だってピセッリ・クルーディがとれているんだもの。ここ倉渕でも旬は5、6月ということになるわけで、7月は「名残り」になろうか。で、今シーズンひと月ほど出荷してきたわけだが、どーしてもみなさん「サヤがもったいない」とおっしゃる。よろしい、よく洗ったサヤを緑があせない程度にしっかりブランシールしてよく水切りしたら、いっしょけんめい丁寧にタミゼするがよい。ほんのちょっとだけ、きれいなピュレがとれるだろう。あるいは、サヤから甘みだけ煮出してもいい。
だが、これをおやりになるにあたって、絶対に忘れてほしくないことがある。「ピセッリ・クルーディ」はピセッリ、プティ・ポワようするにヨーロッパ種のグリンピースのごく「若どり」だということである(ウスイマメの若どりがおいしいかどうかは知らない)。
どのような種類の料理にするにしても、プティ・ポワは緑が濃くて摘みたてのものをえらび、調理の直前にサヤをむくべきである。(Le guide culinaire, p. 758.)
生食「可」を謳っている「ピセッリ・クルーディ」は鮮度が命である。つねに「要冷蔵」だし、出荷にあたっては鮮度を落さないように神経質なまでに気をつかっている。で、重要なことだが、なぜグリンピースもソラマメもフレッシュはサヤつきで流通しているのか? 豆をサヤからだしたその瞬間から極端に劣化スピードが早まるからである。「ピセッリ・クルーディ」のばあいは、「生食」であればサヤを割ったら即座にお召しあがりいただきたいのである。そうじゃないと、そこまでの苦労は水泡に帰してしまう。加熱するんなら「多少」はいいかもしれないが、上で引用したLe guide culinaireの文章をもういちどご覧いただきたい。加熱を前提としても「調理の直前」じゃないといけないのである。
おわかりだろうか? いくら生食「可」であっても、ピセッリ・クルーディのサヤを加熱調理したものに、そのおなじサヤにあった豆を「生」のままあわせるというのはまったくもってナンセンスなことなのである。サヤを調理しているあいだに、豆そのものが劣化=おいしくなくなっちゃうからである。
このことが何を意味するか? ピセッリ・クルーディをおいしく召しあがっていただくということと、サヤもムダにしないということを両立させるのはじつにむずかしいことなのである。事前に一定量のサヤをピュレにしておいて、提供直前に別のサヤを割って豆をとりだして料理を完成させる。そのサヤはストックしておいてある程度の量になったらまたピュレを仕込む。現実的にはだいたいこんな感じになるだろうか。
問題点は、カラのサヤが一定量になってからじゃないと仕込むのは非常に効率がわるいということである。週に何回仕込めるんだろう? だいたいが、「カラ」の状態になって数日たったサヤなんかおいしいのだろうか? それに、そもそもそんなに出荷量のある商品じゃないし、注文殺到したわけでもないから、ようするにみなさん、そこまではおやりになっていないということだろう。
つまり、シミュレーションさえしていない状態で、たんに「サヤがもったいない」とおっしゃっているにすぎない。「ピセッリ・クルーディ」はとくに大莢の品種をもちいているから、よけいに未熟でちいさな豆と大きなサヤのコントラストがめだつからだろう。
そんなにサヤも食べさせたかったら、スナップをつかえばいいじゃん。生食には不適だと思うけど。
そもそも「ピセッリ・クルーディ」を10本入1パックなんてケチくさい形態で出荷している理由のひとつは、「特別なもの」であることと「食べすぎちゃいけない」ことを強調したいからなのである。もちろん、ロスがはげしくてコストがものすごいとか、単位あたりの価格とかといった理由もあるが。
じつは、「ピセッリ・クルーディ」を出荷する過程で、だいたい1.5倍から2倍くらいの量の生食「不可」のものが「はねだし」になっているのである。サヤのふくらみ具合と豆の肥大はかならずしも対応していないことがあるから、疑わしきは光にかざしたり、サヤをゆすって音に耳をかたむけて選別している。そこまでしないと「生」でおいしく食べられるグリンピースなんて実現できないのである。
こんなことを書くと、じゃあその「はねだし」を安く出荷しろなんていうあさましい輩が涌いてでてくるかもしれないが、日本のグリンピース=ウスイマメとフランスのプティ・ポワ・エクストラ・ファンとのちがいをきちんと認識なさっておられるのだろうか?
フランスでは直径 7〜8mmのものが好まれる。もちろん加熱用である。逆にいえば、フランス料理の食材としてのプティ・ポワはこのサイズがのぞましいということになる。ひるがえって、「ピセッリ・クルーディ」はおおむね直径5〜6mmである。これをきちんとやったら、さらにコストアップまちがいなしである。きちんとやらないから「はねだし」なのである。
それはともかく、加熱用としてのプティ・ポワはこんな感じである。ぜんたいで16g。
ちなみに、サヤだけの重さは12g。
つまり、豆はぜんたいの25パーセントの重さということになる。さらに豆を肥大させれば重さのうえでの歩留まりはもちろんよくなる。が、それはもはやプティ・ポワ・エクストラ・ファンではない。かぎりなくウスイマメにちかづくことになる。
ついでだが、「ピセッリ・クルーディ」として出荷する「下限」のサイズだとこんな感じ。ぜんたいで12g。サヤのみ11g。
この写真のばあいは約8パーセントということになるが、上の「加熱用サイズ」が豆8ヶにたいしてこちらは6ヶしかついていないので、単純な比較だと不利になるだろうか。だいたい10〜20%になると思う。上の「加熱用」プティ・ポワが25パーセントで、あんまり差がないようにみえるのは、豆の肥大にともなってサヤの重量も多少は増えていることがあるから。
8%と25%の差は、食材としての性質を考えれば納得いただけるんじゃないかと期待したい。いずれにしても歩留まりが悪いことにはかわりがない。というか、この事実をもってしたら、フランス産の冷凍モノについてはどうお考えになるだろうか? あれは豆だけを冷凍してあるけど、やっぱり「サヤがもったいない」とおっしゃるんだろうか? ちがうんだよね。手元に届いたときにサヤがなければ、豆がサヤに入った状態なんて想像すらしないんでしょ? 目のまえにサヤがあるから「もったいない」なんて言いだすんでしょ? サヤを食べたい、食べさせたいわけじゃない。でもそれはパッケージの一部みたいなものなんだから、わりきっちゃうのがイチバンじゃないだろうか? ダンボールやフードパックを食べられないからって「もったいない」と文句を言うひとはそう多くはないんじゃないか? そりゃ過剰包装はよろしくないだろうけど。
そもそも「ピセッリ・クルーディ」は、畑でそのまま口に入れる若どりのグリンピースの再現、つまり調理ということを本質的に拒んでいる食材なんだから。まぁ、まきもの屋の野菜のなかでもっとも難解なもののひとつなのはたしかだけど。理解できないんなら文句は言わんでほしいところだ。
食材をムダなく使うというのは、たしかに素晴しいことではある(生産者のホンネとしては、そんなこと言ってないでジャンジャン使ってくれ、なんだけど)。だが、「食べもの」なんだから、おいしいことが正義のはず。ここのところだけは踏みはずさないでいただきたいものである。