきり)ない経営なのでお取引先が増えたらまことにありがたいし、そうなるよう努めなければならないのである。

でもまぁ、この文体で書いているということは、ご新規獲得にあんまり熱心じゃないと言われるかもしれないが、根が商売人じゃないからしょうがないのである。とはいえ、なんとかしなきゃならないのは事実だし、あと1棟ハウスを組んでしまえば小回りがきくようになるので、徐々に産直に力を入れていくつもりである。なので、昨冬からずっと、新規のお取引はおことわりさせていただいてきたのだが、そろそろいいだろう。これまでおことわり申しあげた皆様、まことに申しわけありませんでした。あらためてお問いあわせいただければ幸いです。でも、基本的にネット販売はやらないと思う。

産直はセット販売だから、市場出荷だとどうしてもコスト面であきらめなければならないサヴォイやスコルゾネール、フルサイズのフヌイユなんかもできるし、ちょっとお時間をいただくことにはなるがリクエストにお応えすることもできる。ダイレクトにフィードバックいただけるから、品質向上や作付の改善につなげやすいという利点もある。

ところで、フランス語で「ほとんど」を表すには"quasi", "pesudo", "presque"などがある。"quasi"と"pesudo"は接頭辞としてハイフンでつないで合成語をつくることもできる。意味としては、"pseudo"は「擬」「偽」のニュアンスがあって、これだけちょっと性格がちがう。

フランス語で「ニセ」というと"faux (fausse)"がぱっと思い浮かぶが、これは「偽札」(faux billet)のように、文字通り悪い意味でつかう。いっぽうの"pseudo"はラテン語由来でちょっと硬いかんじもするが、"pseudonyme"(プスドニム=偽名、ペンネーム)のような語もあって、"faux"ほど露骨に悪いイメージはない。

ミニ・ポワロー(ポワロー・クレイヨン)は別名「貧乏人のアスパラガス」だが、これをフランス語でいうと"poireau crayon dit asperge du pauvre"といなる。「〜と言われる」とか「別名」という意味の"dit"をもちいる。ちなみに、この「貧乏人」、なんとなく複数形のほうがしっくりくるような気もするのだが、そういう言い方ということになっているようだ。そもそもが「シャレ」なんだけど、ミニ・ポワローのほうがご本家のアスパラガスよりも高価なものになりがちなので、冗談としてはちょっとわかりにくいだろう。いや、ミニ・ポワローは栽培している本人が赤貧にあえいでいるんだから、やっぱり「貧乏人のアスパラガス」か…。

Posté par makimonoya le 02/08/10 Leave comment (0)

ブラモモのトマト煮、白タマネギとフレッシュ・オレガノ風味

タイトルのとおりである。さて、オレガノはドライにしたほうが風味がつよくてよいと言うけど、どうしてどうして、フレッシュでもなかなかいいものである。半量を煮込み、のこりを仕上げに飾ってみた。ドライだといささか口に障るもんねぇ。が、クチコミサイトで、ウチのかもしれないオレガノをトッピングした料理に「いらないんじゃないの?」なんて書かれているのを先日見て、ちょっとヘコんだ…。

Posté par makimonoya le 02/08/10 Leave comment (1)

偉大なるオマールへの羨望

ある業者さんのメールマガジンで、オマールを低温調理したときに、酵素のはたらきで身が溶けることがあるというのを知った。これはオマールだけじゃなくほかの魚介でも起きるものがあるらしい。ちゃんと高温で調理すれば蛋白質が熱によって変性するから溶けるというようなことはない、と。

オマールすげぇぇぇっぇ! 低温調理されることを拒んでいるとは! いや、食材によっては低温調理もいいんだろうけど、なんでもかんでも半生ってのもねぇ…。適材適所ってあるわけだろうから。

ようするに、自己消化酵素の活性の問題なんだろうけど、野菜でもこういうのないかねぇ。適切な調理をしないと露骨に食べられなくなっちゃうような(笑。つーかね、適切な調理をしないとおいしくないだけなんだよね。まぁ、どっちにしても素材のせいにされちゃうわけで、まったくもって迷惑千万なはなしである。知識も技術もないなら使いたがらなきゃいいのにね。

Posté par makimonoya le 01/08/10 Leave comment (0)

牛肩肉のフィレンツェ玉葱ソース

写真のことはとやかく言わないように。クリックしないでよろしい。盛り付けについても無視ねがいたい。で、おわかりのとおり"bavette à l'échalote"のなんちゃって、ダイヨウヴァージョンである。ここまでインチキだとかえって清々しいような気もする。が、一瞬、そんな気がするだけである。

ダイヨウはしょせんダイヨウ、なんちゃってはなんちゃってに過ぎない。エシャよりもフィレンツェのほうがたしかに1ヶあたりの価値は上だが、タマネギはタマネギ。フィレンツェは内部で分球しながら肥大するし、色目も香りもかなりシャロット的なんだが、やっぱりタマネギなのである。

なにもすべてのダイヨウを否定しているわけではない。そこのところは誤解しないでいただきたい。わかってやっているかぎりは、それをホンモノと騙らないかぎりは、いろんな事情もあるわけだし、いちいち非難すべきことじゃない。ただ、ダイヨウやミズマシしていることを隠すべきではない。あっけらかんと、「コストがすごいからなんちゃってなんですよ(笑)」と言えばいいのである。

でもまぁ、たとえ「おうちフレンチ」とはいえ、あんまりやるもんじゃないね。不味くはない、というかそこそこおいしくできても、やっぱり気分がよくない。そんなわけでちょいとばかり不機嫌である(笑。

Posté par makimonoya le 31/07/10 Leave comment (0)