「シェフ」という雑誌を買ってみた

日頃情報不足を痛感しているまきもの屋である。で、「シェフ」という季刊誌の最新号を買ってみた。 存在はまえから知ってはいたんだけど、けっこうなお値段だし季刊だから本屋のない田舎に暮らす身としては読むチャンスがなかったのである。最新号の特集は「野菜への現代的アプローチ」。そりゃ期待しちゃいます。

パラパラとページを繰ってみて、西洋野菜生産者だからどうしても野菜づかいに目がいくわけである。 で、カーヴォロ・ネーロがけっこう目立つ。カーヴォロ・ネーロの葉の形状、大きさからすると、取材はおもに3月ごろと推測。葱坊主をつかった作品もあるから、ページによっては4月後半か5月にかかっているかもしれないけど。

うーん、いいんだけど、発行日は6月下旬だから、これってどうなんだろう…。いや、市場に出回っているかどうかはべつとして、夏の時期にカーヴォロ・ネーロ(きっと「カーボロ・ネロ」と表記している)をつくっている農家さんがあることは確認したし、まぁ、たいした問題ではないんだが、やっぱり気になる…。

ところで、特集ページのトビラの文言がすごい。ちょっと引用させていただく。

[...]今、「野菜をどう生かすか」が料理人の大きなテーマとなっている。つまり「サラダをたっぷり添える」とか「珍しい野菜で目を引かせる」「無農薬野菜をウリにする」といった、使用量や種類の選択、質の問題ではなく、1つの野菜に対し、その野菜の持つ魅力をどう引き出すのか、そのアプローチの方法である。(イマージュ株式会社「シェフ 83」2009年6月、p.3)

すごいよね、言葉だけなら。ただね、どんな食材でもそうだけど、この食材がこの皿に、この調理で載っていること、いってみればその食材の皿の上における「存在理由」がしっかりしていないと、ともすれば薄っぺらいものになっちゃうんじゃないかな。いや、この雑誌にでている料理がどうとかいうのではない。あくまでも一般論である。

表紙写真は第2特集「夏のスペシャリテ」のページからの作品のようで、魚料理のつけあわせとして「ふだん草」をもちいている。ブレット(ビエトラ)、マルチカラード・チャード、ミニチャードといった商品名で「西洋ふだん草」を栽培しているまきもの屋としても嬉しい。写真をみるかぎり、赤軸、若どりのもののようである。

と思ったのだが、写真をためつすがめつしていたら、どうもこれは「赤軸ホウレンソウ」なんじゃないか、と思われてきた。まぁ、ルセットには「ふだん草」とあるから、写真撮影のときたまたま入荷がなくて「赤軸ホウレンソウ」で代用したなんてこともあり得ないとは言いきれないかな。

この作品のおもしろいところは、さらに「デトロイトのマイクロリーフ」を添えてあること。デトロイトはいうまでもなくビーツで、ベビーリーフとしても一般的に用いられるが、発芽したばかりの双葉の状態のものが「マイクロリーフ」として流通している。ビーツとチャードは植物としては双子の兄弟みたいなものだから、当然ながら味に連続性がある。

せっかくだから、デトロイトのベビーリーフもいっしょに添えたら、よりいっそうおもしろいかもしれない。

それはともかく、ルセットを見てみると、「ふだん草」を下処理なしでいきなりソテーしているんだが、これは雑誌で公開されるルセットとしてはちょっと不親切かもしれない。チャードは大株のものは下茹でしてアクを抜いたほうがいい。つまり、この作品の模倣をするなら、若どりのチャードを手にいれなくてはならない。

って言うか、「ふだん草」を八百屋さんにオーダーして、赤軸の若どりのものをすんなり持ってくるだろうか。関西あたりじゃ確実に白軸の東洋種のものを納品してくるんじゃないだろうか。カラーのものにしたって、若どりなのか大株なのか指定しないことには具合がわるいだろう。そういう意味では、ルセットとしてはいささか不親切のように思うんだがいかがだろうか。

雑誌としては、フランス語の綴りのまちがいが少ないのはすばらしいんだが、いかんせん写真と版組みのセンスがイマイチ。まきもの屋のような料理の門外漢というか周縁で仕事をしている者にも、そこそこ勉強にはなると思うんだけど、けっこうなお値段なので、コストパフォーマンスとしてはちょっとした学術誌並みかもしれない。まぁ、勉強はカネを惜しんではいけないからねぇ…。

ゴドーを待ちながら…

たまにはシノンの赤でも飲むかい、とネットでPhilippe Brocourt Domaine Clos Godeauxを注文。普段づかいの安いワインなんだけど、シノンの赤にはちょっとした思い入れもあって、けっこう好きなのである。それに、これはなにより名前がいい。

ゴドーといえばまず思いだされるのがベケットの『ゴドーを待ちながら』である。四半世紀ほどまえ、辞書を引きひき、はじめてフランス語で読了した思い出深い本である。もっとも、ただ「読んだだけ」。よくわからなかった。そりゃそうだ。「不条理」なんだもん。いまでもよくわからない。

その後、バルザックの『ル・フズール』という戯曲も読み、これはパリで舞台も観た。舞台のほうはちょっと改変もあって不満だったが、それでも3回は観に行った。メルカデという破産に瀕した事業家が主人公で、「ゴドーが戻ってきてくれたら」というのがキーフレーズになっている。こちらのゴドーは Godeau なので綴りこそちがうが、ベケットの Godot とおなじく、登場しない人物である。ベケットのゴドーは本歌取りといってもいいらしい。

それはともかく、シノンの赤はカベルネ・フランというセパージュを用いていて、けっこう好き嫌いがわかれるもののようだ。基本的には早飲みタイプなんだが、やや熟成に適したものもあって、なかなかにおもしろい。ただ、熟成タイプだとシャトーヌフ・ドュ・パプあたりの安めのものとくらべたらコストパフォーマンスはそんなによくもないし、まきもの屋の素人家庭料理くらいじゃバランスがとれないから、安いシノンをガブ飲みしたほうがたのしいのである。

名前がらみだと、 Pétrus Borel という作家を愛読していたこともあって、ボルドーのベトリュスはむかしから興味があるんだが、いかんせん高価なワインなので、いまだに飲む機会がない。

ゴドーを待ちながら、そんなことをつらつらと思いつつ、紙パックの安ワインを飲んでいたりする。

アンデスレッドと仔羊背肉のロースト、グリークバジル風味

もう何も申しあげることがないくらいベタな料理である。写真をご覧いただいてお気づきのとおり、カレは一切掃除していない。背骨も取りのぞいていない。ただ2リブまとめて焼いて、関節のところから包丁を入れただけである。ジュをとるんだったら掃除してもいいんだが、たんに面倒だっただけである。

解凍したばかりの仔羊にグリークバジルをあわせてしまったわけだが、これは失敗。ただでさえカレは食べやすいのに、まったく熟成していないんじゃバジルに負けて当然だろう。が、逆にいえば羊初心者とか苦手意識をお持ちの向きにはむしろいいかも知れない。でも、解凍したばかりじゃ旨味もロクにでていないから、ソースで補う必要はあるだろう。ようするに失敗作である。まぁ、素人の家庭料理だから…。

ホウレンソウ調理法序説

いえ、べつにシリーズ化しようというわけではなくて、ホウレンソウ調理法序説(=方法序説)という駄洒落でございます。

倉渕はホウレンソウの農水省「指定産地」ですから、まきもの屋のごとき新参者がホウレンソウの栽培をしようなんてとてもとてもお恥かしくでできませんので、自家用程度にしかいつも作っておりません。だからあんまり意識してないんですが、とある星つきレストランのサイトの料理写真を見てのけぞりました。

どう見ても生のホウレンソウの葉が豚肉のパテのつけあわせに皿の上に鎮座ましましているんですよ。そりゃ、いまどきは「サラダホウレンソウ」なんて商品もありますから、否定はしませんがね。それに葉っぱ1枚くらいでしたら、たいした問題にはならないことも重々承知しております。

でも、ホウレンソウは結石の原因となる蓚酸をふくむから、きちんと下茹で、灰汁抜きをするというのは常識じゃないんでしょうか? むかーし、あの有名なグルメマンガで、シャケの刺身をめぐるエピソードがありましたが、それを思いだします。シャケにはアニサキスというかなーりヤバい寄生虫がいる可能性がありまして、ふつうは加熱するか冷凍してその寄生虫を殺してやらないと安心できないわけです。で、そのマンガの主人公は、シャケの薄片を顕微鏡検査して、アニーがいないということを確率的にほぼゼロの状態まで徹底してから刺身を客に提供したわけです。

でも、確率的に「ほぼゼロ」というのは、絶対的なゼロじゃないわけです。やっぱりリスクはある。だから、魯山人をモデルにしたといわれる気難しい料亭の主人兼陶芸家兼書家のおっさんにどやしつけられちゃうわけです。

いえ、いまどきは鮭、サーモンの類の「低温調理」なんてのも流行でして、料理専門誌では、べつの星つきシェフの時鮭の低温ローストなんて作品がついこないだも紹介されておりました。あるいは「瞬間燻製」なんてのも一時流行ったみたいですよね。ああいうのってどうなんでしょ? 冷凍モノであれば、アニーの心配はないわけですが、ああいう調理ができるってことはやっぱり冷凍モノなんでしょうか?

生のホウレンソウもそれとおんなじで、その一皿が直接の原因となって食べたひとが結石になる確率はたしかに「ほぼゼロ」でしょう。でも絶対的なゼロじゃない。

レストランのお客さんがみんな食べもの、調理、栄養といったことに精通しているわけじゃないから、有名レストランで食べたことがあるから、と、ご家庭でも生のホウレンソウをそのまま皿にのせちゃうとどうでしょう? スーパーなんかで売っているホウレンソウはだいたい200gくらいありますから、星つきレストランのようにひとり宛1枚や2枚ってことはないでしょう。味覚、嗜好というのは十人十色ですから、それが気にいって毎日のように生のホウレンソウを常食しちゃうことだってあるかもしれません。

結果、その人が結石になったとして、もしかしてきっかけをつくったかもしれない料理人さんはどう責任をとるんでしょう? あくまでも自己責任だから関係ないと言い逃れできるんでしょうか? 星つきシェフということは、たとえ一私企業の出版物で認定されたものとはいえ、社会的責任は大きいんじゃないでしょうか? というか、かりにも料理を提供しておカネを得ているプロであれば、職業上の社会的責任はすくなからずあるはずです。

いえ、ホウレンソウが悪いんじゃありません。そこのところは勘違いしないでいただきたい。充分なアク抜きをしないでホウレンソウを提供するのはいかがなものか、そう申しあげているわけです。ましてや、「このお野菜は有機の○○で」などとお客様にご案内しているようなお店であればなおのこと。

問題の本質はゴリゴリのベリーレアーなインゲンとか、きちんと火を通していないニンニクとおんなじだと思います。インゲンは生だとレクチンが毒性を持っていて、嘔吐、下痢の原因になり得ます。ニンニクも上手に加熱しないとアリインが原因となって胃壁や腸の粘膜を損傷する恐れがあります。

そういうものを、お客様に提供しておカネをもらって平然としていられるんでしょうか? 正しい調理法であれば健康に寄与する「生命の糧」たる食材です。ゆめゆめまちがった調理法で提供してもらいたくないものです。

と、ここまで書いて、1年以上まえの「料理王国」誌のイタリア料理特集で、イタリアの料理人さんがやっぱり生のホウレンソウを皿にのせている写真があるのを家人が発見しました。ヨーロッパのホウレンソウは現代日本のそれとくらべてケタ違いにアクがつよいんですよ。つまり蓚酸を多く含んでいるわけです。まったくもって信じ難いことです。料亭の主人兼陶芸家兼書家のおっさんに「この料理を作ったのは誰だぁ!」と怒鳴ってもらわないとダメなんでしょうか…?

牛の角

偶々、友里征耶氏の数年前の文章を読んで、「あぁ、ワイン通と呼ばれる人でも、農業についてはあんまりご存知ないんだなぁ」と思い、ちょっと解説をしてみることにする。いわゆるビオワインについての文章でこんな表現があった。

ビオには以前書きましたように2種ありまして、 減農、有機栽培などのほか、 月の満ち欠けや牛の角の入れた牛糞をまくオカルトチックな手法[以下略]

文章の趣旨はビオワインの微発泡のことなので、枝葉末節というか、重箱の隅をつつくわけだが、「減農」=減農薬、有機栽培、ここまではどなたでも理解できるはず。「月の満ち欠け」はシュタイナー系のビオ・ディナミック農法が代表的か。まぁ、ビオ・ディナミックは「オカルトチック」ともいえなくもない。ヨーロッパの有機農業じゃ一大勢力なんだけどね。

で、問題は「牛の角」である。これはなにもビオ・ディナミックの専売特許なんかじゃない。牛の角を粉にしたものは、乾燥させた家畜の血とともに、化学肥料が普及するまでヨーロッパでは肥料としてもっとも一般的に用いられていたものなのひとつなのである。

そういう意味では、「オカルトチック」じゃなくてむしろ伝統的な手法といってい。ただ、ビオ・ディナミックのひとたちがそれを前面にだしていたというだけのことだと思う。

ところで、「オカルトチック」といえば、野菜の「無肥料栽培」のほうがよっぽどオカルトめいていると個人的には思う。「肥料は毒」というだけでもかなーり疑問だが、元素転換なんか持ちだされちゃかなわない。だいたい、「肥料は毒」といいながら、植物残渣は畑に返すなんていうんだから、そうとうにインチキである。植物残渣を堆積して発酵させたものが、狭義の「堆肥」であることをどう考えるというのか。

こういうのが「料理通○」みたいな、料理人さんがお読みになる雑誌で紹介されていたりするからなお性質がわるい。いや、結果としての無肥料栽培の農産物じたいがどうの、ということではない。ニンジンとかトマトみたいに、肥料要求の低いものなら、現実問題として無肥料での栽培はそんなにむずかしくないんだから、品質に問題があるとか、こっそり肥料をやっているんじゃないかなんて疑惑はまったくないはず。

ただ、あの独特の思想というか信仰みたいなものを、いかにも素晴らしいものであるかのように紹介されると、かなーりマズいんじゃないかと思う。それだけのことである。

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