クラポディーヌあるいは鉄のハインリヒ

ビーツである。それも、いちばん外見が醜悪で、けれどいちばん美味とされる品種である。玉にはならない。岐根(また根)せずじょうずにできたときでも、せいぜいが長いタイプの黒ダイコンか太いゴボウのような見た目である。どういうわけかやたらと岐根しやすいので、マンドラゴラのような奇っ怪な姿ばかりになる。

が、じつに美味しい、それはたしかである。ビーツ=土くさい、エグイといった印象はもっぱらデトロイト(赤の一般的な品種)に負うところが少なからずあると思う。キオッジャなどはさほどのクセがないから入門編としては最適なんだが、それともまたちがう、醜い見た目からは想像もできないテクスチュアとやさしい風味である。もちろん甘い。

写真では内部がわからないが、赤。ただしデトロイトほどどぎつくはない。表皮は黒くザラザラしていて、そこからクラポディーヌ(=ヒキガエル)という名称がついたらしい。

フランスのビーツのなかでもっとも古くからある品種なのだが、大量生産にむかないために、現代ではごく少量しか栽培されていない。が、とにかくおいしいということで、あの有名なジョエル・ティエボー氏も栽培なさっているらしい。いってみればプレミアム食材の位置づけになっているようだ。だから、マルシェなどではあんまり見かけないと思う。

こういう品種をマーケットに投入するのはなかなかむずかしい。こんなビーツ、日本でご存知の方はどれだけいらっしゃるのだろう…

しかもこの見た目である。まきもの屋の野菜は「きれいすぎる」と評されることもままあるが、未知の食材であれば、あんまりみっともないと食指がうごかぬというのは人情であろう。それに「見た目も味のうち」である。

そんなわけで、ぜーんぜん期待していない商品なのである。まぁ、こんなものがすんなり売れるようであれば、もうちょっといい世の中になっているんじゃないかという気さえする。

エントリのタイトルだが、»Der Froschkönig oder der eiserne Heinrich«のもじり。日本語だと「かえるの王さま」で知られるグリム童話のひとつである。このおはなし、ビーツとはまったく関係ないんだけどね。

チポロットと冷凍しておいたセミドライのプリンチペ・ボルゲーゼのスパゲッティ、ツナ缶入り

パスタディナー(笑。19h30くらいまで家人とふたりして圃場にいたので、夕食はごくかんたんに。かんたんなんだけど、これがウマいのである。自画自賛。チポロットは数日前の「はねだし」。だから葉はつかわない。でもまぁ、これがやっぱりポイントかな。

ところで、Le Ricette Regionali Italianeを読んでいると、やたらと"cipollotto"がでてくるけど、使い方や意味合いを考えたら、「小さなタマネギ」の意に読めるリチェッタがたくさんあるように思うんだけど、どうなんだろう?

たしかに「チポロット」でも完熟にちかいものなんかは、ちょっとタマネギをつかいたいときに重宝する。タマネギは包丁を入れてから時間がたつとよろしくないからねぇ。

まきもの屋の「チポロット」はノチェリーノを意識しながらも、フレンチでもお使いいただくという前提の仕立なので、イタリアから輸入ではいってくる"cipollotto"とちょっと違うところがあるのは公然の秘密なんだが、Le Ricette Regionali Italianeでは料理の季節に関係なくでてくる気がする。

だいたい、ノチェリーノは別格だけど、"cipollotto"というのはなにも「特別」な野菜でもなんでもなくて、コトバの意味だけでいえば「小タマネギ」のことである。フランス語だったら"petits oignons"である。ただ、イタリア語で一般的に"cipollotto"といえば「若どり」が前提だから、ちゃんとした「玉」を形成しないUS系の"Allium fistolosum"がイタリアの種苗会社のカタログに"cipollotto"としてでていたりする。じっさい、ノチェリーノ以外はおおむね九条ネギみたいな感じ(のはず)である。これについては生産サイドの都合も大きいんじゃないかと思っている。

そんな事情もあるから、「チポロット」の商品名はいかがなものか、なんてことも考えるんだが、小規模ながらマーケットで定着してくれちゃったので、問題がおきないかぎりはこのままいくしかない。じつのところ忸怩たるものもないわけではない。

そうはいっても、仕立としてはノチェリーノの基準は満たすようにしている。ノチェリーノは「玉」が形成されていて、なおかつその大きさに規定があるから、よっぽど強引なオーダーがたてこまないかぎりはこの基準に沿ったものにしている。

じつのところ「オニオン・ヌーボーの長期出荷」のほうがよっぽど気がラクである。でもねぇ、「オニオン・ヌーボーとはいっしょにしないでくれ」なんて豪語しちゃってる手前もあるんで、なかなかタイヘンなのである。でもまぁ、おいしいからいいよね、コレ。

かんけいないが、どうして日本のツナ缶ってたんなるオイル漬けじゃないんだろ。表示をみるとじつにいろんなものが入っている。そんなのいらんのに。シンプルにオイルだけじゃどうしていけないんだろう? 不思議でしょうがない。輸入モノなら余計なものの入っていないのもあるけど、たいてい缶が大きすぎるんだよね。「ご家庭用」じゃちょっとキツい。まぁ、ヨーロッパ産なら本来は地中海マグロか大西洋クロマグロなわけで、日本のはキハダとかメバチ、場合によってはカツオだもんねぇ。似て非なるものというわけで、こういったところに「こだわる」と日常の食事もたいへんなことになってくる。近海モノのクロマグロのツナ缶なんて存在しうるんだろうか?

サヴォイと冷凍保存しておいたセミドライのプリンチペ・ボルゲーゼ、豚バラの煮込み

まことにかなしいことに、パンが「焼きたて」のアツアツなのである。夕方、同時進行ではじめたんだからしかたない。せめてもうちょっと落ち着いてからのほうがいいんだろうけど、お腹もすいているし、夜更かしはできないから。で、料理のほうだが、夏にサヴォイの煮込みなんて、というのははっきり申しあげて偏見である。温製でも冷製でも、夏らしい仕立というのはあり得るはず。

今回めざすのは「冷めてから=常温でおいしい」。で、ムイユマンは白ワインとヴィネガーのみ。ヴィネガーをちょいとばかり効かせたところが夏仕様ということになるか。もっとも、長時間煮込むとヴィネガーの酸味はほとんどとんじゃって旨味だけになっちゃうから、仕上げのしばらく前にすこしヴィネガーを足してやる必要がある。フォン? ブロード? んなもんいらない。豚バラはスーパーで買ってきた「国産豚バラ」。それ以上の情報のないシロモノ。でも、サヴォイとトマトの旨味と、煮つめたときのヴィネガーの旨味でじゅうぶん。というかこれ以上アミノ酸系の味がしたら邪魔でしょうがないと思う。

煮込み時間は2時間半。家庭料理だからサヴォイの葉脈の根元もそのまま。これをきちんと処理していれば2時間くらいでいいかもしれない。ちゃんとしたサヴォイってのはそのくらい火入れに時間がかかるものなのである。これでもしっかりと歯応えがあるんだから。鍋ごと180℃のオーヴンに入れるなんて方法だと、3時間でもいいかもしれない。

火入れにとにかく時間はかかるけれど、なにもつきっきりじゃないといけないほどデリケートな素材でもないから、実際の作業時間はたいしたことはない。厨房はとんでもなく暑いから夏は煮込み用の素材は好まれない、なんてよく言われるけど、かならずしも正解じゃないような気がする。ようは、煮込むということと、夏らしい仕立というものがリンクしていないだけなんじゃないか、と訝ってみたりする。じっさい、トリップ・ア・ラ・モード・ド・カンのように、料理することを考えると暑苦しくてしょうがないようなものもあるけど、夏にしかメニューオンしていないお店もあるようだ。

こんかいは「夏らしさ」をヴィネガーにたよってみたが、単純に冷製というのもいい。しっかりと下茹でしたものをテリーヌの外周に背脂のかわりにもちいるなんていささかベタな方法もある。まぁ、そんなんじゃ使用量が増えないから生産者としては商売あがったりなんだけど(笑。

夏サヴォイのいいところは、ムダに糖度があがっていないこと。テクスチャがとにかくしっかりしていることである。きつい寒さにあたったサヴォイは笑っちゃうくらい甘くなるし、寒さによって組織がダメージをうけてもろくなっていたりする。平暖地の冬サヴォイはまた違うんだ ろうけど、倉渕だと12月中旬以降はやたら甘くて火の通りもはやい、そんなものになってしまうのである。それはそれでとってもおいしいんだけどね。

それにしてもこの料理、写真のとおりサヴォイの「見ため」の特徴はあんまりいきていない。みなさんサヴォイの「縮れ」を見せるような仕立をなさりたがるけど、「味」そのものにインパクトがあれば、かならずしもそれにこだわることもないんじゃないかと思うが、いかがだろうか?

夏なのにグリンピース(長文注意)

だってピセッリ・クルーディがとれているんだもの。ここ倉渕でも旬は5、6月ということになるわけで、7月は「名残り」になろうか。で、今シーズンひと月ほど出荷してきたわけだが、どーしてもみなさん「サヤがもったいない」とおっしゃる。よろしい、よく洗ったサヤを緑があせない程度にしっかりブランシールしてよく水切りしたら、いっしょけんめい丁寧にタミゼするがよい。ほんのちょっとだけ、きれいなピュレがとれるだろう。あるいは、サヤから甘みだけ煮出してもいい。

だが、これをおやりになるにあたって、絶対に忘れてほしくないことがある。「ピセッリ・クルーディ」はピセッリ、プティ・ポワようするにヨーロッパ種のグリンピースのごく「若どり」だということである(ウスイマメの若どりがおいしいかどうかは知らない)。

どのような種類の料理にするにしても、プティ・ポワは緑が濃くて摘みたてのものをえらび、調理の直前にサヤをむくべきである。(Le guide culinaire, p. 758.)

生食「可」を謳っている「ピセッリ・クルーディ」は鮮度が命である。つねに「要冷蔵」だし、出荷にあたっては鮮度を落さないように神経質なまでに気をつかっている。で、重要なことだが、なぜグリンピースもソラマメもフレッシュはサヤつきで流通しているのか? 豆をサヤからだしたその瞬間から極端に劣化スピードが早まるからである。「ピセッリ・クルーディ」のばあいは、「生食」であればサヤを割ったら即座にお召しあがりいただきたいのである。そうじゃないと、そこまでの苦労は水泡に帰してしまう。加熱するんなら「多少」はいいかもしれないが、上で引用したLe guide culinaireの文章をもういちどご覧いただきたい。加熱を前提としても「調理の直前」じゃないといけないのである。

おわかりだろうか? いくら生食「可」であっても、ピセッリ・クルーディのサヤを加熱調理したものに、そのおなじサヤにあった豆を「生」のままあわせるというのはまったくもってナンセンスなことなのである。サヤを調理しているあいだに、豆そのものが劣化=おいしくなくなっちゃうからである。

このことが何を意味するか? ピセッリ・クルーディをおいしく召しあがっていただくということと、サヤもムダにしないということを両立させるのはじつにむずかしいことなのである。事前に一定量のサヤをピュレにしておいて、提供直前に別のサヤを割って豆をとりだして料理を完成させる。そのサヤはストックしておいてある程度の量になったらまたピュレを仕込む。現実的にはだいたいこんな感じになるだろうか。

問題点は、カラのサヤが一定量になってからじゃないと仕込むのは非常に効率がわるいということである。週に何回仕込めるんだろう? だいたいが、「カラ」の状態になって数日たったサヤなんかおいしいのだろうか? それに、そもそもそんなに出荷量のある商品じゃないし、注文殺到したわけでもないから、ようするにみなさん、そこまではおやりになっていないということだろう。

つまり、シミュレーションさえしていない状態で、たんに「サヤがもったいない」とおっしゃっているにすぎない。「ピセッリ・クルーディ」はとくに大莢の品種をもちいているから、よけいに未熟でちいさな豆と大きなサヤのコントラストがめだつからだろう。

そんなにサヤも食べさせたかったら、スナップをつかえばいいじゃん。生食には不適だと思うけど。

そもそも「ピセッリ・クルーディ」を10本入1パックなんてケチくさい形態で出荷している理由のひとつは、「特別なもの(1)」であることと「食べすぎちゃいけない」ことを強調したいからなのである。もちろん、ロスがはげしくてコストがものすごいとか、単位あたりの価格とかといった理由もあるが。

じつは、「ピセッリ・クルーディ」を出荷する過程で、だいたい1.5倍から2倍くらいの量の生食「不可」のものが「はねだし」になっているのである。サヤのふくらみ具合と豆の肥大はかならずしも対応していないことがあるから、疑わしきは光にかざしたり、サヤをゆすって音に耳をかたむけて選別している。そこまでしないと「生」でおいしく食べられるグリンピースなんて実現できないのである。

こんなことを書くと、じゃあその「はねだし」を安く出荷しろなんていうあさましい輩が涌いてでてくるかもしれないが、日本のグリンピース=ウスイマメとフランスのプティ・ポワ・エクストラ・ファンとのちがいをきちんと認識なさっておられるのだろうか?

フランスでは直径 7〜8mmのものが好まれる。もちろん加熱用である。逆にいえば、フランス料理の食材としてのプティ・ポワはこのサイズがのぞましいということになる。ひるがえって、「ピセッリ・クルーディ」はおおむね直径5〜6mmである。これをきちんとやったら、さらにコストアップまちがいなしである。きちんとやらないから「はねだし」なのである。

それはともかく、加熱用としてのプティ・ポワはこんな感じである。ぜんたいで16g。

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ちなみに、サヤだけの重さは12g。

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つまり、豆はぜんたいの25パーセントの重さということになる。さらに豆を肥大させれば重さのうえでの歩留まりはもちろんよくなる。が、それはもはやプティ・ポワ・エクストラ・ファンではない。かぎりなくウスイマメにちかづくことになる。

ついでだが、「ピセッリ・クルーディ」として出荷する「下限」のサイズだとこんな感じ。ぜんたいで12g。サヤのみ11g。

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この写真のばあいは約8パーセントということになるが、上の「加熱用サイズ」が豆8ヶにたいしてこちらは6ヶしかついていないので、単純な比較だと不利になるだろうか。だいたい10〜20%になると思う。上の「加熱用」プティ・ポワが25パーセントで、あんまり差がないようにみえるのは、豆の肥大にともなってサヤの重量も多少は増えていることがあるから。

8%と25%の差は、食材としての性質を考えれば納得いただけるんじゃないかと期待したい。いずれにしても歩留まりが悪いことにはかわりがない。というか、この事実をもってしたら、フランス産の冷凍モノについてはどうお考えになるだろうか? あれは豆だけを冷凍してあるけど、やっぱり「サヤがもったいない」とおっしゃるんだろうか? ちがうんだよね。手元に届いたときにサヤがなければ、豆がサヤに入った状態なんて想像すらしないんでしょ? 目のまえにサヤがあるから「もったいない」なんて言いだすんでしょ? サヤを食べたい、食べさせたいわけじゃない。でもそれはパッケージの一部みたいなものなんだから、わりきっちゃうのがイチバンじゃないだろうか? ダンボールやフードパックを食べられないからって「もったいない」と文句を言うひとはそう多くはないんじゃないか? そりゃ過剰包装はよろしくないだろうけど。

そもそも「ピセッリ・クルーディ」は、畑でそのまま口に入れる若どりのグリンピースの再現、つまり調理ということを本質的に拒んでいる食材なんだから。まぁ、まきもの屋の野菜のなかでもっとも難解なもののひとつなのはたしかだけど。理解できないんなら文句は言わんでほしいところだ。

食材をムダなく使うというのは、たしかに素晴しいことではある(生産者のホンネとしては、そんなこと言ってないでジャンジャン使ってくれ、なんだけど)。だが、「食べもの」なんだから、おいしいことが正義のはず。ここのところだけは踏みはずさないでいただきたいものである。

  • 注1) そう、「特別」なのである。こんなものが「あたりまえ」になっちゃかなわない。そもそもグリンピースというのは加熱調理するべきものなんだから。

イチャモン

進行中、未解決の事柄なので詳細は伏せさせていただくが、「なんでこんなこと言われなきゃならないの? あんたに何かヒドイことでもしましたか?」というような目にあって、すっかり参っている。まきもの屋の野菜をお買いあげくださったわけでもない(わざわざそのことを明記していることもまたオドロキであるが)、まったくの見ず知らずのお方である。

円満に「なかったこと」にして闇に葬ることになるか、オープンに実名を挙げて攻撃することになるか、はたまた法的手段ということになるかは、先方の出方をみてみないとわからない。さいしょの解決方法がいちばんのぞましいので、とりあえずその旨は提示しておいたが、まだ返事がないのである。

とはいえ、コチラにまったく非はない。おそらくは先方も、同様にじぶんに非がないことを主張するかもしれない、というかたぶんそうだろう。「そのような意図ではなかった」とか「悪意はまったくなかった」とか。だが、どうみたって悪意に満ちた言説を公に投げつけられたのである。すくなくとも当事者としてはそうである。まきもの屋にたいする「営業妨害」にほかならぬ。

WEB全盛の昨今、飲食店さんはまことに気の毒である。BLOGやらクチコミサイトやらで、誹謗中傷、イチャモンにさらされるリスクが高い。もっとも、某大手クチコミサイトなんぞは、あんまりにもヒドい中傷にたいしては運営側から書き手にたいして注意を喚起するくらいのことはあるらしい。

それでも、クチコミサイトで、とある星つきのレストランにたいして、「しょっぱい」とか「魚の鮮度が悪くて臭い」などというイチャモンがあって、それにたいして総料理長名で、行間には自信をのぞかせながらも表面上は非を認めて詫びる「返信」などがついているのを見たばかりなのである。これがあきらかにイチャモンなのは、「カネ返せ」というほどのミスであればなぜその場でクレームをつけなかったのか、というところにあらわれている(ホントは一口で食べるのをやめるべきなのである。ちゃんとしたお店であれば「お口にあいませんか」ときいてくれるだろうから、「私にはちょっと塩がきついので、できたら次の料理では加減してくださいな」くらい言うのがスマートじゃなかろうか)。

そもそも塩加減なんてものは、個人差いや、おなじ人間であってもその折々で感受性が異なるものである。「ベストの塩加減」なんてものは万人にひらかれたレストランにあっては幻想にすぎない。ただ、「ベストの塩加減」を食べ手に強いるお店があるのもまた事実だろうから、このあたりはなんともいえない。

このイチャモンがイチャモンたるゆえんは、事後という「証明不可能」な段階でWEB上にクチコミとして公にされている点である。だから、総料理長氏はそういうことがあった可能性は排除できないという前提で詫びるしかないのである。「絶対にありえない」と言いきることは論理的に不可能だからである。

多くのばあい、筋違いなイチャモンをWEBで書かれても「反論」さえできぬ、あるいはそういったものを極力「見ない」ようにしているお店も多いだろう。ヘタに反論なぞしようものなら、それだけでお店にとってはマイナスイメージになりかねない。

批判とイチャモンのちがいは、筋がとおっているかどうか、ロジックがあるかどうかである。筋がとおっていれば「議論」になる。議論というのはケンカではない。きちんとした批判には真摯に耳をかたむけるべきである。だが、理にあわぬイチャモンは攻撃することだけが目的だったりするから、まことにタチがわるい。

じつは、こういうことが怖いから、WEB上での産直販売をやめてしまったのである。いや、ほかにも理由はあるが。大手クチコミサイトには「お取り寄せグルメ」なんてくくりがあって、こんなものはまさしく恐怖以外のなにものでもない。

なにしろ、経験を積んだプロの料理人諸氏だけを相手にしているはずなのに、これだけ商品提案で苦労しているのである。きちんと調理しないと「おいしくない」という評価をいただきかねないのである。不満の原因がじぶんの無知無理解にあるのに、相手にそれを転嫁して糾弾するというイチャモンにみまわれるリスクはたっぷりある。そんなおっかないことできますか!

いや、「おいしくない」という評価はある程度は可能性があると思ってはいる。味覚は十人十色だし、以前に書いたように「味覚の閾値」というのもある。野菜の「イタミ、トロケ、虫くい」はもちろんこちらに非があることが多いから詫びるしかない。とはいえ、たとえば黒ダイコンの「空洞症」とか、ビーツ(キオッジャ)の年輪模様が鮮かでないといった、カットしてみないとわからないものについては、イチャモンじゃないかと思うこともある。荷傷みとか「クール便」での冷しすぎなどは運送業者さんに責がある場合もあるから、なかなかむずかしい。ただ、原因の切り分けもできずに文句を言われたことがあって、そのお方とは取引をご遠慮させていただくことになった。イチャモンをつけられるのは真っ平御免だからである。

こんなことを書くと、みなさんおっかながっちゃうんだろうなぁ。誤解しないでいただきたいのだが、批判は大歓迎だし、議論することじたいは大賛成なのである。理にそわぬイチャモンを嫌っているだけである。でもまぁ、論理的思考のできる人間なんて世の中そう多くはないんだよねぇ。

以前、教師をしていたころ、どこの大学でも学生による「授業評価」なるものが導入されて、これがイチャモンの巣窟だった。フランス語の"R"の発音がむずかしいのを教師のせいにされたことがあった。授業中にさんざっぱら、"R"の発音はすぐにはできないひとが多いからこだわらなくていいよ、と言っていたのに…。ヒドいよね。動詞の活用がいっぱいあって覚えられないのを教師のせいにされたこともあった。無理してぜんぶ覚えなくても辞書が引ければいいよ、と言っていたのに…。あるいは、大学とは関係のない運営主体で「授業評価サイト」なんてものもあった。これもまたイチャモンだらけであった。いまでもそうなのだろうか? もう関係ないから興味ないけど。

学生と教師というのは一見したところ学生が弱者の立場にあるようだが、教育というのは多分にサーヴィス業的な性質があって、学生とその学費の出資者(多くは親御さん)が直接的な顧客なのである。だから、いまの日本ではじつは教師のほうが立場が弱かったりする。クレームはもっぱら成績(単位)にかんするものがクリティカル(「批判的」という意味じゃなくて「すごくヤバい」ということ)で、これをやられるとじつに困った立場においこまれる。教師の側がどんなに正当な理由を明確に示しても納得せずにねじこんでくるケースもあった。まぁ、大学とは名ばかりのいわゆるFランクでのはなしだが。

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